ファミリー②
◆
ダグファイアは最終的にルクスを引き入れることに同意した。
『今回は折れるが、タダ飯を食わす余裕はない』
というわけで、ルクスは黒鉄城に部屋を与えられて、オウラの仕事を手伝うことになっていた。勝手に決めるなとも思ったが、鍵開けの一件を不問にされている手前、反抗的な態度にも出られなかったのだ。
(それにこいつらの懐にいれば、次のチャンスがある……)
ルクスは今しばらく彼らに従うと決めた。
「部屋はこちらでいかかですか」
オウラに案内されたのは、今は誰も使っていない一室だった。
ベッドと机、遊戯盤があるだけの簡素な部屋だ。
その部屋は以前、黒鉄城を守る衛兵たちの休憩室だった。豪華絢爛とはいえないが、路上生活に比べたら雲泥の差だ。文句なんて出るはずがない。
しかもベッドまである。
ベッドで眠れるなんていつ以来だ。
ルクスがベッドの感触を確かめていると、戸口に立ったままのオウラが言った。
「食事は各自で取っています。仕事については明日からにしましょう。明日、始業の鐘のころに迎えに来ますので、そのつもりでいてください。――何か質問はありますか?」
まず感情の所在を尋ねたくなるほど、極めて事務的な声だった。
徹底して情を排したその声は、作りものめいている。
どこを見ているのか判然としない黒く大きな目や、崩れることのない姿勢、血の気のない白磁めいた肌、コントラストを強調するような黒く長い髪。
そういった現実離れした美貌も、オウラを精緻な人形じみた印象にしていた。もしくは氷漬けの女。永遠に変わることのない一瞬に囚われているかのようだった。
「質問は、ありませんか?」
オウラがそう繰り返す。
ルクスは深く見入っていた自分に気づき、慌てて首を横に振った。
「では、明日」
オウラは目礼だけすると、足音も残さずに部屋を去った。
そして、翌日の早朝。
ルクスが寝心地のいいベッドのせいですっかり寝坊していると、身支度を終えたオウラが熟睡する彼を揺すり起こした。ルクスは生まれて初めて、蹴り起こす、水をぶっかける以外にも起こし方があることを学んだ。
◆
「それでは、仕事を始めます」
そう言ってオウラに案内された先は、黒鉄城の地下にある三重に鍵をかけられた一室だった。石造りの廊下と階段を抜けた先にある薄暗い場所だ。
オウラが順番に開錠し、角灯を持って中に入る。ルクスもその後に続いた。彼女が部屋の燭台を点けて回ると、ルクスの前に異様なものが三つ並んでいた。
そのうちの一つには見覚えがあり、ルクスは思わず首もとを押さえる。
「これは……聖剣ってやつか」
ルクスは自分の喉を突き刺した黒塗りの曲剣を見て呟く。
透過剣〈クグルイカン〉だ。
イグルーの所持していた聖剣が、柄の部分を固定して作業台の上に置かれていた。オウラは部屋の真ん中にあるその作業台の前に立ち、引き出しから手入れ用の道具を取り出しながら答えた。
「私の主な仕事は、ここでの聖剣の管理です」
その作業台の上には、他にも二つの刀剣が並んでいる。
ナースという少女が持っていた医療用のメスのような聖剣と、ドロックという巨漢が使っていた螺旋状に捻じれた聖剣だ。
どちらもルクスにとっては初見である。
オウラは手招きして、ルクスにも作業台につくように促した。ルクスが恐る恐る作業台に近づくと、オウラはその背後に立ち、彼の手を引いて聖剣に触れさせる。
まずは聖剣に慣れさせるつもりのようだった。
ルクスは不意に手を重ねられて落ち着かなかったが、オウラはこのやり方で教え慣れているのか、そのまま説明を続けた。
「こちらは結合剣〈ジョイン〉。今はナースという方に預けています。特性は接合。刃を当てた物質を短時間柔らかくし、接着・融合させることができます。貴方の傷を塞いだのはこの剣です」
続いて、オウラはルクスの手を引きながら次の聖剣に触れさせる。
螺旋状に捻じれている、ロングソードほどの大きさの聖剣だ。
「こちらは岩砕剣〈ドリル〉。ドロックという海賊の頭領に預けています。特性は掘削。刀身が回転し、壁でも岩盤でも掘り進められます。――聞いていますか、エルン?」
「ああ、あ……いや、ルクスだけど?」
ルクスが顔を上げると、オウラは少しだけ目を見開いた。
自分の失敗に自分が一番驚いている、という顔だ。
ルクスはまじまじとオウラの顔を見つめながら、その小さなミスにほっとしていた。出会ってから初めて、彼女に人間味を覚えたからだ。
「言い間違いです。失礼しました」
オウラはすぐに今まで通りの無表情に戻ったが、戻して早々に表情を曇らせた。手を伸ばした先に、あるべきものがなかったからだ。
「本来はもう一本管理しているのですが、彼が持ち出しているようです」
「彼?」
「ストームです。昨日、マルフィアの私室で会ったあの」
「ああ、あの軽そうな兄ちゃん?」
「おそらく合っています。炸裂剣〈ボム〉という、刺したものを爆弾に変える剣もここで管理しています。鍵を増やしても無駄でしたか……」
ルクスは「あんな鍵じゃダメだろうな」と思った。あれなら自分でも開けられると。数は問題ではない。同時にストームという青年の素性も何となく察した。
あの身のこなしや鍵開けの技術、それに言葉遣い。
おそらくかなり近い境遇の生まれだ。
自分の同族。
社会の底辺で生まれ育ったに違いない。
ルクスは聞かされた話を頭の中で整理し、「うん?」と首を傾げた。足りないのだ。オウラが彼の様子に気づいて「質問ですか?」と水を向ける。
「アンタらが持ってる聖剣ってのは、目の前の三本と、持ち出されている一本、それだけなのか?」
オウラは黙った。
ルクスは事情を察した。何か知っている。それでいて本来は秘匿された情報。こちらがどこまで知っていて、どういう意図で質問したのか、それを気にしていた。
ルクスは「死んだクソどもが噂してたんだ」と言った。
「魔剣マフィアは街一つだって滅ぼせる危険な剣を持ってる――ってな」
「ここでは管理していません」
オウラは曖昧に否定した。
ここでは管理していない。
しかし、「ない」とも言わない。
玉虫色の返答だ。
嘘は吐いていないが、真実をすべて話もしない。
用心深くこちらの意図を探ろうとしている。
当然の対応だろう。昨日今日、仲間になったばかりの新入りに、重要機密をひょいひょい教えるヤツはいない。ルクスだってそう考える。
ルクスだってそう考えるのに、彼はあっさり口にした。
「あるよ。そいつは災禍剣〈パンドウラ〉のことだ」
ルクスとオウラは同時に戸口を振り返り、息を呑んだ。
ストームが立っていた。
音もなく近づき、気づかれないようにドアを開けたのだ。
けれど、ルクスとオウラが驚いたのは、気配もなくそこにいたからではない。
ストームが、頭からバケツ一杯の血を被ったような有り様になっていたからだ。
平気な顔をしているので返り血だろうとわかったが、それにしたって、早朝の眠気を吹き飛ばすどころではない姿だ。
流石のオウラも非難げに眉を寄せ、彼をたしなめようとした。
「ストーム、一体何を――」
「教えてあげればいいじゃないか。彼だってもう家族だ」
しかし、ストームは自分の喋りたいことしか喋らない。
ストームはふらつく足取りで中に入ると、「ごめん。少し借りてた」と作業台の上に炸裂剣〈ボム〉を置いた。そのついでのようにルクスと肩を組む。
「この間の連中の食い残しがいるのは知ってたんだけど、手間の割にあれだから見逃してたんだよね。でも、弟分を使い捨てにした酷いヤツらだ。そう考えると放っておけないだろ?」
「アンタは何言ってんだ……?」
「ああ、そうそう。パンドウラの話だったね。まぁ、これはオウラに訊いた方がわかりやすいか。説明してあげてよ、オウラ。徹夜明けでちょっぴり眠いや」
ストームは本当に言いたいことだけ言い、ふらふらと部屋を立ち去った。
ルクスは彼の後姿を見送り、次いでオウラを見上げる。
オウラは相変わらずの無表情に戻っていたが、諦めたように一息を吐いてからその聖剣の説明を始めた。
「あれはマルフィアが保管していて、私や負け犬にすら所在は明かされていません。災禍剣〈パンドウラ〉。あの剣の特性は――」
◇
「一番ヤバい聖剣なら、災禍剣〈パンドウラ〉でしょうね!」
エルンはそう言った。
黒港への移動の道中、海沿いの街道を進んでいるときのことだった。
ジュールが珍しく聖剣に興味を示したのだ。
クレアが口にした「オリジナルセブン」が何なのか、聞きそびれていたことを思い出したからだった。その流れで「一番に回収しないといけない剣は何か?」という話になり、エルンは前述の解答をしている。
「どれくらいヤバいんだ?」
「特性を解放されるとかなり。虚偽の悪神の使う〈怪物化〉に近いんです。斬った相手を食人屍――人を食べちゃう屍に変身させる能力なんですが、食人屍に噛まれた人も食人屍になるんで、ねずみ算式に増殖するんです。下手すると街一つだって滅ぼしちゃいます。激ヤバのヤバヤバです!」
エルンの説明に、ジュールは思い切り引いた。
想像以上に危険な代物だったからだ。
というか、そんなヤバヤバ危険物を大事に保管するなと思った。
「その聖剣、見つけ次第溶かした方がよくないか?」
ジュールは右腕の炎をちらつかせて言う。
虚偽の悪神の出した火力なら、ジンバルドを蒸発させられたという前例がある。ジュールも「ぶっ倒れること」を承知で炎を使えば、蒸発までは無理でも溶かすくらいはできると踏んでいた。
けれど、エルンは「待て待て」と慌ててジュールを止めにかかる。
「溶かさないでください! あれでも第一級の聖剣、超重要文化財ですよぅ!?」
「でも、危ないだろう」
「そこは暴発しない仕組みになっているのです! ジュールさんも使ったことのあるジンバルドと同じです。起動には〈鍵言葉〉が必要なので!」
「ああ、『四方を切り裂き陣を敷け』みたいなものか」
「だから、辞書乙女とセットにでもなっていない限り大丈夫ですよぅ!」
エルンは胸を張って宣言する。
まさかそのパンドウラが、辞書乙女のオウラとセットで魔剣マフィアの手中にあるなんて予想できるはずもなかったし、夢にも思っていなかった。




