三叉槍の男①
◇
ジュールは村々を渡り歩き、噂を頼りに怪物退治に邁進した。
人食いの怪物になる人間は、様々だった。
村に立ち寄っただけの行商人であったり、古くから住んでいる老婆であったり、稀に子どもまで怪物になってしまった。年齢や性別、生まれた地方もバラバラだ。今のところ、怪物がその姿を露わにするまでは、人と怪物を見分ける術はなかった。
そして、惨劇はいつも夜に行われた。
夜中に人間を襲った怪物は、翌朝には再び人間に紛れて過ごした。そのため、人食いの現れた村では、住人同士が疑心暗鬼を起こしていた。
ジュールの聞いた限りでも、猜疑心による不幸な事故は少なくなかった。
ジュールはそういう村々を訪れては、怪物と戦った。
ジュールは腕のいい猟師だった。小さな音もよく拾い、匂いに敏く、微かな痕跡も見逃さない。彼は夜の村を見張り、凶行の現場を押さえては、独学の剣術で怪物と戦った。
もともと、クマを素手で倒せるほどの運動能力と膂力の持ち主だ。
未熟な剣術でも、どうにか切り抜けてこられた。
そして、怪物にトドメを刺すのは、決まってあの勇者の剣だった。
「俺は勇者のジュールだ。怪物が現れたという村はここか」
いつからか、ジュールは村々に着くと、そう名乗りを上げるようになっていた。
そして、新たに訪れた村でも同じように名乗った。
弱い雨と強い雨を繰り返す、じっとり温い雨季のことだった。
雨除けの外套を纏ったジュールは、濃い霧に覆われた集落を見渡す。
霧の向こうには、いくつかの古びた尖塔が並んでいた。
曇りがちな空から覗くわずかな陽光が、その尖塔の先を照らしている。濃い霧も相まって幻想的な雰囲気を漂わせていた。どうやらあの塔は、何かの寺院のようだ。
名乗りからしばらく待っても、案内してくれそうな村人は出てこなかった。
ジュールはもう一度名乗りを上げようかと、大きく息を吸い込んだ。けれど、ジュールの先を取るように、制止の言葉が霧の向こうから投げられた。
「馬鹿でかい声なら聞こえとる。そう何度も名乗らんでええわ」
霧の中から、禿頭の青年が姿を現した。
年のころはジュールと同じくらいだろう。宗教的な意匠を施された衣に身を包み、年代物の三叉槍を携えている。目つきは鋭く、すっと通った鼻立ちは鷲を連想させた。
ジュールは、青年に睨まれている割にけろっとした調子で応じた。
「そうか、話が早くて助かる。それで怪物が出たというのは――」
「なんも助かりゃせんわ。おどれは馬鹿か?」
「確かによく馬鹿だと言われる。しかし、それは槍を構えられるほどの罪なのか?」
ジュールは自分に向けられた三叉槍を見据えて言った。
槍を持つ青年は、隙なく穂先を向けている。
ジュールはその青年の眼差しに、産毛が逆立つような思いがしていた。
怪物どもの放つ、野蛮な殺意とはまるで違った。
ジュールが初めて知る、達人の殺気だ。
青年の双眸は、雄弁に語っていた。「剣の柄に手を伸ばそうものなら、鞘から抜き切るより速く、この穂先が貴様の生命を捕らえる」と。
だが、ジュールはもともと、人間相手に剣を抜くつもりはなかった。
馬鹿だという自覚があるから、怪物を現認したとき以外は、自分から剣を抜かないと決めていたのだ。ジュールが自分自身に課した縛りだ。
なので、ジュールは槍を構えられても、悠然と構えて突っ立っている。
けれど、その青年はなおも油断なく構え続けた。
一部の隙も見せぬまま、青年は三叉槍の穂先越しに答える。
「おう、今は時期が悪かったな。おかしな人食いが出て来よるようなときに、おどれのような怪しいもんが来よったらそら、警戒せんわけいかんやろ。馬鹿でもわかったか?」
「なるほど、よくわかった」
ジュールは抵抗せずに捕まった。
槍持つ青年はジュールの腕を縛り上げると、寺院らしき尖塔に連行した。そして、土蔵の一つにジュールを押し込めると、「明日の朝までおとなしくしとけ」と言い残して重そうな金属の扉を閉めていった。
あの勇者の剣もそのとき一緒に取り上げられてしまった。
◇
三叉槍の青年は名前を〈ラーズ〉といった。
ラーズは寺院で修行している僧職であり、夜な夜な発生する集落での人食いに神経を尖らせていた。彼には身体の弱い妹がいたのだ。
彼の妹は足が萎えて満足に歩くことができず、咳き込みがちで大声も出せなかった。怪物に襲われたら、助けも呼べず、走って逃げることもできない。
ラーズは妹を大切にしていた。
妹の身体に救いが欲しくて、名医という名医のもとを訪れた。高価な薬も買い漁った。それで詐欺師に騙されることもあった。そうやって行き着いたのが僧職だった。
ラーズは最後の望みとして神仏に縋った男だった。
ジュールを土蔵に放り込んで来た後、ラーズは妹の世話をするために家に帰った。尖塔からもほど近いところにある、藁葺屋根の小さな一軒家だ。そこが今、ラーズと妹の暮らす場所だった。
ラーズが粗末な木戸を開くと、床に臥せている妹が身体を起こして出迎えた。
彼の妹はやや痩せすぎてはいたが、兄を見て微笑む様子には守りたくなるような可憐さがあった。
「兄さん……げほっ、その、げほげほっ、大丈夫だった?」
「問題あらへん。馬鹿が一匹迷い込んだだけや。土蔵に入れたから、まっ、どっちにしたって大丈夫やろ。あそこん中なら、今夜襲われることもないやろうし。それより、お前は無理に起きんでええ」
「ううん、大丈夫……最近は少し、げほっ、気分がいいのよ?」
「ほうか、そら何よりやな。ほいじゃ、飯にしよか」
ラーズは妹の浮かべる儚げな笑みが好きだった。
そして、いつか憂いのない笑顔を見たかった。
ラーズはそのためなら、どんな地獄でも歩いていけると思っていた。その対価として自分が笑顔をなくしても、それはそれで構わないと、そんな風に思い詰めていた。