極彩の魚港②
◇
ジュールとエルンが大衆食堂でドンチャン騒ぎを起こしていると、二人のもとに一人の女性が歩いてきた。
その女性は背が高く、茶色の巻き毛で、街の衛士隊〈フィッシュ〉を引き連れている。
そして、エルンと似た装束に身を包んでいた。
その女性は、欲張りなリスみたいになっているエルンの前に立つと、呆れたような、懐かしむような表情を浮かべる。
女性は腰に手を当てて、古い友人に語り掛けるように言った。
「相変わらず食い意地が張っているのね、エルン」
エルンは大皿から顔を上げた。
甘辛いソースのついた口をもぐもぐ動かし、ぱちくり目を丸めて言った。
「……クレア?」
「そうよ。それとも他の誰かに見え――」
「見えない、クレアだッ!」
エルンは相手が言い切るよりも早く飛びついた。
クレアと呼ばれた女性は、辞書乙女の装束にソースをつけられて迷惑そうにしつつ、一方で同郷のエルンとの再会を喜ぶように微笑みかけた。
「ちょっともう、汚れる。口拭ってから飛びつきなさいよ、アンタ」
「よかった~、クレアは無事だったんだね~」
「アンタが旅に出てすぐ、私も自分の使い手を選んだからね」
「あっ、それじゃあ、この街にある聖剣って〈クレアクエイク〉だったの?」
「何アンタ、聖剣を探しに来てたの?」
「そうだよ。でも、クレアのだったら無駄足だったね!」
「無駄足って何よ、私に会えて嬉しくないわけ?」
「ううん。クレアに会えたのは嬉しい! やったー!」
「ああ~、エルン。盛り上がっているところ悪いが、そちらの方は?」
ジュールが、引っ付いて子猿のようになっているエルンに尋ねた。
エルンはクレアにしがみついたまま、嬉し泣きと鼻水を垂らしながらジュールに向き直って言う。
「辞書乙女のクレアです! 私と一緒の!」
「一緒というか、一応は私が先輩だからね、エルン。それから、はじめまして。紹介に預かりました、辞書乙女のクレアと申します。貴方が噂の――」
「勇者のジュールだ」
「お会いできて光栄です。それにしても、噂に聞く〈輝ける勇者の剣〉っていうのは、エルンの加速剣だったわけね。まぁ、流石はオリジナルセブンの一本か」
クレアが、納得した様子でエルンに言う。
対してエルンは「あはは……」と苦笑いを浮かべた。
そして、ジュールが「勇者の剣はこいつだ」と腰に下げている剣の柄を掴む。軽く手を引いて、わずかにその刀身を鞘から覗かせた。
鉛色の使い込まれた鋼の剣だ。
優秀な辞書乙女であるクレアは、それが聖剣の類でないことを一目で察した。
「えっ、何よ。どういうこと? エルンガストは?」
クレアが問い詰めるので、エルンは「勇者の剣の贋作をつかまされた男と、絶望を操る悪神の物語」を語ることにした。
◇
その大衆食堂で、エルンは語った。
辞書乙女として彼女が記す、もっとも新しい〈剣と勇者〉の物語を。
嘘から始まり、仲間たちに出会い、己の絶望を知り、そして、立ち上がって最悪の嘘を真実に変えてしまった――馬鹿正直な勇者の歩みだ。
ジュールは気恥ずかしくなって手洗い場に逃げようとしたが、エルンが上着の袖を掴んで座らせるので、不承不承という顔でおとなしく見世物になっていた。
観衆たちはじっとその物語に聞き入っている。
エルンは、優れた〈語り部〉だった。
息遣いや抑揚にクセがあり、けれど、それが不快ではない。
彼女の声は聞くものの耳に柔らかく届き、心地よく言葉の世界に誘った。騒がしかった食堂は静まり、彼女の語る言葉だけが波紋のように広がっていく。
そして、悪神の最後を語り終えたとき、集まっていた大観衆は喝采を上げた。
口笛や拍手が巻き起こり、ジュールやエルンを称える声が響く。
それどころか、あんまり騒ぎが大きくなり、収拾がつかない感じになっていた。興奮した観衆にさらに一層ともみくちゃにされながら、ジュールの影でエルンがぺろっと舌を出す。
「いけない、やりすぎちゃいました」
「アンタ、チビのころからお喋り得意だったものね。まぁ、今もチビだけど」
「確かにうまい語りだったが、美化しすぎだな。背中が痒くなった」
「いつもは話を盛りますけど、今回はむしろ控えたくらいですよぅ? だいたいジュールさん、噂の十倍くらい実物の方が無茶苦茶じゃないですか……」
「そうなんですか、勇者様?」
「いや、そんなことはないと思うが……だいたい二割増しくらいじゃないか?」
「どっちにしろ、真実をそのまま話した方が嘘くさくなるんですよぅ、この人」
「しかし、これはどうする。祭りみたいになってしまったが」
「落ち着いて話もできないわね。付いて来て。私の使い手のところに案内するから。お互い積もる話もあるでしょうしね」
クレアの提案にジュールたちが頷き、三人はどうにか勘定だけ済ませると、お店の人の好意で裏口からこっそり食堂を離れた。




