怪物乙女③
◇
怪物騎士。
魚港のクレアやルアーたちが討ち損なった、怪物指揮官。
あの冬以来消息を絶っていた怪物たちが、同胞を救いに来たように現れた。
彼らの騎乗する並み外れて大きい馬は、クレアの話した通り異様に速い。通常の馬の二倍以上の速度で迫り、畳み掛けるようにジュールに襲い掛かる。
ジュールは一体目の攻撃を剣で弾き、轢き殺そうと迫る二体目を馬ごと殴り飛ばすと、三体目の足下を縫うように躱し、四体目の脇腹に斬り返した。
(どれも浅いか……)
ジュールは通り過ぎていった四体を振り返る。
怪物騎士は四体とも健在だ。
殴り飛ばした二体目も、すでに体勢を立て直している。
怪物騎士は一糸乱れぬ連携と、馬による素早い離脱を繰り返した。
怪物騎士には障害物という概念がないらしく、進行上にあるすべてを薙ぎ倒しながら向かってくる。ジュールはそれを驚異的な反応でいなし、一歩も引かずにカウンターを狙った。
勇者と怪物の激しい攻防。
ルクスにしてみれば、どちらも怪獣だった。食人屍なんてこの怪獣みたいな連中に比べたらただのマスコットだ。
桁違いの戦いを前にして、ルクスは途方に暮れた。
食人屍の発生、変態魔法使い、オウラの怪物化だけでも頭が破裂寸前だったのに、そこに勇者まで来て、さらに今度は異形の騎士が四体も現れた。
ルクスは奮い立たせた覚悟を踏みにじられて、成す術なく立ち尽くしている。
「なんだよ、これ……」
そう呟く彼の後ろで、オウラが苦しげに呻いた。ルクスは目の前の怪獣大戦争は一先ず無視して、オウラに駆け寄る。
オウラはパンドウラと翼を支えにしながら、ふらふらと身体を起こした。ルクスは彼女に肩を貸しながら声をかける。
「オウラ、動けるか? 動けるならとっとずらかろう。こんな怪獣どもの戦いに付き合ってたら、命がいくつあっても足んないよ」
「貴方は……どうして?」
オウラは理解できない顔でルクスを見る。自分の翼も鱗も見せた。すでに真っ当な人間ではないとわかったはずだ。すべての絆を断ち切ったはずだ。
それなのに。
オウラの困惑を察したのか、ルクスは苦笑いを浮かべながら顎をしゃくった。
促されたオウラがそちらを見ると、ジュールと怪物騎士が荒れ狂う竜巻のような戦闘を繰り広げている。もはや災害同士の殴り合いだ。
「あっちを見た後じゃ、オウラの方が全然まともだ」
「……そうかもしれないわね」
オウラは、誤差のように小さく、困ったように少しだけ微笑んだ。
ルクスはその微笑みにほっとした。
その微笑みを浮かべてくれるのなら、人間でも怪物でも構わなかった。
(ああ、俺は本当にこの人が好きなんだ……)
ルクスはその控えめな笑みのためなら、何度でも心を奮い立たせようと思った。
本物の覚悟を決めようと誓った。
ストームに負けないくらいの、掛け値なしの命懸けを――今度こそ。
ルクスは全身の痛みも忘れて、子犬のように笑いながらオウラに尋ねた。
「どこか行きたい場所は?」
「そうね。壁の向こう、連れて行ってもらえる……」
「壁って、西のでかい壁のこと?」
「そう。禁足地でやらなきゃ、いけないことがあるの……」
「わかった」
ルクスとオウラは、お互いを支え合うようにのろのろと歩き出す。
ジュールは二人の動きに気づいていたが、怪物騎士がここぞとばかりに猛攻を畳み掛けてきた。露骨な足止めだ。怪物騎士は踏み込みの浅い攻撃を繰り返しながら、危険を冒さない程度に距離を置き、機動力を活かして張り付いていた。
払っても、払っても、付きまとってくる、御馳走に集るコバエのようだ。
エルンは、ジュールの背後からオウラの背中に向かって叫んだ。
「オウラお姉さまっ!」
「追って来ないでね、エルン。貴女を殺したくはないから」
オウラは振り返らずに答えた。
そして、ルクスとオウラは路地の暗がりに消えていった。
◆
雨は少しずつ勢いを増していた。
ルクスとオウラは黒港の西端にある巨大な壁に向かって歩いていた。
途中、食人屍にはほとんど擦れ違わなかった。ルクスは、あの勇者やナースたちが、上手くやったのだろうと推察した。たまに擦れ違ったとしても、パンドウラが手元にある限り、襲われることはなかった。
二人は住民の避難した静かな街路をゆっくり進んでいく。
急ごうにも身体が付いてこなかった。
ルクスにしろ、オウラにしろ、受けた傷は軽くない。
特にルクスには、ストーム戦から続く負傷も多かった。ギヴァーから受けた傷が、それに追い打ちをかけている。痛みで全身が熱く、頭もぼんやりしてきていた。それでも、オウラを支えるルクスは、痛みなんてないみたいに笑った。
「禁足地ってさ、何があるの?」
遠くに見える壁を見上げながら、ルクスは尋ねた。
オウラは何か答えかけて、思い直したように口を噤んだ。王導の剣も黙っている。ルクスは肩を竦めて「まぁ、いいよ」と笑った。
笑いながら、ルクスは言った。
「どうせ行けばわかるし。オウラの行くところなら、とにかく付いてくからさ」
ルクスはそれから取り留めもなく喋った。
頭に思いついたことを適当に口にする。半分は街が静かで落ち着かなかったのと、もう半分は喋っていないと気を失いそうだったからだ。
黒鉄城のベッドが気持ちよかったこと。ストームがやっぱり強かったこと。ダグファイアが厨房のお菓子を摘まみ食いしていたこと。しかも、レッドに見張りまでやらせていた。聖剣管理の仕事が意外に面白かったこと。ナースは包帯の下に服を着ているのか?
他にも、もっとたくさんのくだらないこと。
ドロックの足が臭いらしいこと。ストームと確かめに行ったけど、失敗したこと。ナースと一緒に中庭で流れる雲を数えたこと。適当に喋っていたはずが、気づくと魔剣マフィアのことばかりだった。
ルクスの頬を雨粒が伝い、そのいくつかが唇を濡らした。
塩辛かった。
『貴様は不幸に酔っているだけの矮小なガキだ』
『自分が救われていたことに気づきもしない』
ギヴァーの言葉が、今さらのように意味を持った。
ルクスは「あまりに馬鹿だ」と笑った。笑うしかなかった。それ以上言葉にするには何もかも辛過ぎた。引き返すには遅すぎた。
そして口を閉ざすと、ルクスはもう意識を保っていられなかった。
「――――……」
ルクスが前のめりに倒れる。
水たまりの上に横たわると、熱に浮かされてそれ以上動けなかった。
オウラは翼で傘を作り、膝を付いて彼の横顔に視線を落とす。
慕われていたことは、なんとなくだがわかっていた。
守ってくれたことも、ぼんやりと見えていた。
――無自覚馬鹿。
そう呼んだ、二人目の人間だった。
だからだろう、少しだけ彼と重ねていた。
「…………」
オウラはルクスの手から王導の剣を抜き取り、静かに立ち上がった。
雨に濡れた髪を掻き上げ、西の空を見上げる。
壁はもうすぐそこにあった。
『彼は置いていくのね』
王導の剣が囁いた。
オウラが黙っていると『正しい判断よ』とも。
「…………」
オウラは銀色の翼を広げ、壁の向こうに飛び立った。ルクスの前には、抜け落ちた数枚の鱗が残されていた。
今のルクスにはそれだけだ。
目指すものも、受け入れてくれた場所も、導いてくれる武器も、求めた女性すらも――何もかもを失い、手放し、台無しにして、それだけが彼の手もとに残った。




