解体者
◇
カルトの提示したプランは、砦に残った部隊を二つにわけるものだった。正面から怪物を牽制する本隊と、街の中心にいる解体者を強襲する少数精鋭の突入部隊だ。
ジュールは突入部隊を率いることになっていた。
真夜中になり、敵陣近くまでは馬車で移動している。その移動中、ジュールが荷台で揺られていると、向かいのカルトが言った。
「辞書乙女殿はいらっしゃられないのですね」
「あのちっこいの、戦闘は不向きなんだ。まぁ、他に仕事はある」
「勇者殿の御供が、戦闘に向かない、ですか。意外に聞こえます」
「俺には貴方こそ意外だ。砦の最高責任者が、突入部隊にいていいのか?」
「剣の腕には覚えがあります。というより、剣にいくらか覚えがあったせいで、砦の最高責任者なんて柄にもない役職に担ぎ上げられてしまった――というのが実情でして」
「もともとの最高責任者ではないと?」
「本来の責任者はさっさと怪物になりました。仕方なく私が討ったのです」
「なるほど、だから貴方には人望があるのだな」
「それほど良いものでは。絶望的な状況で、藁にも縋りたかったのでしょう」
カルトは口の端を歪めて答えた。続けて、ジュールの持つ剣を指さして言う。
「ところで、そちらが噂の〈勇者の剣〉でしょうか?」
「ああ、いかにもだが、どうかしたか?」
「いえ。思いの外、地味な鞘に収まっているものですから……」
「中身もこの通り、地味そのものだ。それでもこいつは間違いなく俺の剣だがな」
ジュールは少しだけ鞘から刀身を覗かせて答えた。
カルトは「そうですか」と頷き、「怪物たちの中には、もっとそれらしい剣を持っているものもいたと聞きますが、それらは使われないのですか?」と重ねて尋ねた。
ジュールは刀身を納め直し、「よく知っているんだな」と苦笑した。
「貴方の噂は、貴方が思っている以上に有名なのですよ、勇者のジュール」
「確かにあった。聖剣と呼ばれるものたちだろう。だが、俺には不要だ。俺の勇者の剣はこいつだけだ。こいつが一番しっくりくる。丈夫ないい剣だよ」
「それでは怪物たちの使っていた剣は今どちらに?」
「それを必要とするものたちに。あんなもの、俺が持っていたところで持ち腐れるだけだからな。それに一ヶ所にまとめておいたのでは、ありがたみも薄れるばかりだろう」
「そうですか、殊勝な方でいらっしゃる」
カルトはジュールのことを無表情にそう称した。
ちょうどそのとき、荷台の揺れが止まり、馭者が「着きました」と言った。突入部隊の初期配置である、街から伸びる用水路だ。空にはまだ夜の帳が下りていた。
◇
ジュールたちは本隊からの合図を待って街に潜入した。冷たい水路から街に入ると、主人たちを失った静かな街中を一塊になって進む。
街の怪物たちは、本隊が街に向かって上げ続けている鬨の声に注意を引かれていた。ほとんどのものはジュールたちに気づかず、気づいたとしても何か反応するより先に、ジュールの右腕に握り潰された。
木と煉瓦の組み合わせが美しい街の目抜き通りに近づくと、カルトが言った。
「勇者殿、声が聞こえます」
ジュールも頷いた。
それは呻くような、か細く痛々しい声だった。
声は一つではなかった。いくつの呻きが重なり、街の静寂に滲むように響いている。
解体者に改造された〈生きた楽器〉の発するものだろう。
「声の方に向かう。解体者がいるとは限らないが、到底見過ごせない」
ジュールが決断し、全員が従った。
呻き声の発信源は、目抜き通りの伸びる先、街の中心に聳え立つ大きな教会だ。正面の扉は開け放たれている。十中八九、罠だろう。
罠は承知の上で、ジュールたちは正面から踏み込んだ。
そこにいたのは捕虜にされた兵士たちだ。
脳髄や肺、心臓など生存に不可欠な器官だけを残されて、グチャグチャに楽器と繋ぎ合わされている。それらが聖歌隊のように規則正しく並べ立てられていた。まさしく生きた楽器にされたものたちが、星空を称える悪趣味なコーラスを奏でる。
そして、グロテスクな聖歌隊の指揮者が、振り返ってジュールたちを出迎えた。
それはやはりドグの顔をしていた。
顔だけはドグのままだった。
しかし、それ以外はまるで銀色をした巨大なゴキブリだ。六本の脚は人間の手のように細やかに動き、銀色の羽はテカテカと油じみた輝きを放っていた。
その不快な生き物はジュールの二倍ほども大きい。
ドグの怪物、解体者の姿だった。率直に言ってあまりに醜かった。
「俺は勇者のジュールだ。変わり果てたな、ドグ」
「オホ、オホホ、オホオホオホ、これは懐かしい名前です」
ドグの顔は生前と変わりのない様子で喋り、指揮者さながらに腕を振った。ドグの聖歌隊が一斉に悲鳴を上げる。耳を聾さんばかりの大音声、絶望を呼ぶ悲鳴だ。
ジュールは微動だにせず受け止めると、右腕を一瞬で燃え上がらせた。
右腕を振るい、超高温の熱波を放つ。
その熱波が、楽器の心臓や脳髄を撫でて溶かした。
それで兵士たちはようやく死ぬことができた。
ジュールは右腕を握り締めて、熱を避けて天井に張り付いた怪物を睨み上げる。
「お前の絶望はここま――」
「貴方の希望はここまでだ」
背後に迫った凶刃をすんでのところでジュールは避けた。
不意打ちに失敗した男は、ジュールの右腕を警戒してすぐに距離を取った。
カルトだった。
けれど、カルトだけではなかった。
突入部隊に選ばれた精鋭たちが、剣を抜いてジュールを取り囲んでいた。
ジュールはそれを冷静な顔で見返している。
カルトは「ほう」と初めて本当に感心した表情を浮かべた。
「貴方、わかっていたのですね」
「いや、引っかかることがいくつかあっただけだ」
ジュールはそう言って、突入部隊の面々に対峙した。
とっくに熟考済みの様子で語り始める。
「人食いの怪物が脅威なのは、変身するまで見分けが付かないことだ。人に紛れる力が、人間同士の連携を崩し、猜疑心を煽る、それが真に恐ろしい。だからおかしいと思った」
「ほう、何がおかしいのですか?」
「外から来るものが怪物か人間か、見分ける方法はない。これはかつてのドグが、村々を調査して出した結論だ。怪我人の手当すら追い付いていないあの砦で、その方法が見つかったとは思えない。この状況、俺が敵の立場なら、難民のフリをして大勢の怪物を砦の中に送り込んでいる。しかし、そうはなっていなかった。ならば、他に狙いがあるのだろう」
ドグの怪物が天井で「ホウホウ」と鳴いた。
カルトと名乗っていた男は、無表情に聞いている。片手で天井の怪物を黙らせて「続けることを許可する」と促した。ジュールは淡々と続ける。
「虚偽の悪神とやらは、最初から怪物を生み出すことしかしていない。それだけしかわからないからそれが目的だと仮定した。
そうすると、エルンのケースが引っ掛かった。じわじわと落胆を繰り返した人間は、怪物化するほどの絶望を、感情の大きな落差を生じなくなってしまっていた。それだと困るんだろう。
だから、わざわざ希望の砦を拵えて、俺が訪れるのを待った。希望を与えてそれを奪うために。縋った藁こそが絶望であるように。やり口が同じだから、すぐに気づいた。自分で勇者を騙っていたときと同じだ」
ジュールはもう疑ってはいなかった。
すでに確信に変わっていた。その男がこの悲劇の元凶だと。
「人間を怪物に変える超常性は認めるが、ペテンの神様を名乗るにしては、詐術の腕がイマイチだな。アンタの化けの皮、剥がれているぞ」
そこにはカルトと名乗った軍装の男はいなかった。
代わりに立っていたのは、怪しさが一周回るほどに怪しい男だ。
勇者の剣を売りつけた〈あの商人〉だった。




