邂逅③
◆
「くッ――――」
ルクスはパンドウラの重い一撃を、王導の剣で受け止めた。
けれど、両手が痺れるほどの衝撃に思わず体幹が崩れる。
ギヴァーはぐらつくルクスを蹴り倒すと、王導の剣を握る彼の手を踏みつけた。
「ぐうううッ!」
「手癖の悪い子どもには躾が必要だ。まだ足りぬ」
彼らは先ほどから、何度も、何度も、同じことを繰り返している。
ギヴァーは完全にルクスをいたぶり、遊んでいた。
王導の剣の〈相手の思惑を察知する〉能力は、ギヴァーに封じ込まれている。
その剣を作ったのも、記憶・思考に介入する魔法を開発したのも、全盛期のギヴァー本人だからだ。
王導の剣は、ギヴァーが微力ながら魔法を取り戻しているなど、予想だにしていなかった。だから今、ルクスと王導の剣は、ギヴァーに手も足も出ないのだ。
『この陰険ッ、粘着魔ッ、滅びろッ!』
役立たずに成り下がった王導の剣は、もはや悪口を叩く棒だ。
ただ、本来は聞こえないはずのその悪口は、魔法で干渉しているギヴァーには聞こえてしまうようだった。
手も足も出ないが、精神にはチクチクとダメージを与えている。
王導の剣に罵倒されると、地味に傷つくらしいのだ。
ギヴァーはルクスを再び追い回しながら、歳不相応な情けない声を出す。
「マリン、そんなに酷いことを言わないでおくれよ。僕は君に会うために、わざわざこんな辺境の地まで帰って来たのだよ?」
『ストーカー行為を恩着せがましく言うなッ、パープリン野郎!』
「どうしてそんなに邪険にするんだい? 今や僕だけじゃないか、君に匹敵するほどの魔法使いは。わかった照れ隠しだね!? 昨今流行りのツンデレ・ムーブだね!?」
『純粋培養悪意百パーセントだわ、このオタンコナス!』
「人が死にものッ、狂いだってのにッ、夫婦漫才してんじゃねぇぞ!」
ルクスが低く踏み込み、足を払うように王導の剣を振り抜く。
しかし、ギヴァーは余裕綽々で躱すと、ルクスの横っ面を蹴り飛ばした。
ギヴァーの動きはストームに比べれば欠伸が出るレベルだ。だが、王導の剣の助言なしではそれにすら歯が立たない。
「ぐがっ!」
ルクスは雨に濡れた石畳の上を転がり、泥や汚水に塗れる。
「汚れネズミには似合いの恰好だ」
そう吐き捨てるギヴァーは、王導の剣に対する態度とは打って変わり、冷め切った視線をルクスに注いだ。
その白濁した目は、ルクスのすべてを見透かしている。
「死にもの狂いなどと笑わせる。貴様の正体は、死に怯える矮小な子どもだ」
ギヴァーは無造作にルクスへと近づく。
ルクスは怯えを隠すように咆哮を上げて王導の剣を打ち込んだ。
「児戯だな」
ギヴァーはパンドウラで軽く弾き返す。ルクスは何度も打ち込むが、ギヴァーは「評価に値しない」と片手で弾き返した。
そして、ルクスの体勢が崩れると、その鳩尾に強烈な膝蹴りが抉り込む。
ルクスは胃液を吐き出し、背中を丸めて蹲った。
ギヴァーは左手でパンドウラを引きずり、右手でルクスの顔面を鷲掴みにした。枯れ枝のような指が、見た目に反して万力並みの力でルクスの頭蓋を締め付ける。
「ぐがっ、がああああ……」
「恐怖しているな。わかる。わかるぞ。私にはすべてわかる。貴様の記憶など収拾する価値すらない。貴様程度の不幸は見飽きている。貴様のようなドブネズミどもは、いつの時代にも掃いて捨てるほどに溢れているからな」
ギヴァーは右手にさらなる力を籠め、片腕でルクスの身体を持ち上げた。
ルクスは痛みに喘ぎ、もがいているうちに、王導の剣を手放す。
石畳の上に剣が落ちる。ギヴァーはそれでようやくルクスから興味を失った。ルクスを解放すると、王導の剣に手を伸ばす。
――が、ギヴァーのその手は空を切った。
手の届く寸前で、ルクスが王導の剣を蹴り飛ばしたのだ。
横滑りした王導の剣を見て、ギヴァーはルクスを一瞥する。
ルクスはボロボロの状態で、小憎たらしく笑った。
ギヴァーがキレた。
ギヴァーはパンドウラを地面に突き立てると、徹底的にルクスを痛めつけた。
蹴りが鳩尾を抉り、拳が鼻骨を折る。頭を何度も地面に叩き付け、乱暴に引きずり回し、ゴミのように踏み躙った。容赦のない暴力を浴びせながら、ギヴァーはさらに罵倒する。
「意地もなく、主義もなく、主張もなければ、展望もない。貴様にあるのは十把一絡げの不幸に、つまらない劣情、ありふれた劣等感、それだけだ。私にはわかる。貴様は不幸に酔っているだけの矮小なガキだ。自分が救われていたことに気づきもしない。
貴様の終末願望など、張りぼてに過ぎない。
酒場の飲んだくれが語る与太話と大差ない。
幼子の掲げる将来の夢ほども実現性がない。
貴様には切実さがない。覚悟が足りない。初志を貫徹する根気がない。道筋を立てる聡明さは皆無と言っていい。王の器には到底及ばず、舞台の端役にすら値しない矮小で平凡なネズミ風情が、よくも僕のマリンを足蹴にしたなッ!」
ルクスはボロ雑巾のように転がされた。
次第に意識も薄れてくる。
ギヴァーは蹴り続けて疲れたのか、息を切らし、石畳を砕いて突き立つパンドウラに手を伸ばした。トドメを刺すつもりになったのだ。
「はぁ、はぁ、これで終わりだ。死して初めて少しは役立つものになれ」
ルクスは惨めに涙を流しながら、その紫がかった刃を眺めていた。しかし、ギヴァーはトドメの手を止めて、濁った双眸を王導の剣の方に向ける。
ルクスもギヴァーの視線を辿り、そちらを見た。
オウラが、そこに立っていた。
彼女はルクスの見慣れない装束に身を包んでいる。
辞書乙女の巫女服だ。
オウラは王導の剣を拾い、何も言わずにギヴァーを見つめ返す。
「ほう、辞書乙女か。貴様は今、自分が〈誰〉を手にしているのか、正しく理解しているのか?」
ギヴァーが問いかけるも、オウラは揺るがない無表情で聞き流している。
昨夜から小雨が降り続いていた。
オウラの長い髪を雨が濡らし、白い肌を雨粒が滑り落ちる。オウラは動かない。ギヴァーは舐め回すようにオウラを観察し、遊ぶにはちょうどいい身体だと判断した。やせ細った汚れネズミをいたぶるより、よほど楽しめると。
ギヴァーはパンドウラを引きずりながら、オウラとの距離を詰める。
オウラが王導の剣を振るった。
ギヴァーは、ルクス同様のつまらない一撃だと内心で嘲笑った。事実、パンドウラを軽く横薙ぎすれば、ルクスと同じく容易く弾き返すことができた。
オウラは剣を弾かれて大きく仰け反る。
ギヴァーは右手を伸ばした。頭を掴み、記憶を植え付ける魔法。オウラを自分のおもちゃにして弄ぶつもりでいた。
だから、ギヴァーの胴体は真っ二つに引き裂かれた。
「なっ――――――に?」
ギヴァーの臓物が宙を舞い、雨粒に血飛沫が混じる。
オウラは石畳に転がったギヴァーの上半身を無表情に見下ろした。彼女は何も告げずに近づくと、ギヴァーの後頭部に足を載せる。
「ま、待てっ、こんなことはあり――」
オウラは構わずに踏み潰した。
石畳にギヴァーの脳漿が広がり、雨に洗われていく。
ルクスはそのオウラの腰を見て絶句した。
オウラの腰には、銀色の翼が生えていた。
硬い鱗で覆われた左右一対の翼は、突如として彼女の腰に生えると、鋏のようにギヴァーの腹を両断した。
オウラは死体からパンドウラを拾い上げ、今気づいたようにルクスに向き直る。
ルクスの頭の中にいくつもの問いが生まれた。
張り裂けるような恋慕が、縋りつくような思いが、彼の口を動かしていた。
「アンタは……オウラなのか?」
下がり眉の女は小雨の中に立ち尽くし、銀翼を広げる。
美しく梳かれた黒い長髪、均整のとれた身体つき、そして、伏し目がちで憂いを帯びた眼差しは、いつもの彼女と何も変わりなかった。
けれど、腰の翼は、両手を覆う銀の鱗は、人間のものではありえなかった。
それはあの冬の残滓だ。
絶望した人間の辿り着く末路の姿。
右手にパンドウラを、左手に王導の剣を持ち、その翼持つ女は言った。
「私は辞書乙女のオウラ」
そう名乗り、そして繰り返す。
「そして、怪物のオウラ」
雨に濡れた銀翼は、断頭台のように輝いていた。
すべての絆を断ち切るために――。




