極彩の魚港①
◇
ジュールとエルンは舷梯を伝い、賑わっている港に降り立った。
極彩の魚港と呼ばれる、南方の大きな街だ。
桟橋には漁船や貿易船の色鮮やかな帆が並び、丘には白壁の建物が連なっている。建物と建物の間にはロープが張られていて、色彩豊かな織物がそこに掛けられていた。遠目にも街の活気が伝わってくるような、美しく特徴的な光景だ。
ジュールは桟橋を渡って陸地に上がると、膝を着いて「揺れない地面だ」と呟いた。明らかに優れない顔色をしている。
エルンが可哀想なものを見るように、その後ろに立っている。
「船員さんが言うには、あれでも波は穏やかな方だったそうですよぅ?」
「そう、だったのか。だとすれば、船とは存外揺れるもの、なのだな……」
ジュールが愕然とした顔で答えた。
山育ちの彼は、今まで船に乗ったことがなかったのだ。
エルンは彼を気遣うように「聖剣探しの前にどこかで休みましょう」と提案した。半分は本当に心配していたが、もう半分くらいは「美味しい」と評判の魚料理を食べてみたかっただけである。とはいえ、今のジュールに文句や反論を言う元気はなかった。
エルンは近くにいた漁師さんに「おすすめの店」を聞き、グロッキーなジュールを引き連れて大通り沿いの大衆食堂に入った。
◇
ちょうどお昼時だったからか、その食堂は大変な混雑具合だった。
二十近くあるテーブル席は人で埋まり、給仕の女性店員が厨房とホールの間を怒涛の勢いで行き交っている。
頭の上で大音量の注文が飛んでいくのを聞きながら、エルンは隅っこの席にジュールを押し込んだ。椅子を引いてジュールを座らせると、彼の大きな背嚢と回収済みの聖剣二本を店の壁に立てかける。
エルンは自分も椅子に座りながら、ジュールに尋ねた。
「何か食べたいもの、食べられそうなもの、あります?」
「エルンに任せる……あとエールを……」
ジュールはテーブルに突っ伏して答える。
もうしばらく元気にならなそうだ。
エルンはぴょこぴょこ跳ねるように手を挙げて、お店の女性を呼んだ。
エルンが料理の説明を受けながら嬉々として注文をしていると、店の中央付近で「ふざけるな!」という怒声が聞こえる。
エルンは背筋をぴんと伸ばして覗き込んだ。
ジュールはテーブルに突っ伏したまま、首だけ捻ってそちらを向く。
二人が見ると、怒鳴っているのは大柄で強面な男性だった。
えらの張った顔立ちに刈り上げられた髪型、そして、右腕全体を覆う赤塗の長手甲が悪目立ちしている。
「なんじゃありゃ?」
エルンは首を傾げながら、場違いないでたちの男を見ていた。
あんなトンチキな格好のまま、どうして食事に来たのだろうと。
すると、これまた場違いなほどに派手なドレスを着た女性が、場違いな男にしなだれかかった。彼女は自分のドレスの端を指さして、男性店員に詰め寄る。
「これ、どうしてくれるのかしら?」
彼女の指さす先にはスープの染みらしきものが出来ていた。
エルンが話の流れから察するに、店員がドレスを汚してしまったらしい。
詰め寄られた男性店員は、「いや、でも、足をかけてきたのはそっちじゃ……」と反論しようとしていた。けれど、再びの「ふざけるな!」がそれを遮った。他の客たちも流石に何ごとかと、そちらのテーブルを注視する。
衆人の注目が集まる中、長手甲の男はデンと立ち上がって言った。
「勇者のジュール様の連れの服を汚しておいて、口答えとはいい度胸だ! 冬の終わりを告げる真っ赤な右腕が目に入らないのか、ああん!?」
男はそう言って、悪趣味な赤塗の長手甲を見せびらかすように持ち上げる。
エルンはあんぐりと口を開けて見ていた。
注文を受けていた女性店員は「ちょっと失礼します!」と外に飛び出していく。どこかに助けを求めに行ったのだろう。
そんな中、ジュールは呑気に「ほう」と感心していた。
「エルン、聞いたか。彼は俺と同じ名前らしい。しかも勇者を自称しているぞ。すごい偶然があったものだな……」
エルンはさらに呆れた顔でジュールに向き直った。
ジュールは「なんだその顔は」と訊く。
「そんなわけないじゃないですか。騙りですよぅ、騙り」
「すると何か、あそこの男性は俺を騙っているのか?」
「そらそうでしょう。ジュールさん、気を抜くと馬鹿になりますよね」
「そういうことなら、どれ」
「あっ、どこにいくんです?」
「仲裁だ。事情はどうあれ、脅かすような真似はよくない。ついでに騙りもな」
ジュールはふらふらとテーブルに近づき、店員と偽勇者の間に割って入る。
偽勇者は咄嗟に睨んだが、ジュールの外套越しでもわかる明らかに鍛えられた身体つきに気づき、たじろいで二歩後退りした。
そのジュールはといえば、ボリボリと頭を掻いている。
「ああ~、なんだ、ええっとだな……」
割って入ったものの、どうやって仲裁するかを考えていなかった。
そうやって考えあぐねた結果。
ジュールの口を吐いたのは、馴染みの名乗りによく似ていた。
「俺が勇者のジュールだ」
そう言って、外套を払って〈本物の右腕〉を見せる。
普通の人間ではあり得ない、冷えたマグマのような右腕。ぐっと拳を握り込むと、その内側から赤い輝きが溢れ出る。熱い炎の輝きだった。
大衆食堂の客たちが興奮の声で湧き、偽勇者は大慌てで表へと逃げていく。
その後、ジュールとエルンは、周囲にもみくちゃにされながら食事を取った。
ジュールもようやく船酔いの反動から回復し、集まった他の客たちと肩を組みながら、がぶがぶとエールを飲んでいた。ジュールの酒豪ぶりと豪快な笑顔に釣られて、周囲の客たちもなんだか愉快な気分になってくる。
愉快な気分になると酒が進み、酔っ払いたちが歌や踊りを披露し始めた。
一方のエルンは、ジュールの影に隠れつつ、「これどうぞ」とおすすめされる様々な海鮮料理に舌鼓を打っている。
周囲の人たちは、彼女の見た目に反して無尽蔵な食べっぷりに感心していた。
エルンが丸々一匹のオオダコをペロリと平らげると、面白がるように「今度はこっち!」、「これもどうですか?」と追加がやってきた。
騒ぎに駆けつけた魚港の衛士隊〈フィッシュ〉の面々が到着したころには、辺り一帯を巻き込んだ盛大な宴会に発展していた。




