0027話
男たちから逃げ出したイオだったが、当然ながらそう簡単に逃げ切れる訳がない。
ドレミナに来たばかりである以上、イオはドレミナの道について詳しくなかったというのが大きい。
そんなイオに対し、男たちはこのドレミナで活動する者たちだ。
今回のゴブリンの軍勢の一件でドレミナにやって来たのかもしれないが、それでもイオより長くこの街にいるのは間違いない。
そうである以上、イオよりはドレミナの地理については詳しいのは当然だった。
「くそっ! 何だってこんなことに……!」
そのような状況でイオはドレミナの街中を逃げていたのだが、当然ながらイオも現状で逃げ切れるとは思っていない。
唯一の可能性としては、それこそ黎明の覇者が借り切っている英雄の宴亭に向かうといったものだろう。
黎明の覇者の者たちに頼るのはどうかという思いがない訳でもなかったが、今の状況で意地を張った結果どうなるのかを考えれば、ここで意地を張るのは愚行でしかない。
とはいえ、追ってくる男たちから逃げている現在は自分が具体的にどこにいるのかは分からない。
具体的には迷子になっていた。
全く見知らぬ街……それも日本の田舎で育ってきたイオにとって、剣と魔法の世界にある街、それも準都市と呼ぶべきドレミナの中で走り回って迷うなという方が無理だろう。
「ここは、どこだ……?」
追ってくる者たちから逃げ続けていたイオは、自然と自分で気が付かないうちに逃げやすい方、走りやすい方……つまり、人があまりいない場所に向かうことになっていた。
当然ながら、そのような場所というのは裏通りになる。
とはいえ、現在のドレミナにはゴブリンの軍勢から逃げるために周辺の村や街から避難している者も多い。
それだけではなく、ゴブリンの軍勢と戦うために傭兵や冒険者といった者たちも多く集まっている。
表通りでイオが走りにくかったのはそれが理由だったが、同時に表通りの人の多さが嫌になった者たちも裏通りに流れてきている。
結果として、裏通りは裏通りで普段よりも多くの者がいて……そうなれば、当然のようにイオのような見るからに鍛えていない相手は絶好のカモとなる。
杖を持っている以上は魔法使いであると考えるかもしれないが、それでもイオの様子から魔法使いでもそこまで腕利きではないと判断し……
「おっと、ここから先は通行止めだ。通りたかったら相応の通行料を払って貰おうか」
イオの前を立ち塞がった男たちは、口元に嘲笑を浮かべつつそう告げる。
イオにしてみれば、追っ手から逃げているこんなときにと苛立ちを覚えた。
幸い今は後ろから男たちが追ってくる様子はまだない。
だが、恐らくすぐにでも男たちはここに姿を現すという、そんな確信がイオにはあった。
「どいてくれ! 今はお前たちにかかわっているような余裕はないんだ!」
「なら、通行料を出しな。それと……そうだな、その杖も置いていって貰うか。そういう杖はそれなりに高く売れるし。安心しろ。俺たちは良心的だから、お前を捕らえて奴隷にするといったような真似はしない。優しいだろ?」
どこがだ! と叫びたくなったイオだったが、どうにかしてこの場を乗り越えるかを考える。
当然ながら、杖を渡す訳にはいかない。
イオにとって杖は使い捨てで、ゴブリンの軍勢から奪った杖は英雄の宴亭に戻れば黎明の覇者に預けていた分をすぐに貰える。
しかし、今のイオにとって杖というのは唯一の武器なのだ。
素手での喧嘩より、杖であっても武器はあった方がいい。
ましてや今は後ろから自分を追ってきている者たちもいる以上、よけいに杖を手放す気はない。
……もちろん、だからといって街中で流星魔法を使おうとは思わないが。
「ほら、どうした? お前は……あん?」
イオの前に立ち塞がって会話をしていた男は、不意にその言葉を止めてイオから視線を逸らす。
それもあからさまに横に視線を向けたりといったような真似ではなく、イオの後ろに視線を向けたのだ。
それが一体どういう意味を持つのかは、イオにもすぐに理解出来た。
「ちっ!」
舌打ちしながら後ろを見ると、その視線の先にはやはり見覚えのある男とその仲間の姿がある。
来るのが早すぎるだろう! そう叫びたくなったイオだったが、幸か不幸かイオが叫ぶよりも前に話は進む。
「何だてめえら! この男は俺の客だ! とっとと消えろ!」
イオの前にいた男が、新たに現れた男に向かってそう叫ぶ。
自分が恐喝しようとした男を客だと言い張るのは、イオを唖然とさせるには十分だった。
とはいえ……と、現在の状況はそう悪いものではないのか? とも思う。
裏道にいた者たちと、イオを追ってきた男たち。
双方共にイオの敵であるのは間違いないが、同時に男たち同士も敵なのだ。
三竦み――というにはイオの戦力が弱すぎるが――のこの状況は、上手くいけばイオに敵対する二組をぶつけることも不可能ではない。
「ふん、チンピラ風情が。邪魔だ、消えろ」
男は道端に落ちているゴミでも見るかのような視線を向けながら、そう告げる。
イオの前に立ち塞がったチンピラたちにしてみれば、そんな男の言葉を聞いて黙っていられる訳もない。
脅すためか、あるいは実際に使うためかは不明だったが、イオと話していた男やその仲間たちは短剣を引き抜く。
(これは……やばいな)
日本にいた頃に見た漫画では、不良がナイフを使うといったような光景は珍しくない。
しかし漫画では日本の不良ということもあって実際にナイフを使うといったことは珍しい。……漫画だからこそ過激な行動に出ることもあったが。
そんな漫画と比べると、イオの前にいるチンピラたちが持っているのは、ナイフではなく短剣だ。
言ってみれば作業用のナイフと武器の短剣。
その二つは一見すると似たような物に見えるものの、実際には大きく違う。
作業用のナイフと違い、あくまでも相手を傷つけ、殺すために使われるのが短剣なのだから、イオの思い込みのせいもあるのか、そこから受ける迫力は決定的に違うように思えた。
その刃の鋭さに思うところはあれど、ゴブリンが持っていた短剣を見ただろうと自分に言い聞かせる。
今はその刃の鋭さに怯えているような場合ではない。
三つ巴のこの状況において、一番弱い自分がこの場から脱するには、チンピラたちと自分を追ってきた男たちに争って貰う必要がある。
その隙を突く形でこの場を逃げ出すしか、イオに出来ることはない。
まともな戦いになった場合、イオは自分ではこの状況をどうしようもないと、そう理解しているのだ。
もしイオが流星魔法の才能ではなく武器の才能であったり、あるいは格闘戦の才能といったものがあるのなら、また少し話は違ったかもしれないが。
今の状況でそのようなことを考えても意味はない。
とにかく現在は息を殺し、ゴブリンに見つからない程度に気配を殺せるようになったその技術を最大限に利用して、チンピラたちとウルフィの信者と呼ぶべき者たちをぶつかるのを待つしかない。
「逃げ出すなら今だけだぞ。このまま俺たちと戦ったら、お前たちはただですまない」
イオを追ってきた男が、チンピラに向かってそう告げる。
言葉では逃げ出せばそれ以上は追わないといった様子を匂わせているものの、自分たちが侮られたと理解したチンピラたちは苛立ちも露わに叫ぶ。
「ふざけるな! てめえら、やっちまうぞ!」
気が短い人物だったためだろう。チンピラのその叫びと共に、周囲にいたチンピラたちは武器を手にして男たちに近付いていく。
イオの前にいたチンピラたちだけではなく、周囲の通路から他のチンピラたちも姿を現して男たちに襲いかかる。
「うおおおお! 死ねぇっ!」
そう言いながら、チンピラは短剣で男たちの顔面を狙う。
死ねという言葉は脅しでも何でもなく、本気で相手の頭部に短剣を突き刺そうとしているかのような動き。
躊躇なくそのような真似が出来る辺り、裏道であるこの辺りの戦いにおいて相手を殺すといったようなことは普通に行われているのだろう。
そういう意味では、レックスに殴る蹴るといった暴行をしていた黒き蛇の傭兵が行っていたのはそこまで酷いことではなかったのかもしれない。
自分の顔面を狙って振るわれた短剣を、男は鼻で笑いながら長剣を振るう。
鞘に収まったままなのは、この程度の相手を殺すまでもないと思っていたのか。
頭部を狙った短剣はあっさりと回避されたチンピラは、顔面を鞘で思い切り殴られる。
鞘とはいえ、長剣が入っている状態では棍棒のような打突武器としても使える代物だ。
そのような武器で顔面を殴られれば……それも手加減も何もなく殴られれば、最悪頭蓋骨が骨折して命にかかわってもおかしくない。
意図的に殺そうとは思わないが、死ぬなら死んでもいいと思っているのが分かるような攻撃だった。
「てめぇっ!」
そんな男の態度に、イオに絡んできたチンピラ……出来るだけ見つからないようにしているイオの目から見て、恐らくはチンピラたちを率いているのだろう人物であると思しき男が激高して叫ぶ。
仲間がやられて怒っているのはその男だけではない。
他のチンピラたちも同様に、頭に血が上って興奮した様子で武器を構え……一気にイオを追ってきた男たちに襲いかかる。
人数ではチンピラたちの方が多く、イオを追ってきた男たちの数倍はいる。
しかしイオを追ってきた男たちは傭兵として活動している者たちで、それこそ技量がチンピラたちよりも上だった。
質と量の戦いとでも呼ぶべきそんな戦いを見ながら、イオは出来るだけ早くこの場から逃げようと隙を窺う。
幸いなことに、チンピラたちもイオを追ってきた男たちも、今は目の前の相手に対処することに必死になっており、イオの存在を気にしている様子はない。
そのような意味で、イオにとっては最善の状況だった。
(行くぞ、行くぞ、行くぞ……今!)
戦いの隙を突いてその場から走り出そうとしたイオ。
一歩、二歩と進み、速度に乗ってその場を走り出そうとしたその瞬間、不意に周囲に怒声が響き渡る。
「何をしてやがる、てめえらぁっ!」
その怒声は、周辺一帯に響き渡るようなそんな大きさだった。




