汚れ屋②
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ルクスとタットル、少女と青年の二人組は、ルクスの案内で人気のない廃屋に入った。
話を盗み聞きされない場所を――というオーダーにルクスが応えた形だ。
廃屋の中は、怪物事件の際に荒れたままになっていた。家具が散乱し、壁や床には家主たちの血痕や鼠たちの食い残した後のグズグズになった遺体の一部が残っている。屋根や壁が残っているのに浮浪者が寄り付かないのは、そういう理由だ。
ルクスは我が物顔で他人の家だったものに上がり込むと、横倒しになっている箪笥に腰掛けた。
フードの少女は正気を疑うような目でそれを咎める。
けれど、ルクスはそれを一笑に伏し、軍人風の青年を顎でしゃくった。視線は青年に据えたまま、タットルに説明を促す。
「――で、このボンボンたちはどんな汚れ仕事を持ってきたわけ?」
「おまっ、失礼だぞ!」
「生まれてこの方、礼儀を教わったことがないもんでね」
「汚れ屋さん、どんな鍵でも開けられるっていうのは本当かい?」
青年は微笑を崩さずに言った。
ルクスは面倒くさそうに頭を掻き、「ものによる」と馬鹿正直に答える。どんな仕事にしろ、あまり乗り気ではなかったのだ。
仲介した手前、タットルは慌てた様子で言い繕った。
「だ、大丈夫ですよ。口は悪いし、態度もクソだし、腕っぷしもカスだけど、手先の器用さはマジなんで!」
「お前はいつから俺の客まで取るようになったんだ?」
「うるせぇ、テメェはちょっと黙ってろ!」
ルクスはいつも通り何か言い返そうと思ったが、タットルがいつになく切実な様子だったので舌打ちだけで我慢した。
悪口の代わりに少女と青年の二人組に視線を送る。
「鍵開けだったな。どこの?」
「マルフィアという人物は知っているかい?」
「黒港を仕切ってる女だ。腰抜けの議会に代わって」
「父上たちは腰抜けではありませんッ!」
だんまりを続けていた少女が、ルクスの言葉に声を荒げた。
ルクスは少女を軽く見て、続けて青年の方に向き直って嘲った。
「なるほど、議員の娘ね。通りで金持ち臭いわけだ。それじゃあ何、マルフィアの家に忍び込んで闇討ちでもするつもり?」
ルクスは二人組の意図を読み、その上で心底どうでもいい調子で言う。
軍人風の青年は、変わらない微笑にやや苦味を加えて少女を見る。少女は自分の浅慮を恥じ入るように顔を伏せた。なるべく事情を伏せてことを運びたかったのだろう。
黒港の議会は、虚偽の悪神事件の際、怪物の軍勢を前に逃げ出した。
その議会の代わりに街の防衛と維持の指揮を執ったのが、かつての組織犯罪集団の構成員であったマルフィアという女だ。
その後、マルフィアは街の実権を握り、配下のものたちを使って独裁体制を敷いている。黒港に戻りたいかつての議会メンバーにとっては目の上のたんこぶだろう。学のないルクスにだって、それくらいの事情は読める。
軍人らしき青年は、乞食風の羽織を脱ぎ、偽装はやめることにしたようだ。
「こうなっては隠す意味もありませんね。表現の違いはありますが、目的はおおむねその通りです。マルフィアの支配で黒港の人々は不当に搾取されています。私たちはそれを正しい姿に戻したい。
申し遅れましたが、私はイグルー。黒港の出身で〈ジュールの勇士〉の一人でした。つい先日、ようやく希望の砦から戻り、この街の惨状を知りました」
軍人らしき青年は、改めてそう名乗った。
ジュールの勇士。
その響きにルクスは苦虫を噛み潰した顔をする。
希望の砦に集まり、虚偽の悪神〈カー〉を倒した勇者の仲間たちの呼称。世界を覆った絶望を終わらせたものたち。目の前の青年はその一人というわけだ。
「要するに人殺しの片棒を担げって話だ」
ルクスは吐き捨てるように答える。すると、まだ名乗っていない少女が、ルクスの非協力的な態度を非難する調子で言った。
「街の人を救うためです。搾取のない、平等な暮らしを取り戻すために」
「取り戻すも何も……そんなもの、生まれてこの方、一度だって経験したことがないんだけど?」
「おい、ボケ。いい加減に口を慎まねぇと――」
タットルは、ルクスの態度を諫めようと肩を掴んだ。だが、振り返ったルクスの目に次の言葉を忘れてしまった。
ルクスの双眸は、馬鹿にしているのでも、恨んでいるのでも、怒っているのでも、蔑んでいるのでも、殺意に満ちているのでもなかった。
ただ、心からの真実を口にしている目だ。
カラスは黒いと言うときの、なんでもない目をしていた。
諦念に至ることすらできなかった――諦める以前に願いを持つことさえ剥奪された、終わることのない絶望を生きるものの目だ。
同じ貧民街の生まれでも、タットルとルクスの間には埋まらない溝がある。タットルには自分を気遣ってくれる姉がいたし、客引きの仕事に就くこともできた。通りを歩いているだけで「咎人」と侮蔑されることもない。
タットルには、今よりいい生活を求められる心の基盤があった。生活が改善された経験がわずかなりともあり、そういう向上心を持てる環境の中にいた。
そして、ルクスにはなかった。
生まれてから「よくなる」という経験を一度もしてこなかった少年には、今後の人生が少しでもマシなものになるという実感がない。
ルクスは、タットッルの手を払うと、箪笥から跳び下りて言う。
「他を当たりなよ。アンタたちは俺の嫌いなタイプだし、この街の仕切りが誰だとか、暮らしをどうだとか、俺には一切関係のない話だ」
ルクスがそう言うと、少女が不安そうに青年を見上げた。青年は仕方ないという様子で首を横に振る。ルクスはそれを見届けて廃屋を出た。
すると、ルクスの後を追って、タットルも表に飛び出す。
タットルはルクスの前に回り込み、「待てよ!」と必死な顔で訴えた。
「もうちょっと話を聞けったら! マジで街を変えてくれるかも知れねぇんだぞ!?」
「だから、関係ないよ。金持ちに媚び売りたいなら、俺を巻き込まずにやって」
「俺に鍵開けなんてできねぇし、お前以上が他にいるかよ!」
「さてね。汚れ仕事の斡旋まではやってないもんで」
ルクスは心底面倒臭そうに言い捨てて、タットルの横をすり抜けようとする。けれど、タットルはその腕を掴んで離さない。ルクスは「ああん?」と唸る。タットルは、羞恥心を切迫感で無理やり流し込んだような顔で言った。
「頼むよ、あの人たちの話を聞いてくれ……」
「ああもうなんだってんだよッ、今日のお前はッ!?」
「できるかもしれないんだ……」
「ああんッ?」
「姉貴をッ……娼館から出してやれるかもしれないんだッ……」
タットルは絞り出すように懇願する。
虚偽の悪神事件以後、タットルの姉はマルフィア配下の娼館に連れて行かれていた。稼ぎ頭だった父親が怪物に食い殺されて、そして、悪神事件の際、法外な値段で取引されていた食料を買うため、家には借金だけが残っていたからだ。
「大事な家族なんだよ……」
タットルは優しい姉を娼館の仕事から解放したかった。マルフィアを打倒すれば、金の貸主も消える。姉が娼館で働く必要もなくなるはずだった。
「それだって、俺には関係のない話だ」
ルクスには、家族の情がわからない。
それはいつも通り一本向こうの世界の話だった。
縮まることのない距離――あの絶望だけがすべてを平等にしてくれた。
平等な暮らしは想像すらできないが、平等な滅びならあの冬、確かにそこにあった。だが、怪物たちの季節は終わった。
「だああああクソッ、とりあえず、話だけは聞いてやる……」
情にほだされるつもりはなかったが、ルクスはそう答えた。
単純にそれ以上つき纏われるのが嫌になっただけだ。
ルクスはタットルの繰り返す感謝の言葉を聞き流しながら、不承不承を隠しもせず廃屋に戻った。そして、ジュールの勇士〈イグルー〉から仕事の詳細を聞くことにした。




