0026話
ギルドから逃げ出したイオは、ウルフィが自分を追ってくる様子がないことに安堵する。
とはいえ、自分の行動のミスには頭を抱えるしかない。
食事に気を取られて口を滑らせたこともそうだが、口を滑らせた直後に実は冗談でしたといったように言っておけば、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、話を誤魔化せた可能性もある。
こうしてあからさまに逃げ出してしまった以上、今さら冗談云々といったことを言っても信憑性に欠けるのは間違いない。
……もっとも、あの場に残って冗談と言っても、それを信じて貰えたかどうかはまた別の話だったが。
もしイオがウルフィと同じ立場であった場合、そのようなことを言われても信じられるかと言われれば、微妙なところだろう。
「あー、うん。ちょっと……いや、かなり失敗したな。これからどうすればいいんだろ」
そう言うイオだったが、その言葉にはそこまで深い懸念の色はなかった。
イオにしてみれば、今回の件は色々と不味いのは間違いない。
しかし同時に、いざとなれば黎明の覇者に守って貰えるという算段があるのも事実。
ランクB傭兵のウルフィが、あそこまで他の者たちに信頼されていたのだ。
それを考えれば、ランクA傭兵団の黎明の覇者に手出し出来る者がそういるはずもない。
(ウルフィさんはソロでランクBだったから、あそこまで信頼されていたって可能性もあるけど)
そう思いつつ、イオは適当に街中を歩いて回り……空が暗くなってきているのに気が付く。
「あ、夜か。思ったよりも随分とギルドにいたみたいだな。……そうなると、どうするか」
黎明の覇者が借り切っている英雄の宴亭に行けば、イオもきちんと部屋を用意して貰えるだろう。
しかし黎明の覇者に所属するとまだ決めていない以上、英雄の宴亭というドレミナでも最高級の宿に自分が泊まるのはどうかと思わないでもない。
思わないでもないのだが、この世界に転移してきてからはずっと木の上で蔦を使って身体を縛り、地面に落ちないようにして眠っていた。
それだけに、イオとしては出来ればきちんとベッドで……それも可能なら上質なベッドで眠りたいと思うのは当然の話だった。
「悩むな」
「何が?」
「うおっ!」
独り言を呟いたつもりのイオだったが、その独り言にいきなり返事があったので驚きの声を上げる。
びくり、とした様子を見せながら声のした方に視線を向けると、そこには見覚えのない男がいた。
年齢はイオよりも低く、十歳くらいといったくらいか。
「ふぅ……驚かせるなよ。それで、お前は一体誰何だ?」
「兄ちゃん、宿って決まってる? もしまだ決まってないのなら、いい場所を紹介しようと思って」
「なるほど、そういうのか」
その男……というよりも少年の言葉で、何のために自分に声をかけてきたのかを理解する。
いわゆる、客引きという奴だろう。
イオは田舎から出たことはほとんどなかったが、TVや漫画の類で客引きという行為をする者たちは何度も見てきた。
もっとも、その客引きというのは基本的に宿ではなく飲み屋であったり風俗であったりすることが多かったのだが。
そのような客引きに比べれば、宿の客引きというのは問題のない方だろう。
「宿か。どういう宿だ?」
イオの言葉に脈ありと思ったのか、少年は笑みを浮かべて説明する。
「酒は美味いよ! 料理は……まぁ、それなりだけど」
「却下だな」
イオはあまり酒に興味がない。
むしろ酒よりは料理の方を重要視している。
それだけに、もし酒がそれなりで料理が美味いのなら心が揺れたかもしれないが、その逆では心が揺れるようなことはなかった。
「えー。いいじゃんか。兄ちゃん、見たところそんなに金を持ってないだろ? なら、俺の紹介する宿くらいが一番いいって。ね? そうしようよ」
まさかここまであっさりとイオに断られるとは思っていなかったのか、少年はイオに食い下がる。
客を連れていけば少年は小遣いを貰えるのだから、必死だった。
これでイオが見るからに金持ちであったり、あるいは高ランクの傭兵や冒険者であったりすれば、少年もここまでしつこく誘うようなことはしなかっただろう。
しかし、イオの外見は……傭兵や冒険者であった場合、新人としか思えない。
杖を持っていることから魔法使いの可能性が高く、そういう意味でもここで自分の実家の宿を定宿にして貰えれば、イオがランクを上げていった場合に上客になるかもしれないという希望的な観測もあった。
少年の顔にはそのような思いは全く表れていなかったが。
「うーん、そう言われてもな」
先程も少し考えたが、英雄の宴亭に行けば恐らく部屋を用意して貰えるとは思う。
それは間違いのない事実だったが、同時にそこまで向こうに甘えると黎明の覇者に所属するといった未来しか見えなくなるのも事実。
イオにしてみれば、黎明の覇者に所属するのは別に嫌だという訳ではないのだが。
ただ、どうせファンタジー世界に来たのだから、成り行きで黎明の覇者に所属するのではなく、本当に黎明の覇者に所属したいと思ってから所属したい。
また、黎明の覇者に所属する以外にも、冒険者や商人、他にも何らかの別の道がある可能性もあった。
だからこそ、イオとしては安易に黎明の覇者に所属するといった真似はしたくなかったのだが……
「あ、じゃ、じゃあ俺はもう行くね。さっさと逃げた方がいいよ!」
「は?」
不意に少年はそう言うと、素早くイオから離れていく。
先程まではどうにかしてイオを自分の紹介する宿に連れて行きたいといった様子だっただけに、そんな少年の不自然さに疑問を抱く。
そして少年が最後に言い残した『さっさと逃げた方がいい』という言葉に、まさかと思って周囲を見回す。……見回してしまう。
このときのイオの大きなミスは、あからさまに周囲を見てしまったことだろう。
もしこれでイオが場慣れをしているのなら、ここまであからさまな行動はしなかった。
自分が警戒していると周囲に気が付かれないように、現在の状況を確認しただろう。
しかし、この世界にやって来てゴブリンの軍勢を倒すといった真似をしつつも、イオは周囲の気配は視線を察知するといったような能力はない。
もしこの世界にイオが最初に期待したようにステータスが適応されていたなら、ゴブリンの軍勢を倒したことによってレベルが上がり、気配察知や悪意察知、殺気察知といったようなスキルを習得出来たかもしれない。
そのような状況ではない以上、周囲を見るといった行動をしてしまったのはイオとして当然のことだった。
不幸中の幸いだったのは、そうして周囲の様子を見たことによって誰が自分を狙っているのかを理解出来たことだろう。
視線の先には、数人の男たちがイオのいる方に向かって歩いて来ており、その中の一人にイオは見覚えがあった。
ウルフィに対する態度が我慢出来ないと、叫んだ男だ。
(不味い)
それだけは、イオも分かった。
まさかこの状況で偶然イオと会った、などという流れのはずがない。
偶然に偶然が重なってそのような状況になったとしても、それでもここで会ったのなら先程の件で教育してやろうと思うのは間違いないだだろう。
(どうする? 反撃は……まず無理だし)
レックスが黒き蛇の傭兵に暴行を受けていたときは、向こうがイオを見て油断していたということもあって上手く対処出来た。
それ以外にも、レックスのときは相手が一人だったからというのが大きい。
だが、現在イオの視線の先にはウルフィの信奉者とも呼ぶべき男の他にも数人の仲間がいる。
それが男の仲間なのか、それともただの友人なのか。
どぢらであろうともイオにとっては厄介な相手なのは間違いない。
反撃をする場合、手段として使えるのは杖を武器にした攻撃だけだ。
まさかこんな街中で流星魔法を使う訳にはいかないのだから当然だろう。
もし街中でゴブリンの軍勢を一瞬にして壊滅させたメテオを使おうものなら、それこそこのドレミナが壊滅してもおかしくなかった。
そのような真似がイオに出来るはずもない。
まだこのドレミナに来てからそう時間は経っていない……それこそまだ半日と経っていないが、それでも知り合いはそれなりに出来た。
何よりもドレミナには黎明の覇者という、イオにとっても恩人とも呼ぶべき者たちがいるのだから、流星魔法を使う訳にはいかない。
(あとで軍勢じゃなくて個人を相手に使えるような流星魔法を作らないとな。いや、今はそれより……ここは、逃げるしかない!)
そう判断すると、脱兎という表現が相応しい様子で逃げ出す。
この辺りの素早い判断は、イオならではだろう。
これでイオがもう少し自分の強さに自信があれば、逃げるのではなく立ち向かうという選択をしたかもしれない。
しかし、今のイオは魔法を使えない以上はただの雑魚……よりはゴブリンとの命懸けの鬼ごっこを何度も行ったので、多少は強い雑魚でしかなかった。
「は……?」
まさかイオがこうもあっさり逃げ出すとは思っていなかったのか、これからイオを教育してやるつもりだった男の口から、間の抜けた声が出る。
それでもすぐ我に返ると、慌てたように口を開く。
「くそっ、追うぞ!」
そんな男の言葉に他の者達もすぐに我に返って頷く。
「分かった! 畜生、逃げるなんて卑怯な真似しやがって!」
追う男の一人が逃げたイオに向かって悪態をつくが、イオにしてみれば傭兵でも冒険者でもない自分に、人数を揃えて襲ってくるのは卑怯ではないのかと主張したいだろう。
そんなイオを追って走り出す男たちだったが、当然ながらそのようなことをすれば普通なら目立つ。
……そう、普通なら、だ。
現在のドレミナはゴブリンの軍勢が襲ってきた影響で周辺の村や街から逃げ込んでいる者も多く、またゴブリンの軍勢と戦うために多くの傭兵や冒険者が集まっていた。
そうなれば当然のように多くの騒動が起こり、街の治安を守る警備兵たち忙しくなる。
そんな訳で、イオやそれを追う男たちは警備兵によって見つかるようなこともないまま追いかっけっこを続けることになってしまう。
イオにしてみれば、ゴブリンとの追いかけっこが終わったと思えばこうして人との追いかけっこをすることになるのは勘弁してくれというのが正直なところだったが。




