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ファミリー⑤

        ◆


 乱闘騒ぎの一件以降、ルクスはストームとよくつるむようになった。


 聖剣管理の仕事を終えると、ストームと一緒に外をぶらつき、適当に露店なんかを冷かして回る。元気なときはナースもそれについてきた。

 元気でないときのナースは、適当に涼しい日陰を見つけて一日中ごろごろしている。ちょっかいを出すと引っ掻かれるそうだ。ストームの体験談らしい。


「ははっ。ナースは常識ないからね!」


 と、五十歩百歩なストームが言うので、ルクスは「ほへぇ~」と聞き流した。その非常識二号のストームだが、ルクスに対しては気さくな兄貴分を標榜している。


 そして実際に、彼はそのように振舞った。


 黒鉄城での生活に不自由がないか訊いたり、下らない冗談を交わし合ったり、街で因縁をつけてきた相手を容赦なくボコボコにして、美味いものを見つけたら分け与えた。


 ルクスは一度、ストームに尋ねたことがある。


「アンタは――」

「兄貴と呼んで欲しいな~」

「アンタは、どうして俺を構ってくんの?」


 頑なに兄貴と呼ばないルクスに、ストームは俯せに倒れていじけたが、ルクスが無視して質問を繰り返したので、ぴょこんと顔を起こした。


「それはあれだよ。寂しがり屋だからだよ」

「アンタが、か?」

「そこはほら。お互い様だよ」


 ストームの言うことが、ルクスにはよくわからなかった。けれど、ストームの言うことを真に受けていたら、太陽は西から昇るし、夏に雪が降ってしまう。

 ルクスはいつものように「ほへぇ~」と適当に聞き流した。ストームは「自分から訊いといてその反応はないよね~」と全然傷ついてない顔で笑った。


 こんな感じで、ストームとは緩く気安い関係を築きつつあった。


 一方であの騒ぎ以来、オウラとはギクシャクしている。



「…………」



 聖剣の管理の作業中、沈黙が嫌に重く感じられた。

 もともと明るい会話が飛び交う二人ではなかったけれど、以前は沈黙なんて気にならなかったはずなのだ。


 お互い黙々と手だけ動かし、時折、オウラから指導が入る。


 その時間はとても静かだが、不快ではなかった。


 むしろ、オウラの手元から生まれる音――油入れの蓋を外す音、拭い紙を手に取る音、微かな衣擦れの音、刀身を拭き上げる音、ゆっくり抑えられた彼女の息遣い――それらはルクスにとって好きな音になっていた。


 澱みなく一定の調子で繰り返される作業の音は、耳にして心地よかった。


 けれど、最近のオウラは目に見えて精彩を欠いている。


 出会ったときから人形のように無気力な印象だったが、それでも作業を進める手だけはいつだって完璧で揺るぎなかったはずなのに。

 あの心地のよいリズムが、彼女の指先から失われていた。一度なんてルクスがボムの手入れを終えても、彼女の作業が終わっていなかったことまである。


 そして、彼女の不調に気づいたのは、ルクスだけではなかった。



「あの女、何かあったのか?」



 ある日、ルクスが黒鉄城の廊下を歩いていると、眼帯のダグファイアと愛犬のレッドに擦れ違った。

 その擦れ違い際、ダグファイアの方からルクスに尋ねたのだ。


 ルクスはうっかり顔を顰める。


 ダグファイアのことが、苦手だった。


 ダグファイアは、ルクスにはない礼節やら学識やらを持っていた。頭も切れる。そして何より、優れた剣士だった。本人は「二流剣士」と自嘲しているが、あのストームも「技術だけなら、負け犬(アンダードッグ)に敵わない」と明言している。


 ダグファイアは、どう考えても貧民街の出身ではなかった。


 彼の生まれた家には、子どもに剣術や学問を習わせるだけの余裕があったのだ。何かの切っ掛けでマフィアに転落したが、ダグファイアにはそれ以外の選択肢だってあったのだろうし、今だってルクスのようなどん詰まりとは違う。自分の首輪を誰に持たせるかぐらいは、自分で選べる人間だ。


(こいつが負け犬なら、はじめから勝負すらできなかった俺は……)


 ルクスは、ダグファイアを見ると考えてしまう。


 生まれながらに与えられた他人の可能性について。


 生まれながらに与えられなかった自分の可能性について。


「おい、聞いてるか?」


 ダグファイアの声で、ルクスは我に返る。

 彼の愛犬のレッドも、主人にのみ忠実な目をしてこちらを見ていた。


「俺もよく知らない、です。確かに調子悪いっぽいけど」

「そうか。いや、手間を取らせて悪かったな。もう行っていいぞ」


 ダグファイアがそう言ったので、ルクスは小さく一礼だけして歩き出した。

 けれどその瞬間、ルクスの胸の中で何かが痛み、ふと足を止める。


 ルクスは最初、それが何だかわからなかった。


 ただ、自分以外にもオウラの不調に気づいているものがいた。

 ダグファイアが、オウラの不調に気づき、気に掛けていたということが、なぜだかムカついた。わけもわからないくせに、どうしようもなく腹立たしかった。そしてまた、舞台にすら上がれない無力感が、ルクスの足下に広がっていく。

 

 それでようやく、ルクスは少しだけ呑み込めた。

 

 ダグファイアが、オウラのことを気に掛けているのが、たまらなく嫌な理由。


 だってそれは、自分よりよっぽどお似合いな気がしたから。


        ◆


「まだ来てないのか」


 早朝、ルクスが三重鍵の部屋に着くと、三つの鍵は施錠されたままだった。いつもならオウラが先に鍵を開けている。そして、部屋の鍵はオウラしか持っていない。

 ルクスでも開錠できなくはなかったが、非正規の手段で鍵穴を痛めるのも憚られた。そのうち来るだろうと待っていたが……、


「来ないな」


 ルクスはしびれを切らして歩き出した。

 オウラの部屋の場所は知っている。黒鉄城の二階にある――この城の古い主人たちの時代に雇われていた女中用の部屋だ。


 部屋の前につき、ドアノブに触れる。


 鍵はかかっていない。


 ルクスにノックする習慣はなかったので、そのまま部屋に入ってしまった。ルクスの部屋と代わり映えのない殺風景な部屋だ。


 オウラはまだベッドで横になっていた。


「おい、寝てんのか?」


 ルクスはベッドに身を乗り出して覗き込む。

 オウラは寝苦しそうにしていた。ぐっしょり寝汗を掻き、苦悶の表情を浮かべて身じろぎしている。寝間着らしい生地の薄い服は、汗のせいか肌にぴたっと吸い付いていた。胸や腰の形が衣服越しでも見て取れるほどだ。


 ルクスは遅まきながら「この構図は不味いな」と気づいた。


 覆い被さるように顔を覗き込んだせいか、傍から見ると完全に夜這いだ。いや、夜は明けているか、などと言葉遊びしている場合ではなかった。

 さっさと身体を引こうと思ったところで、オウラの寝言が聞こえた。


「――……」


 か細く小さな声だ。誰かの名前のようだった。

 その名前を口にする度、彼女の苦悶が増していく。

 ルクスはそれをもっとよく聞き取ろうとして――オウラと目が合った。

 まるで仕掛けが動いたかのように、急に瞼が上がったのだ。

 眠気とは無縁そうないつもの眼差しが、ルクスの瞳に注がれる。


「あ、いや、あああ、別に俺は、そのッ」

「もう、朝ですか?」


 ルクスは盛大に狼狽えたが、オウラは普段と変わらない平静な声で確認する。

 ルクスはブンブン頷いた。「アンタが起きて来ないから!」と訊かれてもいないのに言い訳がましく訴える。誰から見てもテンパっていた。


「すみません。すぐに仕事場に向かいましょう」


 オウラはベッドから降りると、三つ揃いの鍵を手に取った。

 ルクスは「あっ、いや、待て!」と彼女を止める。「なんでしょう?」と尋ねる彼女から目を逸らしつつ、ルクスは声を引っ繰り返しながら続けた。


「その、服くらい着替えてから、でも、いいじゃないか……?」


 ルクスに指摘されて、オウラは自分の恰好を見下ろす。

 そして、ルクスの言わんとしているところを理解した。


「そう、ですね。少し、外で待っていてもらえますか?」


 オウラがそう言い、ルクスは息を呑む。


 ほんの些細な理由だ。


 オウラが、少し困ったように、それでも確かに微笑んだのだ。


 たったそれだけのことで、ルクスは急に目頭が熱くなり、誤魔化すように部屋の外に飛び出した。ドアに背中を預けてズルズルとしゃがみ込む。ルクスは心臓がめちゃくちゃな鼓動を刻むのを聞きながら、自分の馬鹿さ加減を呪いたくなった。



 それが愚かなことだと、よく知っていたはずだ。



 叶う見込みのない希望なんて、絶望以外の何ものでもないというのに。


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