王に導くための剣②
『私なら君の望みを叶えられるでしょう』
ルクスは、王導の剣を名乗るものの声に困惑していた。
オウラから聞かされていなかった、魔剣マフィアの持つ謎の聖剣。オウラが黙っていたというより、彼女でさえ存在を教えられていなかったのだろう。
未知の能力を有する剣――どう対応するべきか、瞬時に判断できない。
「…………」
『すぐには信用できないわよね。ああ、言い忘れてたわね。君が私を持っている限り、君が何を考えているのかはわかるの。でも、あまり悩んでいる時間はないと思うわよ。怖いおばさんがすぐそこに――ほら』
「少年、その魔剣を今すぐそこに戻すんだ」
ルクスは顔を上げて、隠し部屋の入り口を見る。
寝間着姿のマルフィアが、角灯片手に一人で立っていた。
彼女は厳格な表情を浮かべて言う。
「それは聖剣と呼べるような代物じゃない。人を惑わし、破滅へと導く魔剣だ」
「酷い言い草ね。私の力を借りなければ、この街を守れなかったくせに」
ルクスは自分の喉を押さえて驚いた。
勝手に声が出たのだ。
『あら、ごめんなさいね。私の美声は持っている人にしか聞かせられないから、君の声帯を少しだけ借りたの』
「わかったろう、少年。その剣は常に身体を欲している――操れる身体を。そのまま持っていたら、君の身体をそいつに奪われるぞ」
『そんな恥知らずなことしないわよ。失礼しちゃうわね』
ルクスは一人と一振りの会話を聞き比べて考える。
黙り続けるルクスに、マルフィアと王導の剣はなおも語り続ける。
「少年、今それを戻せば、この部屋に入ったことは咎めない」
『咎めはしないけれど、今後は監視されるでしょうね。もしかすると、城外に追い出されるかも。そうしたら、パンドウラを手に入れる手段が君にあるのかしら?』
「今までと同じ処遇も約束しよう」
『彼女が約束しても、あの番犬はどう出るかしら。用心深い彼が、君を今まで通りに泳がせると思う? そこまで間抜けじゃないでしょう、負け犬も、それに君も』
「ここでの生活は悪くはなかったはずだ。ストームとも仲がいいだろ?」
『私がいれば、パンドウラの在処は常にわかる。すべての聖剣の管理者だもの』
「少年はここにいるべきだ。ここにいれば、私が守ってやれる。私たちは〈咎人の証〉を持つ仲間だ。ストームやナースもいる。温かい寝床も、暮らすに困らない金も与えてやる。何も心配することはない。私なら君に平穏を与えてやれる」
『それが君の望み? まさかね。だって君は、――――救われたいわけではないのでしょう?』
「――ああ、そうだ。そうだった」
ルクスは、静かに柄を握り締める。スイッチが入ったように、納得があった。
その剣の囁きが、ルクスの中の理性的な部分を狂わしていた。
今、彼の表情に浮かぶのは、暗い笑みだ。
その笑みに含まれているのは、大声で叫ぶような激情とは違う。それはいつだって、彼の頭の中心にあった。理性という蓋の下で常に燻り続けていた。
踏みしめられて硬くなった大地のように。
他人に踏み躙られ続けて凝り固まった憎悪のように。
拭い去れない希死念慮のように。
頑なに築き上げられた――終末願望。
「俺が欲しいのは、誰かの気分一つで奪われる寝床でも、手に入れたそばから搾取され続ける金でもない。俺の与り知らないところで決められたルールに、顔も知らない死人どもの築いた仕組みに振り回されるのは、もう飽きた」
ルクスはそうすることがひどく自然だと感じられた。
手元の蝋燭を吹き消し、闇に紛れて駆け出した。
マルフィアが身構えるより早く、気構えを整える隙を与えず、彼女の腹部に銅色の刃を突き刺す。
長引かせるのが一番ダサい。
皮膚を断ち、肉を抉る感覚が、柄を通して両手に伝わる。
ルクスは拍子抜けした。
人を刺すとはこの程度のことなのか、と。
「ぐっ、があああああああ――――――ッッ!」
マルフィアはルクスの手を掴むと、大声で叫んだ。
激痛のせいでもあったが、それ以上に助けを呼ぶためだ。
ルクスは「イグルーが喉を切ったのは、叫ばせないためか」と今さら気づいた。だから一度引き抜いて、再び刺した。その一撃でマルフィアは弦の切れた楽器のように音を出さなくなる。あまりに実感がないので、ルクスは違和感を覚えていた。しかし、ルクスのささやかな気づきは剣の囁きで霧散する。
『グズグズしてると囲まれるわよ』
「わかり切ったことを一々どうも」
隠し部屋を出ると、遠くで猟犬の吠える声が聞こえた。
ダグファイアの愛犬レッドだ。
すぐに主人を引き連れてやって来るだろう。長居はできない。
「おい、お喋り。パンドウラはどこだ?」
『この状況では無理ね』
「おい、話が違わないか?」
『大丈夫よ。手に入れる道筋は考えてあげる。でも、今はここを――来たわ』
巡回中の衛士が、マルフィアの悲鳴に駆けつけてきた。
ダグファイアの部下だ。すでに剣を構えている。先ほどのマルフィアのような不意打ちはできない――そう思った瞬間、身体が動いていた。
『最速で片付けるわよ』
「なっ――チッ!」
ルクスが真っすぐに突っ込むと、衛士はお手本取りの刺突を放った。
狭い廊下での戦闘、大きく振り回せないからだ。
ルクスの身体は、その突きを予測していたように動く。
身体の正面で構えていた銅色の刃で刺突を逸らすと、相手の勢いを利用して突き出された腕を手繰り寄せた。相手はバランスを崩してつんのめる。ルクスはすぐ目の前に近づいた喉首に素早く刃を通した。ストームのような手際だ。
衛士の身体から力が抜けた。
擦れ違うと、それは倒れて動かなくなった。
ルクスは自分でやったような、誰かにやらされたような、言い知れない違和感を覚えていた。マルフィアのときもそうだったが、決定的なところで剣に主導されてしまったような感じがしている。
(自分はこんなにも上手く戦えたか……?)
ルクスは疑念に駆られて、手元の剣を見下ろす。
「…………」
『呆然としている暇はないんじゃない?』
そして、ルクスは王導の剣の囁きに導かれるように、その場を後にした。




