汚れたエプロンと苺ジャム
ホラーではありませんが、ホラーっぽい雰囲気です。
残酷な描写はありませんが、すこし流血表現があります。
苦手な方は、ご注意ください。
くるっぽーくるっぽーくるっぽー
壁に掛けられた鳩時計が夜の5時55分を知らせた。
本来ならお昼の12時とおやつの3時と閉店である夜6時に鳩が出るのだが、バネが歪んだ鳩が毎回観音開きの扉に頭をぶつけているから、時間が狂ったのだ。今では閉店間際のこの一度しか鳴かない。
「もうすぐ、かしら」
クリーニング屋を営むアンジーは、夜6時の閉店間際に訪れる彼を密かに心待ちにしていた。
陽は暮れかけ、夕闇が街を侵食していく。
アンジーは湿気で膨らんだ赤茶色の髪に手櫛をいれて、よれたピナフォアの(カウンター越しで彼には見えないのに)皺をのばした。
「こ、こんばんは……アンジー」
「いらっしゃい。トニオ」
トニオは疲労で青白い頬をわずかに緩ませて、つけていたエプロンを怠そうに外し、そっとカウンターに乗せた。
真っ白いエプロンには真っ赤なシミが腹から裾のギリギリまで広範囲にべったりとついていた。
よく見ると、彼のカーキ色の長ズボンにも少しシミが付いてしまっている。
アンジーの視線に気づいたトニオは恥ずかしそうに足を絡めた。
「そのくらいのシミなら、今スグにとってあげる」
カウンターから染みぬきと布を手に出てきたアンジーにトニオは遠慮したが、彼女は有無を言わさず彼の足元に膝をついた。
彼女の手がズボンに触れると、トニオは目のやり場に困り、とりあえず天井を向くことにした。
トニオはジャム職人見習いで、毎日盛大にエプロンを汚してはアンジーの店に預けに来るのだ。
「き、今日も親方に怒られちゃったよ。な、何度やってもうまくいかない」
「大丈夫よ。こんなに頑張っているんだもの。いつかエプロンに染み何てつかないくらい上手になるに決まっているわ」
アンジーは言いながら、トニオがいつまでもジャム作りが上手になんてならなければいいのにと思ってしまった。
だって、エプロンが汚れなくなれば、トニオはアンジーのクリーニング屋に来なくなってしまう。
ズボンのシミはあっけない程簡単に消え、アンジーは気づかれないようにトニオのズボンのすそをきゅっと握り、立ち上がった。
「これで大丈夫よ」
「あ、ありがとうアンジー。や、やっぱり君は……ま、街一番のクリーニング屋だ……」
トニオのクマで真っ黒な目元が微笑みに緩むのをみて、アンジーは自分の体温が上がるのを止められなかった。
アンジーは赤く染まる己の顔を隠すように、慌ててカウンターに戻り、ずらりと棚に収められた選択済みの預かり物から、迷いなく一つを取りだした。
「これ。昨日預かったエプロンよ」
「あ、ありがとう。じ、じゃあ……ま、また……明日……」
「ええ。また明日」
トニオはクリーニング済みの真っ白なエプロンを受け取ると、名残惜しそうにクリーニング屋を出て行った。
一人残されたアンジーは、抜け殻の様なエプロンを大事に抱えてランプの灯を吹き消した。
お話は完結しているので、終わりまで毎日更新していけたらと思っています。
少しでも、楽しんでいただけたら嬉しいです。