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怪物乙女②

        ◇


 オウラは一歩踏み込むと、両腕を振り上げ、左右一対の翼を同時に横薙ぎした。


 銀色の鱗に覆われた翼は、それ自体が強靭な刃と化す。


 ジュールは怪物化した右腕と勇者の剣で、左右同時の攻撃を受け止めた。けれど、両腕の塞がったジュールに、今度は二本の剣が振り下ろされる。


 パンドウラと王導の剣。


 無防備な頭部を切り刻むはずだった二本は、しかし、ジュールに届かなかった。それよりも速く、ジュールの右拳がオウラの脇腹を捕らえている。

 防御に出された右腕が、鍔迫り合いするように銀色の翼を押さえたまま、がら空きの胴体に滑り込む。


 勢いを削がれながら、なおも鋭くオウラに届いた右拳。


 ジュールがそのまま腕を振り抜くと、オウラが藁人形のように吹き飛んだ。オウラの身体は市場に並ぶ屋台に突っ込み、屋台の支柱を折るとその瓦礫に埋もれてしまう。翼から剥がれ落ちた銀色の鱗が、鳥の羽のように宙を舞っていた。


「オウラお姉さまッ!」

「エルン、前に出るな」


 ジュールは駆け寄ろうとするエルンを押し止める。

 銀翼が瓦礫を跳ね上げ、オウラがふらふらと立ち上がった。

 殴られた脇腹を庇うように背中を丸めて、苦しそうに咳をしている。ジュールの右腕は、大抵の怪物を一撃で屠って来た代物だ。多少勢いを削がれようと、当たれば無事では済まない。


 経験に裏付けられた対応力。

 強者との戦いの中で磨かれた技術力。

 絶望を乗り越えて手に入れた右腕の膂力。


 多くの出会いに恵まれ、親友と師を得て開花した比類なき才能だ。


 王導の剣が、オウラにだけ聞こえる声で囁いた。


『これが〈カー〉を退けた人間の実力。再生体である彼が不完全だったことを差し引いても、やはり相手をするべきではないわね。人間の形をしているだけで、まったく人間の範疇を越えているじゃない。

 ホント、どういうタイミングの悪さかしら。それとも、いるべきときに、いるべき場所にいることも、勇者の資質なのかしらね』


「私は……認めない……」


『認めたくない、ね。いいでしょう。私も可能な限り力を貸してあげる。パンドウラは私にとっても、貴女の願いのためにも、必要なものだもの』


 オウラは霞む目を凝らして二振りの剣を構える。

 その立ち姿は、先ほどまでとはいささか趣が異なっていた。今のオウラからは、剣術の嗜みが見て取れる。ルクスをしてストームに匹敵せしめた、王導の剣による身体操作だ。


 ジュールもオウラの変化に気づき、油断なく左手の剣を構える。


 オウラが翼で雨粒を払い、攻め込んだ。


 二枚の銀翼に、二振りの剣。


 計四枚の刃が閃く様は、一種の舞のようだった。


 舞うオウラの姿は、美しかった。感動的でさえあった。まるでの剣の花だ。


 そして、その花は十分に鋭かった。


 その鋭さは一流の剣士にも届き得たはずだ。


 相手が、彼でさえなかったら。



「――ッッせえええああああ!」



 突き出された右拳が、四枚の刃をすり抜けて目標を捕らえる。

 無茶苦茶な正面突破だが、同時に正確無比だった。


 針の穴をまとめていくつも通すような、技量に裏打ちされた一撃。


 オウラは放物線を描くように殴り飛ばされて、翼から剥がれた鱗が宙を舞う。そして、石畳に落ちたオウラは何度か激しく転がり、意識を失って動かなくなった。


「オウラお姉さ――ぐえっ!」

「逸るな。殺してはいない」


 ジュールは駆け出そうとするエルンの首根っこを掴む。

 けれどその隙に、ジュールの横を駆け抜ける影があった。影はオウラの側にしゃがみ込むと、彼女の手から剣を取り、庇うようにそれを構える。


 ルクスだった。


「ぐっ……うううううっ」


 ルクスは王導の剣を持ったが、膝の震えを隠すことさえできていなかった。

 全身がズキズキと痛んだ。

 ギヴァーの言葉に打ちのめされてもいた。

 自分が惨めで、矮小で、オウラの隣に立つことすら値しない臆病者だと嫌でも気づかされていた。死に怯える矮小なガキだと思い知った。


 ただ、ひとりぼっちで惨めなのが嫌だった、下らない男だ。


 ガキと呼ばれて当然の、甘ったれだ。


 自覚した。思い知った。心が擦り切れるほどに理解した。「初めから勝負の舞台に上がってさえいない」なんて嘯いて自分の弱さから目を逸らしてきた。きっと勝負する方法はいくらでもあったに違いない。ストームが、そうだったように。


 自分は、負けを認めることすらできない、最低の〈負け犬〉だった。


 だから、ルクスは()戦うことを選んだ。


 役者不足は先刻承知だ。

 無様に震えて、痛みに涙を流しながら、歯を食いしばり、輝かしい勇者を睨み上げる。下手をすれば、懇願しているようにも見えてしまいそうなその目で、それでも、威嚇するように牙を剥いた。

 負け犬にだって牙はあるのだと、主張するために。見せつけるために。


「ぐるるるうううッ……」


 パンドウラを求めたことが間違いだったとしても。

 本当は絶望なんか求めてなかったとわかっても。

 それでもまだ、否定されていないものがある。


 勝負を降りるには早いものがある。


 敗色濃厚だったとしても、万に一つの勝ち目も望めないとしても。


 それがつまらない劣情なのだとしても。


 紛れもなく初めての想いだったから。

 このオウラへの恋情のために、戦うことを始めてみようと思う。




「来い、勇者ッ――()()()()()()()()()ッ!」




 負け犬が、ようやく吠えた。

 それは決意の咆哮だった。


 けれど、世界は少年の覚悟や想いを無視して回り続ける。あの冬、絶望が始まったときのように。そして、その絶望が突然終わったときのように。


 ルクスが叫んだ直後、四頭の馬の嘶きがそれを掻き消した。


 嘶きは雷鳴のように轟くと、大地を割るがごとき蹄の音が続く。異様に大きい軍馬と、揃いの黒い甲冑を纏った四つの影が、石畳を、屋根を、壁を、縦横無尽に駆けながら、ジュールたちを取り囲んだ。


 怪物の残党。


 聖剣を操る四体の〈怪物騎士〉だった。


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