辞書乙女と少女③
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それからしばらく、ジュールとエルンは魚港のルアー邸に逗留していた。
目的だった聖剣はクレアのものだとわかり、初日に回収不要と判明していたが、次の目的地である〈栄光の白港〉に出る船が十数日先までなかったからだ。
魚港で船を待っている間、ジュールはリールの先生役を押し付けられていた。発端はジュールがリピュアと顔見知りだったことであり、加えて、
「リールのあれはリピュアの剣を真似ていたわけか。だが、ちょっと違ったな。確か本人のはこんな感じだったはずだ」
と、ジュールが黄金のオイルの剣術を体得したときの要領で、リピュアの剣筋を再現してみせたからだ。
敵愾心を剥き出しだったリールは、それを見て態度を軟化させた。
というか、掌を返してこう言った。
「おいそこの勇者っ、それを私に教えろください!」
「お、おう、それは構わないが……」
乱暴なんだか、丁寧なんだか――な要求にそう答えたのが運の尽きだ。
ジュールは魚港で過ごす時間のほとんどを、リールと過ごすことになった。
ジュールが観光でもしようかと街に出かけても、リールがすぐ連れ戻しに来るような有り様だ。果ては「だったら私が最速で観光案内をしてやる!」と観光だが、ランニングなんだかわからないことまでやらされる始末だ。
エルンは腹を抱えて爆笑しながら、リールに振り回されるジュールを見ていた。
そのジュールの先生ぶりはどうだったかというと、あまり上手くはなかった。
そもそも、彼の剣術は、そのほとんどを目で見て盗んだものだ。
多少、ラーズから手ほどきを受けていたが、大部分は本人のセンスと戦闘経験によって補われている。
加えて、ジュールは口下手だった。
「ああ、そうじゃない」
「何が違うんだ。アンタの動いた通りだろ」
「いや、よく見ろ。こうだ」
「だから、こうだろ?」
「いや、微妙に違う。それだと動きを読まれる」
「嘘? どこが? どこで?」
「よく見ろ。こうだ」
「それさっきも見た」
「だから、よく見ろ」
「…………」
みたいな感じで、要領を得ないやり取りが頻発していた。
ジュール自身が、自分の技術を言語化できていないので仕方がない。
けれど、リールもそれなりに筋のいい剣士だった。ハッキリしたことを言えないでいるジュールに、根気強く質問し、探りを入れて説明を引き出していく。そのかいあってか、リールはゆっくりではあったが、着実に強くなっていた。
そんなあるとき、リールは稽古の終わりしなにジュールに尋ねた。
「なぁ勇者、アンタ、弟子を取る予定はないのか?」
「急な質問だな。いや、考えたこともない。俺にも師匠のような人物は二人いたが、それにしたってキチンと師事したわけではないし、正しい師弟関係というのもよくわからん。だからたぶん、取らないだろうな」
「いや、アンタは弟子を取るべきだ」
リールは手拭いで稽古の汗を拭き取りながら、迷いのない様子で断言する。
ジュールはリールの言葉を意外な思いで聞いていた。自分がものを教えるのに向いていないと、この数日間で嫌でも思い知っていたからだ。
リールは、意外そうにしているジュールを見て、これまた手厳しく言った。
「確かにアンタは、ものを教えるのがド下手だ。それは間違いない」
「お、おう。なんだかすまない」
「だけど、アンタはマジでめちゃくちゃに強い。肉体面の強さも尋常じゃないけど、それだけじゃなく技術的な能力もズバ抜けてる。それこそ、六剣の師範たちより実戦的で上手いと思うよ。その点、生来の腕力に頼り切ってるうちの馬鹿親父とも違う。
アンタの強さの半分は、後の世に引き継げるものだ。それを誰にも引き継がないで、アンタの中だけで終わらせてしまうのは惜しいことだろう?」
「だから、弟子を取るべきだと?」
「具体的に言うと、私を弟子に取れ。私はあと一年で六剣を卒業する。だから、卒業したらアンタの旅に同行させて欲しい。怪物の残党狩りと聖剣集め、やってるんだって?」
「ああ、そうだが……なっ、ついて来るつもりか!?」
「そう言ったんだ。まぁ、無理にとは言わないが、考えておいてくれないか?」
「どうして俺なんだ? リールが憧れていたのはリピュアだろ?」
「ああ、そうだ。なりたいのはリピュアお姉様のように強く美しい女性だ。だが、強くなる方法は一つじゃない。それに私の知る限り、今生きている人間で一番強いのは間違いなくアンタだよ、勇者のジュール。この数日でそれは嫌というほどわかった。だったら、私は一番強いヤツの技術を修めたい」
「お、おう。いや、でもなぁ……」
「即答しろとは言わない。卒業までは一年ある。考えておいてくれ」
リールはそれだけ言うと、さっさと自室に引き上げてしまった。そして、それからジュールの出立の日まで、師弟の話を掘り返すこともなかった。




