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アンジーとトニオと

トニオが話終えたころには、握りしめているアンジーの手はすっかり汗が引き、代わりに氷のように冷たくなっていた。

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。お、怒らないでトニオ……」

 トニオは椅子から降りると、床に座り込み力なくうなだれるアンジーに優しく声をかけた。

「ぼくは怒っているわけじゃないんだ。ただ理由が知りたいんだよ」

 トニオの優しい声音に頭を上げたアンジーは、自分の靴底に張り付いた血の跡を見て、再び目を閉じた。

「目をあけてよ、アンジー」

 お願いと優しく言われて、アンジーが答えないわけにはいかない。

 アンジーは目を開き、トニオの血とジャムで汚れたエプロンをつまんだ。

「こ、これが……なくなると思ったのよ」

「これ?」

「エ、エプロンが、綺麗になっちゃうと、あ、あなたがお店に来なくなっちゃうと思って」

 いつもは快活な彼女が、要領を得ず掠れた声でぼそぼそと話す。そんな彼女を支えるように、トニオはどもることを忘れた。

「僕がお店に来ないのが嫌なのかい?」

 トニオの言葉に、アンジーは頷く。

「どうして?」

「……」

 答えられず、涙を流し始めるアンジーの頬を、トニオは愛おしそうに撫でた。

「ああ、ああ、可愛いアンジー。可哀想なアンジー」

 トニオはたまらず彼女を抱きしめると、彼女はますます涙を流し、トニオのエプロンにぽたぽたとシミを作っていった。

 薄まった赤色が滲み、広がり、白い布に染み込んでいく。

「僕はずっとずっと君と一緒さ。ジャムの腕が上達したって、僕が君から離れるわけがない」

「ほ、本当に?」

「本当だよ」

「わ、私の事す、すき?」

「僕は君が思っている以上に、君の事が大好きだよ」

 力強く返された言葉に、アンジーはたまらず彼の胸に顔をうずめた。

 トニオは愛しい人を胸に抱きしめ、恍惚の表情で彼女の頭を撫でた。 

 閉店時間はとうに過ぎた。

 しかし、いつもの様に狂った鳩が鳴きだす……ことはなく、ただ遠慮がちに床を這うかさかさという音だけが小さく聞こえた。


 マイナバードがクリーニング店の扉を開けると、先客がいた。

 「あらぁ。トニオ。ジャムはどうしたのよ。一番弟子にもなると店を抜けても文句は言われないのかしら」

器量よし、愛嬌よしで人気のあったアンジーを物にしたジャム屋の冴えなかった(・・・・・・)一番弟子を街で知らない人はいない。

「おやおや、おしゃべりなでっかい鳥が迷い込んできたようだね」

「なんですって?」

 マイナバードの目の淵から大きくはみ出したアイラインが直角に吊り上がる。

 カウンターに寄りかかっていたトニオは肩をすくめると、アンジーの額にキスを落とした。

「じゃあ、また夜にね。アンジー」

「え、ええ。ま、待ってるわね。トニオ……」

 頬を染めながら、控えめに手をふるアンジーに手を振り返して、トニオはするりとマイナバードの横を抜け、店をでた。

「好きな女を手に入れた途端に、何あのかっこつけ。がりがりの癖にっ。目の周り真っ黒なくせにっ」

「ト、トニオはずっと、か、かっこいいわ」

 どもりながらもしっかり惚気るアンジーに、マイナバードはやってらんないと、汚れ物のドレスをカウンターに置いた。

「しかし、あんたたち性格とっかえちゃったの? そんなしゃべりかたしてなかったじゃないの」

「そ、そうかしら。ま、前からこ、こんな感じよ……たぶん」

 アンジーはマイナバードから視線を外し、ドレスの汚れ具合を紙に記し始めた。

 マイナバードは夜の鳥だ。これ以上聞かないで、という空気は読める。あえて読まないことの方が多いだけだ。

 手早く作業を終わらせたアンジーは時計を見つつ、出来上がりの日時を伝えた。

「い、急ぎなら、あ、明日の朝には……できてるけど」

「急いじゃいないわ」

「そ、それじゃあ、明後日」

「それでいいわ。……ところで、アンジー」

 夜の鳥は昼間も活気づいた雛の相手で忙しいので、用事が終わればすぐに帰るのだが、今日は珍しくまだ話がしたいらしい。

アンジーは伝票の整理をしながら、話を聞いた。

「あの鳩時計なんだけど」

「ま、前にも言ったけど、く、くるってるわよ。ご、5分早く鳴いちゃうのよ」

「もう、その言い訳はいいわよ」

「言い訳?」

 マイナバードの呆れかえった声音に、アンジーはきょとんと首を傾げた。

「あんた、わざと5分遅くしてるじゃないの」

「え?」

 再びことんと首をかしげるアンジーに、マイナバードは凶器のように鋭く真っ赤に塗られた爪を鳩時計に向けた。

「だーかーらっ。トニオはいつも18時に店を閉めてからじゃないと来られないから、あいつに合わせるために、わざとあんたの店は5分遅くして、閉店時間をずらしてたんでしょう? みんな知ってるわよ」

「な、何を言ってるの?」

「だから、短い逢瀬を邪魔しないように、みんな遠慮して言わなかったのっ」

 理解ができないアンジーを置いて、マイナバードはしゃべり続けた。

「でもね、私は時間に正確じゃないといけないの。なんてったって5分刻みで約束が入っているんですからね。なのに、この店に来るたびにそれがちょっと狂うからモヤモヤしてたのよっ」

「……い、いつから? 5分遅いの?」

「はぁ? そんなの私が知るわけないじゃないの。とにかく、時計直しといてよ。この店で正常なのは実は鳩だけだったりしてね」

 言いたいことをすべて吐き出したマイナバードはいつもの様にピンヒールを鳴らして店を後にした。

 アンジーはカウンターからでると、トニオの親方の壊した椅子のり、鳩時計に手をかけた。

 おそるおそる観音扉を開いた瞬間、ぴょんと黒い何かが勢いよく飛び出してきた。

 『黒い何か』はアンジーのよく知るお友達だ。

 沢山の赤い目と足を持つ彼は、アンジーの手にのるときゅいと鳴いた。

「あ、あなた……ほ、本当にいつからココにいたの?」

 アンジーの言葉が分からないのか、どうなのか、大きな蜘蛛は彼女の手から飛び降りるとカサカサと店の外に出ていった。

 くっるっぽー

 行き成り鳴き始めた鳩時計に、アンジーはびくりと身を振るわせた。

 時計の針は15時を指している。

 アンジーは時計の針を5分進めて、再びカウンターに戻った。


これにて完結です。

読んでくださって、ありがとうございました!

次は、マイナバードのお話を予定しています。

こちらも、楽しんでいただけたら幸いです。

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