怪物乙女①
◇
「全然発動してるじゃないか、パンドウラ」
ジュールがぼやいても、背中に引っ付いているエルンは珍しく黙っていた。
彼らは今、ダグファイアに最近の出来事を聞いた後で、パンドウラを探すために街を駆け回っていた。黒鉄城までの道中で派手に食人屍は減らしていたので、残りの対応はダグファイアとナースに任せたのだ。
ジュールたちは元凶のパンドウラを破壊するために動いている。
エルンはオウラの名前を聞いてからというもの、思い詰めた様子だった。
オウラが生きていたという安堵と、パンドウラの起動と同時に姿を消したことに対する疑念。パンドウラの特性の解放には、〈鍵言葉〉が必要になるという事実。エルンは図太い根性と並外れた図々しさを持っているが、楽観主義なわけではなかった。
膨大な知識を適切に扱える程度には、頭の回転も速い。
エルンは予感という曖昧な形ではなく、嫌な予想を思い描くことができた。
ジュールにも似たような経験はある。
かつて、アウロラを、ドグを、その手で討ったのだから。
ジュールとエルンは、市場のある通りに辿り着いた。
「オウラ、お姉さま……?」
二人は、目の前の光景を――老人の遺体と、ボロボロで呻いている少年と、銀色の翼を持つ女を見て、そして、その女の提げる二振りの剣を視界に収めた。
エルンに呼ばれた女は、銀色の翼越しに二人を振り返る。
「生きていたのね、エルン」
銀翼の女が無表情に呟いた。
エルンの知るオウラの面影が、声音が、確かにそこにあった。同時に彼女の腰の翼、両腕を覆う銀色の鱗は、怪物の身体で間違いない。
エルンはジュールの右腕を見る。
オウラのも同じであって欲しかった。
オウラも絶望を乗り越えてくれていることを願った。
そのオウラが、身体の向きを変えて、正面からエルンとジュールを見据えた。
「その右腕。そう、隣の彼が悪神を討ったあの……」
「ああ、その通りだ」
そう答えるジュールは、まだ剣を抜いていない。
怪物退治の流儀は変わっていなかった。
相手が怪物だとハッキリするまでは、こちらから抜くことはない。
ジュールは「どちらがそうだ?」とオウラから目を離さずに尋ねた。
エルンは「うねうねしている方がパンドウラです」と答える。
ジュールは右腕に火を灯しながら、オウラに言った。
「パンドウラを渡してくれ。その剣はこの場で完全に破壊する」
「純ルナ鉱石製の聖剣を、破壊する?」
「俺の右腕なら可能だ。原型を留めないほどに溶かしてみせる」
ジュールはオウラの一挙手一投足に注意を払いながら答える。
敵意は見せず、けれど、妥協はしない程度に強硬な姿勢だ。あの悲劇を繰り返さないと思っていながら、悲劇を未然に防ぐことができなかった。
そのことが、ジュールに決然とした態度を取らせていた。
「勇者を名乗るものとして、その剣は見過ごせない」
「勇者を名乗るものとして」
「そうだ。俺は勇者の――」
「でも、貴方は私の勇者じゃない」
オウラのそれは静かな主張だった。
声を荒げているわけではない。むしろ、落ち着き払っているようにも見えた。けれど、その口調にはどこか反論を許さない拒絶があった。
オウラは、自分の前で〈勇者〉を名乗るなと、言外に強く訴えている。
ジュールはまだ剣を抜かない。
オウラが足を前後に軽く開き、踏み込む準備を終えた。
石畳を打つ雨の音だけが、嫌に大きくエルンの耳朶を打つ。目に見えない緊張感が、雨音以外を呑み込んでいた。まだ剣は抜かない。
そして、ジュールは左手を剣の柄に伸ばす直前、ポツリと呟いた。
「エルン、すまない」
言い切るのと、ほぼ同時だった。
オウラの踏み込みに合わせて、ジュールは剣を抜き放った。




