番外編 辞書乙女ちゃん日記②
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これもまた別のある日のことだった。
私とジュールさんは、雪に埋もれた村にいた。
無人の村だ。
雪が覆い隠していたけれど、その下に多くの亡骸が埋まっているのはあちこちの形跡からわかった。
間に合わなかった村だ。
ジュールさんがいくら強くたって、彼の身体は一つしかないのだ。目についたものはなんでも助けてしまう人だけれど、何もかもを助けられるわけじゃない。
そんなこと、ジュールさんも重々承知だ。
守れなかったものを前にしても、彼は自分を責めたり、嘆いたり、弱音を吐いたりしない。
ジュールさんは、ただじっと眺めて立っている。そして、右腕の炎で弔ってから、すぐに次の場所を目指した。まだ助けられる人たちを助けるために。
そのとき、私はふと気づいてしまった。
誰よりたくさんの人を救ってきた彼は、だぶんその分だけ、誰よりたくさんの悲劇を見てきた人なんだろうって。みんなの希望である彼こそが、きっと誰より多くの絶望を経験しながら歩いている。
誰もかれも救ってしまう人だけど、じゃあ、この人のことは誰が救ってくれるんだろう?
私はそんなことを思い、無口に歩く背中をバシバシ叩いて励ました。
「大丈夫です、私はよくやっていると評価していますよぅ!」
「タッパはちっこいくせに、たまにものすごい高いところからものを言うよな……」
「なんですとぅ!?」
ちぇっ、励ましがいのないヤツめ!
私は「えいえい」とキックを入れる。
脛を狙っているというに、ジュールさんはビクともしない。
それどころか、蹴っているとこっちのつま先が痛くなる。この頑丈さは、勇者とか鍛えているとか、そういう次元の話か? 何かずるしてない?
腹が立ったので、それから二十分くらい、私は後ろから雪玉を投げつけながら歩いた。
「くそ、この、ずるっ、空中で溶かすのはずるっ!」
「エルンがいると、シリアスする暇がなくていいな……」
「あっ、馬鹿にした!?」
「してない、してない」
「そのにやけ面っ、絶対馬鹿にしてるぅ‼」
私は怒って雪玉を投げまくった。
ジュールさんは「あははははっ」と馬鹿でっかい声で笑っていた。
〇
ジュールさんは歩き続ける。
怪物をやっつけて、何度も朝と夜を迎える。
何かを煮詰めた料理を作り、必要なら動物を狩り、寝床を探す。
ジュールさんの右腕は寝ているときもほんのり暖かい。私はいつも湯たんぽ替わりに抱き着いて眠った。そうすると寒さなんて気にならなかった。
ジュールさんは、たくさんの悲劇を見る。
たくさんの人たちを救う。
ジュールさんは笑う。
悲しいことなんてないみたいに。
そして、何度でも言う。
絶望することはない、と。
口癖みたいに繰り返して、どんな絶望も退けた。
彼の口癖はみんなの口にも移り、彼の笑顔はみんなの顔にも伝播した。
私は、一番近くで彼の行末を見届ける。
私は、辞書乙女のエルン。
勇者の結末を見届け、後世に語り継ぐ剣の巫女。
長い冬の終わりが近づく。
そして、雪解けの迫ったある日。
私とジュールさんは、その砦に辿り着いた。
「俺は勇者のジュールだ」
ジュールさんがいつもの名乗りを上げると、希望の砦は歓声で答えた。




