負け犬たち
◇
「サラマンに頼んでみよう」
遺体処理と清掃作業の指揮を執るダグファイアに、ジュールが提案した。白港で復興支援中のサラマンに使いを出し、彼に黒港に来てもらうのだ。
「サラマン?」
徹夜明けのダグファイアは、疲れた顔でただ繰り返した。
彼は今、街の中心にある広場に出向き、衛士や住民から来る質問や要請に直接対応しているところだった。あの冬に続きこの厄災だ。とにかく人手が足りなかった。
ジュールも重機さながらに仕事を熟している。
パンドウラの追跡に向かいたいという思いはあったが、人里のない禁足地に逃げたあちらより、黒港の人々を優先させたのだ。
秋も近づいたとはいえ、日中はまだ気温も高い。死体を放置していれば、すぐに腐敗して伝染病などの二次災害を引き起こしかねない。人手が必要だ。
それにルクスという少年に尋ねたいことも多く残されていた。彼が目を覚ますまで、ただ待つよりは手伝いを――というわけだ。
ジュールは怪物騎士の壊した街の後始末を終えて、一汗拭きながら続きを言う。
「綺羅港というところの領主の三男坊だ。今は白港にいて、復興を支援している。だが、あそこはもうかなり作業が進んでいた。こちらに手を割いてもらえるかもしれない」
「本当にあのサラマンなのだな……。いや、それならお願いできるだろうか。白港への使いはこちらで用立てよう」
皮肉な縁だと思いながら、ダグファイアはそう答えた。
六剣学園にいたころ、リピュアと合わせて面識があったのだ。自惚れ屋で愚かだったころの自分を知る相手だ。進んで会いたくはなかったが、街のことを思えば些細な感傷だった。「それに……」とダグファイアは諦念交じりに思う。
(支援が来たときには、俺は縛り首になった後かも知れないからな……)
ダグファイアは自分の首に触れて自嘲する。
魔剣マフィアのボスだったマルフィアは死に、幹部も自分とナースだけになった。ダグファイアが鍛えた精鋭たちの多くも、黒鉄城で食人屍となって死んだ。
そもそもが、悪神事件のどさくさに紛れて街の主権を奪ったような組織だ。
街を守るために――マルフィアはその一念だったし、ダグファイアも私腹を肥やす余裕などなかったが、住民からどのように見られていたか自信は皆無だった。
実効支配する力が落ちた今、イグルーのような旧議会派の戦力に襲われたら抵抗する力は残されていない。
ダグファイアは自分が死ぬのも時間の問題だと思っていた。
ただ、街の住民たちは彼のことをそのようには見ていなかった。
「あの……負け犬さんこれはどうしたら……?」
「ああ、その、負け犬様、指示された路地は終わりましたが次は?」
「ええっと、負け犬さん? 薬の備蓄ってまだありますか……?」
と、ジュールといる間もひっきりなしで、ダグファイアのもとには指示を請う住民や衛士たちが押しかけていた。ダグファイアも淡々とそれに応じている。
ジュールが「貴方は頼られているな」と笑うと、ダグファイアは怪訝な顔をした。助けられた恩があるので口にしなかったが、そうでなければ「何を言っているんだ、こいつ」とでも言いそうな顔だった。
ジュールはその怪訝な顔を見て苦笑する。
別にダグファイアの事情を深く知っているわけではなかった。
ただ、〈負け犬〉なんて仇名を自分から名乗る男だ。自己評価が異常に低いことは流石に察せられる。
「みんな、貴方を頼っている」
「いや、他に舵取りをするものがいなかっただけだ」
「そういうときに舵取りを任せられるのは、頼られていると言わないのか?」
「…………」
「まぁ、なんだ。貴方の過去に何があったかは知らないが、その仇名はどこかに返して来たらどうだ? 黒港の人たちがとても呼びにくそうにしている」
ジュールが笑って指摘すると、ダグファイアは口をへの字に曲げた。
二人のやり取りを聞いていた住民や衛士たちは、ジュールに釣られて彼と同じように笑っていた。
というか、本当に呼びにくかったのだ。
人伝にジュールとのやり取りが広まったのか、気づくと広場の大多数が笑っている。そのおかげで、ダグファイアは余計に口をひん曲げるハメになった。
◆
ルクスが目を覚ましたのは、昼過ぎのことだった。
丸一日近く眠っていたことになる。
目覚めた場所は、懐かしい黒鉄城の一室だった。あれから何があったのか、ほとんど想像できなかった。ただ一つ、ルクスにわかったのは「付いていくことができなかった」ということだ。彼の枕元には、銀色の鱗が三枚だけ置かれていた。
「具合はどうですか?」
ルクスは寝たままの姿勢で声の方に顔を向ける。
ルクスの知らない女がいた。
オウラも着ていた見慣れない装束に身を包んだ、小さな女だ。ルクスはぼんやり少女を眺めながら、「ああ」と思い出した。知らないが、見た覚えはある。
「アンタ、勇者と一緒にいた……」
「辞書乙女のエルンです」
「そういえば、オウラが前に……」
――聖剣の説明をするとき、自分と間違えてその名前を呼んでいた。
そう言いかけて、ルクスは口を噤んだ。顔を戻して天井を見上げる。もう何もかも、どうでもよかった。会話をするのも面倒くさい。それにどうせ、このままじっとしていれば、ダグファイアか、最悪ナースあたりに殺されるだろう。
そう思って黙っていたら、ムッとした顔のエルンが真上から覗き込んだ。
「意味深な感じに口を閉じないでください。オウラお姉さまと何があったのか、聞かせてもらいますからね」
「…………」
「はっ、置いてかれたからっていじけて。まるで子どもですね」
エルンがあまりにも小憎たらしい顔で言うので、黙っているつもりだったルクスはついつい反論したくなった。だから、見たままのことを言った。
「……お前だってチビガキだろ」
「これだから美的感覚の育っていないおこちゃまは困るのです! いいですか、小さいものはすべからく可愛いのです! 小さい=可愛い!」
「何が小さいものは可愛いだ。オウラの方がお前の百倍可愛いわ」
「ははぁん。さてはアナタ、お姉さまにほの字ですねッ!?」
「……悪いかよ」
「悪い! 分不相応です! お姉さまは無自覚にモテるのです! モテモテです! アナタのようなおこちゃま、相手にされるはずがないのです!」
「んだとこの野郎! そんなの、まだわかんないだろ!」
「もうわかっているのです、アナタは置いていかれたのですから!」
「んなもん知ったことか! だって俺はまだ――」
――まだ、何も伝えられていない。
そう言いかけて、ルクスは再び口を噤んだ。
エルンはそれを見計らったように、声の調子を変えてポツポツと語り掛ける。
「私とジュールさんは、オウラお姉さまを追います」
「……できるのか?」
「できますよぅ。だって、あの人は勇者ですから」
エルンは根拠にならないことを、胸を張って言う。
根拠にならないはずなのに、その自慢げな顔を見ていると、まるで揺るぎない事実であるかのように思われた。
エルンはその無駄に自信満々な顔でさらに続けた。
「でも、アナタの知っていることを教えてもらえたら、もっと早く済むかも。伝え損なったことも、私たちが伝えてあげられるかも知れないですね」
――さぁ、どうします?
エルンは取引を持ち掛ける悪魔のような顔を作り、尋ねる。ルクスはその悪魔と呼ぶにはいささか以上に貫禄不足な顔を眺めるうちに毒気が抜けた。
(本当はもう少しくらい、拗ねてるつもりだったけど……)
いじけている子ども。
堂々と指摘された後では、流石にやりづらい。
ルクスは疲れと諦めの滲む微笑を浮かべて言った。
「まずは水を一杯くれよ、ちんちくりん」
そう言うルクスの表情は、少しだけダグファイアに似ていた。




