初めて見た
「ホラ、あの子あの子!」
帝国大の昼休み。木陰のベンチの上から、芝生の上で弁当を広げる学生達を眺めつつ、疲れたため息をついていたケルに、浮ついた声が飛び込んできた。
頭より体を動かす方が得意なケルは、午前中ずっと座学というカリキュラムは苦行でしかない。そんな疲れた頭に浮ついた男の声は、不快そのものだった。
「…うるせーな。」
小声で罵倒しつつ声のした方向を見れば、上級生と思しき男3人が肩を寄せ合って小声で何かを話している。
「うわ。いいかも。」
「だろ? 今年の新入生の中でもトップクラスだよな!」
「かわいい…っていうより美人?」
どうやらケルと同級生でもある、新入生の女子学生の噂らしい。色恋沙汰が苦手なケルは、浮ついた上級生の会話にチッと小さく舌打ちをした。
(ったく、女のケツばっかり追っかけてんじゃねーよ。)
心の中で毒づきつつも、三人の目線の先を追ったのは内緒だ。
別にケルは色恋沙汰が苦手なだけで、女に全く興味が無いとかではない。チャラチャラするのが嫌い、照れくさい、そんな微妙な男心なのだ。
(あー…。まあ、美人のカテゴリだな。)
キャンパスを歩いてこちらに向かってくる女子学生を見て、何となしにケルは持っていた水を口に含む。
ふわふわのウェーブがかかった水色の髪に、同じ色をした大きな瞳。淡い色調の見た目に、背は平均程度、すらっとしていてスタイルも良い。
今まで実習の授業だったのだろう。ローブを纏い、手に持った大きな杖は、後衛で治癒魔法を操るヒーラーそのものだ。か弱くて美人な女が傷の治療をしてくれる、というのは、いつの時代も男の庇護欲をそそる。
(まあ、俺の好みじゃないけど。)
女は面倒だと思っているケルにとって、ああいう「庇ってください」を絵に描いたような女は特に苦手だった。
真綿でくるむように優しく守って、甘い言葉をかける自分の姿を想像するだけで鳥肌もの。ちょっと乱暴なことを言ったらメソメソピーピー泣いて苛々すること間違いなしだし、プレゼントだ記念日だと余計な手間も金もかかりそうだ。
「な、声かけてみねえ?」
「おまっ…! 度胸あるな…。」
「良い出会いには行動あるのみ!」
白い目でケルに見つめられていることなど露知らず、上級生の男の一人が、例の女子に軽快に駆け寄った。後の二人も顔を見合わせた後、その後を追う。
「君、新入生? ヒーラーだよね?」
人懐っこい笑顔を浮かべて、最初に駆け寄った男が声をかける。
声をかけられた女子学生は、透き通った水色の目をぱちりと開いて、その上級生の顔を見た。下ろした髪がふわふわとそよいで、綿菓子のようだ。その顔は驚きに溢れていて、自分の置かれた状況が判らず流されるだろうとケルは予想する。
「ほら、そんなに教科書をいっぱい持って、重たいでしょ? これから昼食? もう学食は席がいっぱいだから俺たちと一緒に喫茶店にでもどう? 荷物持ってあげるよ。」
矢継ぎ早に声をかけながら、着替えと教科書が沢山詰まっていそうな大きな鞄を取ろうと、上級生が人の良い笑顔で手を伸ばす。
通常、見た目の良い女子は、ちやほやされるのに慣れているものだ、とケルは理解している。あの女子の頭が良ければ、自分に群がってきた男を首尾よく利用するだろうし、悪ければグダグダと流されてあの中の誰かにおいしくゲットされるかのどちらかだろう。
(ま、どうなろうが知ったこっちゃないけどね。)
部外者のケルは、水をもう一度口に運びながら、様子を見た。
「ありがとうございます。」
女子はほわりと目を細めて笑った。守ってあげたくなるような愛らしい微笑みに、上級生たちは一瞬目を奪われたように固まる。
「でも、結構ですわ。このくらい自分で持てましてよ。」
さらに微笑みを深くした女子が、きっぱりと上級生の手を押し戻した。
「え?」
断られるなどとは思わなかったのだろう、上級生の方が今度は目を丸くして、女子を見た。
「昼食は、友人と待ち合わせておりますので、ご心配には及びませんわ。気にかけて頂いてありがとうございます。」
満面の笑みで小首をかしげ、少しだけ腰をおとす淑女の礼を取って、彼女は上級生三人の横を颯爽と通り過ぎていった。上級生三人は何も言えないまま、ぽかんとその後姿を見送るだけだ。
一連の様子を見ていたケルは、心の中で盛大に手を叩いて喜んでいた。鬱陶しいチャラチャラした男が美人に瞬殺される様が、小気味良くないわけがない。
そのまま胸のすく思いで、通り過ぎていく女子の顔を見つめる。彼女は淑女の笑みを浮かべたまま颯爽と足を進め、上級生たちから5歩ほど離れたところで、眉を吊り上げて、ふっと怒りの篭ったため息をついた。
(うわ……。)
カツカツとかかとを鳴らしながら通り過ぎていく、自分の胸をスカッとさせてくれた女子の顔を盗み見ながら、ケルはにんまりと笑った。
疲れていたのに、何故だか気持ちも頭もスッキリしていた。
あくる日の昼休み。
今日も午前中いっぱい座学で痛めつけられたケルは、もういっそ午後の講義はさぼってやろうと、図書館の裏手にある、目立たない芝生の上でゴロリと横になっていた。
季節は春で、天気は晴れ。気持ちよくて絶好のサボり日和だ。このまま少し昼寝してやろうと目を瞑っているケルの耳に、いくつかの足音とクスクスという密やかな笑い声が届いた。
(何だ…?)
うっすらと目を開けて音の方を見ると、何人かの女子学生が図書館の裏手の花壇に、バラバラと音を立てながら何かを落しつつ、声をひそめて笑っている。
花壇とはいえ、図書館の影になるような場所だ。何も植えられておらず、耕されてもいない土は、先日の雨で固まり、まだ湿っていた。
とても花壇に種まきしているようには見えず、気になったケルは少しだけ体を起こして様子を見た。ケルの居る場所は、植え込みの多い目立たない芝生の上で、こんなところで休んでいる学生はほぼいないことから、女子生徒たちもケルの存在には全く気づいていない様子だった。
(レポート用紙?)
ばさばさと音をたて湿った土の上に投げ出されているものに目をこらしたケルは、それが紙であることに気づいた。
こんなところにゴミを捨てなくても、キャンパス内に設置されたゴミ箱に捨てれば良いのに何故? という一瞬浮かんだ疑問は、彼女たちの一人の言葉によってすぐさま回答が導き出された。
「泥まみれだわ。いい気味!」
人に見られたくない後暗い行為なのだと認識して、ケルは胸にドロドロした不快なものを感じた。
きらびやかな女子達が、誰かのレポート用紙をわざと泥にまみれさせてほくそえんでいる姿の、何と醜いことか。
「見つかったわ!」
別の女子学生が息せき切って小さく叫ぶ。一瞬、自分が見つかったのかと思ったが、慌てふためいた彼女たちがこちらを見る様子はない。
悪いことをしているという認識はあるのか、逃げようと右往左往しているところへ、どうやらレポートの持ち主らしき女子学生が飛び込んできた。
(うわ、あいつは。)
ケルは眉を上げる。
ふんわりとウェーブのかかった水色の髪に、同じ色の瞳。しかし、その瞳は庇護欲をそそることもなく、静かに怒りの色を称えていた。
「…。」
彼女はチラリと泥にまみれたレポートを見ると、女子たちのうちの一人をぎりと睨んだ。
慌てすぎて立ち去ることが出来なかった女子たちは、まずいことになったという感情を浮かべて、仲間の一人に目線を送る。どうやら彼女がボス格らしい。
「あら、そんなに息をあげて。リスト家ご令嬢ともあろう方が、お下品ね。」
ボス格の女子が嫌味ったらしい声をあげる。どうやら開き直ったようだ。それを皮切りに、周りにいた女子たちが口汚く彼女を罵り始めた。
(女って…。)
見たくもない女の醜い姿に、ケルはますます不快な気分になる。
水色の髪の女子は、黙って暴言を聞きながら、ぶるぶると肩を震わせた。
(あー、泣く。泣くぞ。女ってすぐ泣くよなー。)
何で昼下がりにこんな嫌なものを見るはめになったのかとため息をついた瞬間。
「……ぷっ…くく……あは、あははははっ!」
水色の髪の女子が顔を上げて、声をあげて笑い出した。
(は?)
ケルだけでなく、いじめっ子側の女子もその様子にぽかんと口を開いて彼女を見る。彼女はひとしきり笑った後、目じりに溜まった涙をすくって、まだプルプルと震える肩を抑えながらボス格の女子を見た。
「皆さんって、本当に、仕方のないほどおばかさんですわね! 午後の講義で提出する私のレポートを目茶苦茶にしてやろうって魂胆なのでしょうけれど、行動に移す前に、レポートの中身にもしっかりと目を通すことを助言いたしますわ!」
取り巻きの一人が慌ててレポートを拾って、中身に目を通し、はっとした顔でボス格の女子に差し出した。その中身を見たボス格の顔が、みるみる悔しさに染まる。
「な、何よこれは!」
水色の髪の女子が、その手からレポート用紙をむんずと掴み取って、他の女子にも見えるように突き出す。
「表紙は今日提出のレポートのもの。中身は先週返却された治癒魔法行動学のレポートですわよ。」
どうやらいじめっ子達は、今日提出の彼女のレポートを目茶苦茶にして意地悪してやろうとしていたようだが、まんまと彼女の罠にひっかかったようだ。
すでに返却されたレポートを泥まみれにしたところで、意地悪にも何にもならないのだ。
「朝からこそこそとかぎまわっている様子でしたので、お昼休みの直前に表紙だけ入れ替えて、『わざと』机の上に出しっぱなしにしてみましたら…。本当、面白いくらい予想通りの行動を取られる方々ね!」
彼女は泥にまみれたレポートを全て拾い上げると、バッグの中からレポートがすっぽり入る封筒を取り出して、その中にしまいこむ。
そんなものを準備しているあたり、レポートをよごされることすら想定済みだったようで、ケルは恐れ入った。
レポートの収められた封筒をバッグにしまうと、彼女はゆっくりと立ち上がって、いじめっ子達のひとりひとりの顔を見渡し、
「ほーっほっほっほ! あなた方のオツムで私を陥れようだなんて、100万年早くってよ! 正々堂々、レポートの内容で私と勝負なさいな!」
わざと挑発するように高笑いして、ボス格の女子に微笑みかけた。それは完全に、支配者の微笑み。
「…っ!偽リストのくせに調子に乗るんじゃないわよ! い、いくわよ!」
ボス格の女子は悔しそうに捨て台詞を残し、身を翻して立ち去っていく。その後を取り巻きたちが、全く捻りのない同じ捨て台詞を残して追って行った。
残ったのは、水色の髪の彼女だけだ。
「…はぁ。」
彼女はおおきくため息をつくと、鞄を見つめた。
「偽リスト、ね…。別に家なんて関係ないのに。皆さんは治癒魔法が使えるんだから。」
先ほどとは打って変わって、寂しそうに微笑んで、くるりと身を翻すと、いじめっ子たちとは反対側の方向に立ち去っていった。
彼女の名前は、リヴ・リン・リスト。
優秀なヒーラーを輩出することで有名な、リスト家の嫡子。だが、彼女には治癒魔法の素養が全く無いらしい。
それでも持ち前の頭の良さで、座学では常にトップを独走状態。ヒーラー仲間からのやっかみで苛められても、偽リストなんていう不名誉なあだ名をつけられても、苦しい胸の内をおくびにも出さず、強く輝いて生きている。
そんな彼女が何の因果か、ケルの選考するアタッカークラスの見学に来て。そこで初めて言葉を交わした。
予想どおり、見た目に反してはねっ返りで強がりで、小気味良い奴だった。
こいつが近くにいたら面白い。
そう思ったら、勝手に口から言葉が飛び出ていた。
「お前、アタッカーになれよ。」