王に導くための剣①
◆
オウラが身支度を済ませると、二人はいつも通り仕事を開始した。
けれどその日、ルクスはいつも通りを一つ破ることにした。
作業中のオウラに声をかけたのだ。
「なぁ、カンドラって誰?」
ルクスは作業の手を止めて訊いた。オウラは無表情に顔を上げる。彼女は「手が止まっていますよ」と指摘して作業に戻ったが、ルクスは食い下がった。
「寝言で呼んでたぞ。調子が悪いの、そいつのせい?」
オウラは黙々と作業を進める。
しかし、ルクスは「はぐらかさせない」と視線で訴える。
じっと見つめ続けていると、オウラの方が根負けした。
「作業の手を止めないのであれば、少し、話しましょうか」
そうして、オウラは作業の手を止めず、言葉少なに語り始めた。名前の由来となった一本の聖剣と、その使い手であった青年〈カンドラ〉のことを。
オウラの語り口は、エルンの情感に富むやり方とは正反対だった。
彼女の口にするそれは叙事だ。
起きた出来事を淡々と、韻を踏むように語っていく。
オウラが〈剣の聖女一統〉という集団に属していたこと。旅の青年カンドラと一緒に、怪物騒ぎの元凶を突き止める旅に出たこと。それから出会いや別れ、戦いがあったこと。
そして、あの冬が来たこと。
移動中の谷間で怪物の軍勢に追い詰められたこと――、
「カンドラは、私を逃がすために怪物たちと戦い、死にました」
オウラはどこか他人事のように言い放つ。
起きたことをありのままに。
同時にその叙事に決して自分の感情を挿し入れなかった。
彼が死んでどう思ったのか。
彼のことをどんな風に思っていたのか。
彼女自身が今、何を思っているのか。
彼女の語る出来事からは、一切の感情が抜き取られている。
「手が止まっていますよ」
オウラに指摘されて、ルクスは彼女の顔を呆然と見つめていたことに気づく。氷漬けにされたような、終わることのない無表情だ。ルクスはようやくその理由を想像できた。
オウラのそれは、自分と同じなのだ。
ルクスが殴られ続けて覚えた、痛みを耐える方法と同じだ。
襲い掛かる痛みを俯瞰で眺めるようにする。身体中が痛いから、他人事のようにして痛みを遠ざける。そして、苦痛の嵐が過ぎ去るのを、心を殺して待っている。痛みを直視してしまったら、とても耐えられないから。
だから、彼女には表情がないのだ。
決して言及しないからこそ、わかるのだ。
カンドラという青年が、彼女にとって大事な存在だったことが。
あの絶望を失った後も、彼女は変わらず絶望の中にいることが。
(オウラの痛みをどうにかしたい……)
ルクスはそう感じた。
だが、ルクスは勇者ではなかった。絶望を乗り越えた経験がない。絶望を晴らす方法を知らない。失った誰かの代わりになる方法なんてもっとわからない。
絶望の中に居続けた彼にわかるのは、絶望だけだ。
不平等に絶望があるから、痛いのだ。
自分だけが失い、他の誰かは失っていないことが、辛いのだ。
だからこそ――あの絶望が必要なのだ。
「なぁ、アンタ」
ルクスは意を決めて口にした。
彼の人生を決定づける、間違いだらけの告白を。
「こんな世界、めちゃくちゃにしたいと思わない?」
オウラは虚を突かれたように驚いた。
ルクスの目を見返し、その言葉が冗談でないことを確かめる。
彼女は口を薄っすらと開き、何かを言いかけ、けれど、その何かを一度は呑み込んで、大きな瞳を濡らし、また別の何かを諦めたような哀しげな微笑を浮かべて答えた。
「そんなことができたら、きっと素敵でしょうね」と。
◆
その日の深夜、ルクスはパンドウラ入手のために行動した。
蝋燭によって等間隔に照らされた廊下を一人で歩いていく。
場所の見当はすでにつけていた。城を練り歩き、各階の部屋の配置を見比べた結果、一階に不自然に何もない空間があったのだ。
城内はすでに寝静まっている。
衛士の巡回の時間も把握済みだ。
今まではダグファイアの注意を引かないように遅い時間の探索は控えていたが、「手に入れる」と決めたからには多少の危険は冒さなければならない。
ルクスは目当ての場所に立ち、壁を叩いた。
汚れ屋としての経験から確信する。この先に隠し部屋がある。手探りで壁の石を一つずつ確かめていくと、腰丈のところで動かせる石を見つけた。わずかに横にずらすと小さな鍵穴が出てくる。
「隠してる割に、しょぼい鍵使ってんな」
ルクスが難なく鍵を開けると、壁が開いて隠し部屋への道が開いた。
室内に踏み込み、隠扉を閉めると完全な暗闇が待っていた。ルクスは懐に忍ばせていた蝋燭を取り出し、火を点ける。異様な一室が明らかなになった。
「なんの部屋だ?」
蝋燭を動かして照らすと、室内は一種の儀式場のようになっていた。部屋の一番奥にある祭壇らしき場所には、割れたガラス瓶が据えられている。瓶の中は空だ。
ルクスは祭壇に近づき、一本の剣が横たえられていることに気づいた。
小ぶりで銅色の両刃剣。
ルクスは柄に手を伸ばし、持ち上げてから感想を口にした。
「パンドウラ、思ったより地味だな」
『失礼ね。それに間違ってるわよ』
ルクスはすぐに周囲を見渡す。人影はない。
けれど、声はなおも語りかけてくる。
『お約束な反応をありがとう、未だ目覚めぬ魔法使いくん。喋っているのは私よ。君が今手に持っているもの。パンドウラじゃなくてごめんなさいね』
「お前は、何だ。お喋りする聖剣か?」
ルクスは自分の手元に視線を落とした。
事前に他の聖剣を知っていなければ、腰くらいは抜かしたかもしれない。
『聖剣のことは知っているのね。あっ、いいのよ。喋らなくてもわかるから。君が何を探してここに来たのか、パンドウラで何をしたいのか、全部わかってる』
「…………」
ルクスは薄気味悪さを感じて黙り込む。
『警戒するわよね、そりゃ。自己紹介してあげる。私は王導の剣。使い手を導き、望みを叶えさせるもの。君を賢王にも、魔王にも導くもの。そして、聖剣の真の管理者』
その剣は、耳元で囁くように言う。
『私なら君の望みを叶えられるでしょう』
と――――。




