表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴァッサーゴの隻眼《雨の日の来訪者》  作者: 奏みくみ
《雨の日の来訪者》
2/7

雨の夜



 ベッドの上で何度も何度も寝返りを繰り返しているうちに、いい加減自分の行動にウンザリしてきた。


 眠れないのに寝ようと頑張るのは不毛だ。そして意外にストレスがかかる。


 無理なもんは無理。


 幸い明日は日曜日だし、大学も館長もお休みの日(成瀬さんは出勤だけど)だ。もうこうなったら……眠くなるまでとことん起きてるしかない!


 今度は「開き直ろう!」と頑張ってみる? 事にした私は、ベッドを降りた。


 施設の時の部屋と違って、ここにはルームメイトもいない。二段ベッドが部屋の半分を占拠してる訳でもない。


 広々としていかにも“お嬢様のお部屋”という部屋。


 眠れない夜に友達とお喋りを楽しんだ小さな四畳半とは訳が違う。


 なんだか少しだけ……寂しい気分になった。


 昼間からずっと止まない雨は、弱いリズムを延々と繰り返している。


 しとしと……雨の音。


 じっとりとした、肌に触れる重い空気。


 広い部屋に一人でいると、寂しさとは似て非なるネガティブ思考に悩まされた。


 ――怖い

 ……まさか、この私が?


 雨の音に混じって小さな声が聞こえた気がして私は窓に向く。


 誰かなんて居るはずない。


 カーテンを開けても暗い夜しか見えない。


 だけど、窓の向こうに何かがあるようなこの変な感じが……とても気味が悪かった。


 こんな事を思うのは昼間会ってしまった幽霊のせいだ、きっと。


 水が滴る程濡れた姿。俯いて見えない顔……更にそれを隠すような長い髪。低い声は酷く気怠そうだった。 



 幽霊を見たのは初めてじゃなかった。


 そういう体質なのか、私は昔からよく“生きていない人”を見ていたから。


 学校でも街中でも。私にはその人たちが普通の人と同じ様に見える。ただ少しだけ影や輪郭が薄く見えるから、自分とは違うのだと区別出来ただけ。


 うっかりすると気が付かずに接してしまい、その度に他人には気味悪がられた。


 そんな事を十数年繰り返してきたんだし。

 幽霊なんて実は慣れっこ。



「……のはず、なんだけどなぁ……」



 今日見たあの人は強烈だった。


 あんなのは初めてで。今もしっかり思い出せるくらい。


 五感に訴えてくる存在の強さは、下手したら影薄く生きてる人間よりも上。


 彼女がまとっていた濡れた土の匂いとか、低い声と共に吐き出される息遣いとか……全部がリアルに、耳と鼻と目に残ってる。


 部屋を出て私はキッチンに向かう事にした。


 何か飲もう……。あたたかいものを飲んで鮮烈なネガティブイメージが弱まれば、眠気も諦めて出て来てくれるかもしれない。



 ***



「陽菜さん? どうしたの、こんな夜中に」



 キッチンが明るかったので「もしかして……」と思ったけど、やっぱり。


 夜中のキッチンに現れた私に、パジャマ姿の私と違ってまだ私服のままの成瀬さんが驚き顔で振り向く。


 薄暗い廊下を歩いてきた私には、成瀬さんの真っ白なシャツはキッチンの明るさよりも眩しかった。思わず数回、大袈裟なまばたきをしてしまう。



「いやあ……ちょっと眠れなくて」


「初めてじゃない? こんな事」


「あ、そ……そうですね」



 夜中にキッチンで鉢合わせ。確かにこんな事は初めてだ。


 そして、これは一つ屋根の下に暮らしてるからこそのシチュエーションなのだと気付き、私は急に恥ずかしくなった。


 成瀬さんは私がここに来る前から、祖父とこの屋敷に住んでいた。


 住み込みで司書をしていた彼は、祖父の仕事や身の回りの手伝いなんかもしていたらしい。


 司書兼秘書。成瀬さんの肩書はそんな所だ。


 ついでに言うと、昼間は家政婦のみやびさんが屋敷内を管理してくれてる。


 成瀬さんに負けず劣らずの、整った顔を持つ敏腕家政婦さん。


 彼女は住み込みではないのかいつの間にか姿を消すので、夜はこうして成瀬さんと私……広い屋敷に二人きりになる。



「成瀬さんは? その格好……もしかしてまだ仕事してたとか?」


「急遽片付けなきゃならない仕事が出来てね」


「こんな夜中まで!? 働き過ぎですよ、ちゃんと休んでください!」


「はいはい、館長。仰せの通りに。でも今は、眠れない陽菜さんに付き合いたいな。駄目?」


「それは……。駄目じゃない……ですけど」


「良かった」



 成瀬さんは頷いて、二つのカップにお茶を淹れてくれた。

 カフェインレスなハーブティーから落ち着く香り。

 この人は本当に……何から何まで親切で優しい人だ――。



 ***



「わあ……良い香りですね。アロマオイル?」


「僕が調合したオイルなんだ。眠れない時にはコレが一番効くと思う」


「調合? 凄いですね、そんな事までやっちゃうんだ……。というか、成瀬さんって本当に司書が本業?」


「え、どうして?」


「実は本業……保育士か看護師か執事でしょ。人の世話焼くのが完璧すぎるもの」


「まさか。司書一筋だよ。趣味が多いだけさ」



 リビングのソファーに並んで座って。私達はアロマポットのキャンドルの灯りと、部屋の隅で灯るアンティークランプだけで過ごす。


 雨音は断続的に。


 成瀬さんの低い声は優しく。


 部屋にはアロマの、甘い花の様な香りが舞う。


 少しだけ沈黙が流れて、その静かな数分が音の無い子守唄みたいで心地良い。



「雨は苦手だったよね?」



 沈黙を破ったのは成瀬さんだった。


 すぐ横に座る成瀬さんを見上げると、彼は窓の向こうに視線を投げたまま。


 彼の目は、窓の向こうなんかよりもっと遠くを見ている気がした。



「うーん……苦手なのかな……? そういえば苦手かも。なんかこういう日って、鬱々としちゃいますよね」


「天候も、精神的な部分に訴えかける要素の一つだから」


「……はあ……。あれ?」



 自然なようでいて、でもどこかに引っかかりを覚える会話。


 雨は苦手か、という話だったけど……成瀬さんの最初の言葉は確認みたいじゃなかった?


『雨は苦手だったよね?』――?



「私……前に雨が苦手とかどうとか、話しましたっけ?」


「ああ、うん……」



 成瀬さんは即答で頷いた。


 そうだったっけ?


 私は考えて、雨について語った記憶があるか探る。


 でも、どうしても思い出せなかった。


 ここにきて一か月……勿論その内に雨の日だって何日かあった。


 その日の事、行動、思い出せる範囲の出来る限りを考えても、やっぱり記憶に雨についての会話があったか思い出せない。


 たわいもない会話過ぎて、膨大な記憶の海に沈んでるんだろう。



「よく覚えてますねぇ、成瀬さん」


「陽菜さんに関することは忘れないよ」


「……っえ」



 言葉が出てこなかった。かわりに頬が沸騰してしまう。


 私はそのまま「あ」とか「う」とか詰まった一文字しか出せず、しまいには視線まで泳いじゃって。


 これじゃあ「動揺してます」とバレバレだ。


 勝手にどんどん熱くなる頬が恥ずかしい。


 たった一言で馬鹿みたいに意識しちゃう浅はかさが、恥ずかしい……。


 

「陽菜さんのことならどんなことでも覚えてるよ。初めて会った時の驚きと困惑に満ちた表情や、戻れる場所があったんだと静かに喜んでいた瞳。ここに来た時の不安、図書館で見せた好奇心――」



 突然、成瀬さんの掌が私の頬に触れた。


 ひんやりした温度が熱くなっていたそこをふわりと包み、温と冷が混じり始める。



「……な、成瀬さ……ん?」


「――僕を見る……澄んだ眼」


「あ、あの……」



 心臓が止まるかと思った。


 もともと成瀬さんは距離に躊躇しないところがある。


 彼自身のパーソナルスペースは随分と寛容らしく密接距離は当たり前で、その距離の近さに何度度肝を抜かれた事か……。


 でも、こんな風に触れられたのは初めてだ。


 仄明かりの中でこちらを見つめる、前髪の奥に隠れがちな成瀬さんの目。


 目では何かを囁いてるのに唇から音は漏れない。


 そこから生まれた沈黙は、さっき感じた心地良さとははるかに違っていた。


 しっとりとした甘い気怠さ。


 何故こんな感覚を知ってるのか分からないけど、全身が蕩けそうになる。


 部屋に漂う甘い花の香りが、その感覚を更に強くさせていた。


 ……朦朧としてくるのは、のぼせ上った自分のせい?


 それとも、この部屋に蔓延する甘い香りと、成瀬さんが放つ妙な色気のせい……?


 どうしよう。

 クラクラする――。

 


「……ごめん。今のちょっと気持ち悪かったかも。忘れて」



 私は無言で首を振った。



「……あ。か、香り」


「香り?」


「これって薔薇とかですか? ……すごく良い匂いですよね。アロマオイル……」


「うん。……数種の薔薇をメインに誘眠作用のあるハーブ等を配合してる。それから――」



 場を誤魔化そうと自分から話を振ったくせに、私はそれをぼんやりと聞いていた。


 成瀬さんの声が、近くて遠い。


 時々急降下する意識を感じて、どうやら今説明を受けている通り、成瀬さんの作ったアロマが効いているんだと分かった。



「効いてきた? いいよ、寝てしまっても。ちゃんと部屋までつれてってあげるから」



 クスクスと小さな笑い声。


 え!? いま笑った?


 と、戸惑った瞬間にはもうソファーに転がっていた。成瀬さんに押し倒される格好で。



「……あ、れ?」


「僕は陽菜さんの方がいい香りだと思う」


「……いや、それはないですね」


「自分では気付いてないだけだよ」



 真上で微笑む成瀬さんを見上げつつ、眠気と怠さと気恥ずかしさに立ち向かう。


 駄目だ。あっさり負けそう……。


 押し倒されてるという緊急事態なのに、思考がまとまらない。


 これは……自分で思ってるよりも私は成瀬さんに心を許してる……から?


 ――いや、

 違う、単に眠い。

 とにかく、眠い。

 ただそれだけ。

 効き過ぎだ、成瀬さんのアロマ……


 完全に夢の世界へ落ちそうになってた私。


 瞼の重さに耐えきれなくなってきた時、耳へ急に強く降り出した雨音が飛び込んできた。


 風もあるのか窓に打ち付ける雨粒の音が聞こえる。


 ああ、そうか。

 そう言えば今日はずっと



「あめ……」



 ぼそりと呟いた私に、成瀬さんはピクリと反応した。



「私……、本当は雨苦手っていうより……キライなんですよね」



 眠れない夜のお喋り会は、いつも雨の日開催だった。


 雨の日にはいつも“ヨクナイコト”が起きて、気分は落ち込み、そして心のどこかで「ああ、やっぱり」と思った。


 ジンクスはついてまわる。重なれば重なる程、呪いなんじゃないかと一人で頭を抱えた。


 だから眠れなくて。


 はしゃぎ疲れてルームメイトが寝てしまうと、私はひたすら眠りが来るのを待った。


 待つことを諦めたのはとっくの昔なのに……。


 エンドレスに続く嫌な気分。



「雨はキライ」


「陽菜さん……」



 成瀬さんの声を聞きながら、私の意識は落ちていく。



「ふふっ……でも可笑しいんです。今日は成瀬さんのおかげで待ってない。嫌な日だったのもついさっまで忘れてた。効きすぎですよ、成瀬さんのアロマ……」


「待ってない?」



 微睡む時間はほとんど無かった。


 不思議そうに呟く成瀬さんの表情はもう見れなかった。でも、そのかわりに優しい音が目を閉じた闇の中に降ってきて。



「……おやすみなさい。陽菜さん」



 おでこに、あたたかな温度が触れたような気が、する……――。


 

 

  


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ