ファミリー③
◆
ルクスにとって魔剣マフィアでの生活は悪くなかった。
自分の部屋があり、ベッドがある。それだけでも夢のようだが、食事の心配をする必要もなかったし、オウラについて聖剣の管理を手伝い、マルフィアの部屋の掃除などの雑務をこなしていれば、少ないながら賃金も出た。
路上で明日の保証もない生き方をしていたルクスにしてみれば、異世界に転生したかのような暮らしぶりだ。それでも、ルクスは目的を忘れなかった。
暇さえあれば、ルクスは黒鉄城をうろついてパンドウラを探した。
けれど、怪しそうな場所を探っているときに限って、ダグファイアが居合わせたり、もしくはダグファイアの愛犬レッドが待ち伏せていたりするので、思うように探索は進まない。
(あの眼帯野郎は、流石に警戒してるな……)
ルクスは薄々気づいていた。
この組織の実質的なリーダーが、マルフィアでないことに。
名目上のトップは確かにマルフィアで、彼女は強権も発動できるようだが、日常的に組織を回しているのはダグファイアなのだ。
そのことは、組織に属している人間の態度からも明らかだった。
マルフィアは情に脆すぎるし、頭もそこまで切れない。
(それでも組織をまとめ上げられているのは、パンドウラがあるからか?)
ルクスは三重鍵の部屋で炸裂剣〈ボム〉に布を巻きながら考えていた。
通常の鞘が使えないのは、ボムの特性上の理由だ。納刀時にうっかり押し込み過ぎていた場合、抜刀の際に鞘が爆発しかねない。その危険を避けるため、鞘ではなく布を使う。
ルクスの隣では、彼の十倍近い早さでオウラが残りの剣の手入れを済ませていた。ルクスは朝一から始めて昼前にようやくボムの処理を終えるのに、彼女はそれより早く終わる。
彼の手際を見ていたオウラは、「少しは慣れましたか?」と無表情に尋ねた。ルクスは曖昧に半笑いする。オウラの手際を横で見ていたら、とても肯定する気分にならない。
「今日はこの後、資材の買い出しに行きます。目利きの練習も兼ねますので同行してもらいますが、いいですね?」
「おう、いや、あ……はい?」
ルクスは相変わらず敬語を手探りしながら答えた。彼にしては珍しいことに、なぜかオウラに対しては粗暴な態度が憚られるのだ。
ボムの手入れを済ませると、二人は連れだって黒鉄城を出た。
ルクスにとってはあの暗殺作戦以来の城外だ。
夏の盛りは過ぎていたが、それでもまだ日差しは強く、むせ返るような潮風と海の生き物の腐ったような臭いが街を吹き抜けていく。
黒港は古い街だ。建物や道の基礎となる石はすっかり黒く汚れて、夏の太陽の下でさえどこか重苦しい雰囲気を漂わせている。
ルクスの大嫌いな街だ。
特に今日は、いつにも増して嫌な感じがしていた。
「――チッ」
オウラの後ろを歩いていると、いつも以上に視線が刺さる。左頬の痣〈咎人の証〉のせいで普段から侮蔑の視線は浴びていたが、今日のはそれとも違った。
ルクスは周囲に目を配りながら、前を歩くオウラに尋ねた。
「なぁ、アンタはいつも買い物には一人で行くのか?」
「普段は負け犬か、彼の手が空いていなければドロックと一緒でした。一人では出歩くなと言われていましたから」
「――で、今日は俺がいるから、と」
「そうですが、何か?」
「いや、あの二人と同じ扱いで光栄だよ」
勿論、皮肉だった。同時に理解した。このオウラという女は、周囲の調子を狂わすほどの色香を無自覚に垂れ流しているのだ。
どんな山奥で育ったんだと、ルクスは舌打ちする。もしくは、周囲に「美少女」を自称する変なヤツがいたとかで、価値観が狂っているのかも知れない。
とにかく、オウラの容姿は悪目立ちしていた。
今の黒港では、札束をぶら下げて歩いているようなものだ。
それでも、見るからに堅気ではないダグファイアやドロックがいれば、飛び込んでくる馬鹿もいなかったのだろう。そして、だからわかっていないのだ。
彼らがどういう役割を果たしていたのか。
美しい花に虫がつかないように、しっかり守っていたことを。
「アンタ、走るのは得意か?」
「その質問の意図は?」
「――おい」
最後の一つは、ルクスの声ではなかった。
細い路地の背後から、知らない男の足音。それも複数。
少なくとも三人はいる。
貧民街で暮らしてきたルクスには身に染みた感覚だ。
トラブルの起きる十秒前。
ルクスは刷り込まれた経験に従い駆け出した。
「いきなり何を――」
「黙って走れッ、無自覚馬鹿ッ!」
「えっ……あっ」
ルクスはオウラの手を引き、雑踏に逃げ込もうとする。しかし、路地から大通りに抜ける道にも先回りした人影が見えた。咄嗟に直前の三差路を右に折れたが、ルクスの土地勘が危険信号を上げる。
この先は確か、袋小路だ。
オウラも背後の足音に気づいて状況を察した。
二人は黙って走るが、やはりその先は行き止まりだった。
ルクスは壁際に立って、オウラに「乗れ!」と言った。壁はジャンプで飛び越えられない程度に高いが、一人が踏み台になればギリギリ越えられそうだった。
「躊躇うなッ、つうか、早くいって助け呼んでこいってんだよッ!」
ルクスが怒鳴りながら促すと、オウラはルクスの肩に足をかけて壁を越えていった。それに合わせたように、五人の男がルクスの目の前にやってくる。
「あの女は壁の向こうか、面倒くせぇな」
男の一人が確信した様子で言う。疑問形ですらない。
ルクスは「脳味噌より股間の主張が強い御一行、いらっしゃい」と皮肉のときだけさらりと敬語を使い熟しながら、盛大に舌打ちした。
これまた身に染みた感覚だ。
サンドバッグになる二秒前――1、2、最初の一発が鳩尾に抉り込んだ。
◆
殴られるのには慣れていた。
義父にはしょっちゅう殴られていたし、育ちの悪いヤツらは基本的に手が早い。
身体のあちこちに痛みが広がっていく。それを俯瞰で眺めるのがコツだ。どんな痛みがどこにあるのか、ちょっと遠くから眺めて待つ。
慣れてしまえば、こんなものだ。
慣れないことをしたのは、どっちかといえばその直前だ。
どうして助けようなんて思ったんだ。自分一人で逃げてれば、こうはなっていなかった。あの色香で調子が狂ったか。
とにかく、やっぱりこの街はクソだ。
こんな世界、さっさと滅すに限る。
ルクスはそんなことを思いながら、薄汚れた石畳みの上に転がされた。
「なんだテメェら、こいつの仲間か?」
股間で考える男の一人が、振り返りながら言った。
同時に殴るのが止まる。
ルクスは張れた目を凝らして路地の先を見た。二人いた。
童顔の青年と、包帯だらけの少女。
ストームとナース。
二人とも素手だった。素手で何しにきやがった。
「仲間じゃない。家族だ」
ストームはそう言うと、無防備に、踊るように、五人の男の方に近づいた。
男たちはストームを舐めていた。
だから、最初の一人は膝を横から踏みつけられて、態勢が崩れたところを顎と額を時計回しに回されて首を折られた。
手垢が付くほどやり込んだパズルを淡々と解き直すような手際だ。
四人の男たちは、何が起きたのか理解しようとした。
だが、理解が追いつく前に次の男が餌食になった。
男の鳩尾につま先が入り、くの字に身体を折ったそいつの頭を、ストームの右手が地面まで導いた。地面との熱烈なキス。その後頭部をストームの足裏が踏み抜く。石畳に情熱的な赤い染みが広がった。
残った三人の男たちは、大慌てでバラバラに動き出す。
逃げようとした男は、ストームが折り紙のように畳んでしまった。
ナースを人質に取ろうとした男は、ナースによって片腕をあらぬ方向にねじ折られて床に転がった。
ナースは近くにあった煉瓦を数回、そいつの頭に落っことした。
最後の一人が、懐からナイフを取り出してストームに突き付ける。
ストームは構わずに距離を詰めたが、手を出すまでもなかった。
存在を忘れられていたルクスが、背後からそいつの股間を蹴り上げたのだ。男は悶絶して蹲った。ルクスは構わずに睾丸を踏み潰してやった。
「これでちっとは、理性的になんだろ」
ルクスはボロボロの鼻血面で強がった。
ストームは笑った。「今のはいい蹴りだった!」「角度が抜群!」と褒めそやしていた。
ナースは呆れたように肩を竦めてから、ルクスの鼻血を包帯で拭った。




