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【連載版】勇者の剣の〈贋作〉をつかまされた男の話   作者: 書店ゾンビ
第七章 絶望の軍勢、繋がる聖火
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弓穿つもの②

        ◇


「懐かしい名前、貴方も絶望できなかったのね、無様にもなり損なったのね?」


 怪物アウロラがジュールに鏃を向けた。

 ジュールはその声を聞き、少しだけ寂しげに話しかけた。


「その声はそうか。お前はアウロラだったものか」

「そう、アウロラだったもの、弓穿つもの」

「お前は絶望したのだな」

「そう、そしてもう絶望することはない。私自身が、偉大なる絶望の一つになったから」

「そうか、間に合わなくて悪かったな」

「何を言っているの?」


 ジュールはくしゃっと微笑み、次の瞬間には炎の右腕を振り上げた。

 怪物アウロラの番えていた弓と矢は、熱波を受けて瞬時に炭化する。それと同時に、掌にも酷い火傷を負っていた。しかし、ジュールの隣に立つエルンには少し熱い程度だった。


 高い精度の熱量操作。


 銀の龍との戦いを経て、右腕の扱いに磨きが掛かっていた。


 ジュールが左手の勇者の剣を振るう。


 怪物アウロラは大きく飛び退いて躱すと、焼けただれた掌を見て言った。


「貴方、酷いことをするのね……?」

「そうだ。俺は今からもっと酷いことをする」

「うふふっ、そんな情熱的な告白をされたら、私も昂ぶってしまいそう」


 怪物アウロラは酷薄な笑みを浮かべると、左右の腕を一本ずつ背後に回した。その二本の腕が、一振りずつ形のまったく異なる剣を抜き放つ。


 一振りは、物差しのように綺麗な長方形の両刃剣。


 一振りは、濡れたカラスの羽のように輝く曲刃剣。


 怪物アウロラはその二振りの剣を、左右二本ずつの腕でがっちり握り締めた。


 辞書乙女のエルンは、その剣たちを見ると悲鳴じみた声で叫ぶ。


「ジンバルドに、クグルイカン!? そこの男の人ッ、危険ですそれらは――」

「四方を切り裂き陣を敷け、ジンバルドッ!」


 怪物アウロラが長方形の剣を振り上げて宣言した。


 ジュールの視界が立ちくらみのように一瞬だけ奪われる。そして、視界が戻ったときには眼前に見慣れない景色が広がっていた。


 どこかの、殺風景な部屋の中だ。


 わけがわからない。


「あわわわっ、危ないッ!」


 エルンがそう叫ぶ。

 ジュールは勘だけで右腕を振り上げた。

 その右腕が背後から突き出されていた黒い曲刃を受け止める。

 その黒い刃は背後の壁を貫通して伸びていた。


 防がれたとわかると、黒い刃は壁向こうに引き戻されて消える。


 しかし、壁には斬られた形跡が残っていない。


 ジュールは全方位に神経を巡らせながら、エルンに問いかける。


「あれはどういうことだ?」

「結界剣〈ジンバルド〉と、透過剣〈クグルイカン〉です!」

「よし、わかるように言ってくれ」

「ええっと、二振りとも特別な力を込められた聖剣なんです。ジンバルドは一時的に持ち主の望む空間を作り出せて、クグルイカンは生物以外をすり抜けちゃうんです!」

「耳を疑うような話だが、今は信じよう」


 ジュールはそう言うと、エルンを自分の背中に引き寄せた。「俺の死角を見てくれ」と異常な状況にも瞬時に順応する。


 異常な怪物たちとばかり戦い続けたので、異常な状況が当たり前になっていた。


 ジュールは周囲を観察しながら思考を言葉にする。


「障害物の多いところでは、〈すり抜ける剣〉に不意を打たれる。しかし、開けた場所に出ると、アウロラ得意の弓で狙われる。なるほど、よく考えてある」

「か、感心している場合ですかッ!?」

「運のいいことに、弓はすでに潰してある」


 ジュールはそう言うと、迷わずに壁を殴り壊して部屋の外に出た。

 屋外に広がる街並みを見て、「ああ、そうか」と呟く。突然、胸の張り裂けるような思いがした。


「そうだったのか、お前はあの街の……」


 そこには栄光の白港の風景が広がっていた。


 ジンバルドの作り出す、持ち主の望む空間。


 何もかも組み替えられてしまっても、忘れられなかったであろう場所。怪物に襲われる前の、美しい夏の白港がそこにあった。


 アウロラが愛したはずの故郷だ。


「心まで怪物に変わってしまっても、それでもお前はアウロラなのだな」


 ジュールは開けた道の真ん中で顔を上げる。

 怪物アウロラは大きな鐘を吊るす教会の屋上にいた。その両手には二振りの聖剣。顔に浮かべているのは、別人のような笑み。


 下品で酷薄に歪んだ顔。


 多くの絶望を呼ぶ、絶望の軍勢のひとりだ。


 でも、そのどこかに、アウロラの記憶が残っているのだろう。その絶望のどこかに、彼女の思い出が囚われている。


「ならば、その絶望を終わらせる」


 ジュールが言うと、怪物アウロラは教会の壁を駆けるように急降下する。

 オオカミの下半身が地面を蹴る度、驚異的な加速と突進力を生み出し、白港の目抜き通りを疾駆した。ジュールに向かって一直線に加速する。


 怪物アウロラは石畳が捲れるほどに大地を蹴り上げて、半人半獣の身体を大きく躍動させた。


 その大きな運動エネルギーこそが、彼女の武器だ。


 対して、ジュールは右腕を篭手のように突き出し、静かに左手の剣を構える。

 

 動のアウロラ、静のジュール。


 お互いを間合いに捕らえた、一瞬のすれ違い。


 三振りの剣が、刹那の邂逅を果たした。


 そして、彼らがすれ違った後には吹雪の荒野が広がっていた。


 怪物アウロラは四本の腕をすべて斬り落とされて、だらりと座り込んでいる。ジュールの剣術が、彼女の突進力を上回った結果だ。

 ジュールは勇者の剣を雪原に刺すと、足元の結界剣を拾い上げた。


「四方を切り裂き陣を敷け、ジンバルド」


 そう言って、ジンバルドを振るう。

 ジュールと怪物アウロラの前に、雪に覆われた白港の景色が広がった。


 エルンの姿はそこにない。


 ジンバルドは持ち主の望む空間に、望む相手だけを連れていける剣だった。


 ジュールは彼女にだけ見せたかったのだ。


 つづら折りの坂道から見た、輝く栄光の白港を。


 ジュールは力なく座り込む彼女の隣に立ち、静かな声音で言った。


「建物は多少壊れているが、攻め込んできた怪物はすべて倒した。たくましい人々が、たくさんいる街だ。きっとすぐに賑わいを取り戻すだろう」

「そう、ですか……」


 怪物アウロラが答えた。けれど、彼女はもう怪物ではなかった。

 両腕を失い、蒼白な顔でへたり込む、一人の少女のようだった。


 彼女は震えていた。


 彼女にとっての絶望は、「あの日、ジュールを信じ切れなかった自分自身」だった。自分を許せなかった彼女は、彼に罰されたいと思っていた。


 けれど、ようやく現れた本人ときたら、優しい暖かさで隣に立っている。


 彼女が信じきれなかった、あの力強い笑みを浮かべている。


「白港の勇者にも会った。お前のように強い女性だった。あの人の姉上たちも、実にタフな女性だった。口が達者でまるでラーズのようだ。ボウエイも気骨のある男だった。彼はなんとガナルカンを盾で殴り飛ばしたらしいぞ」

「そう、ですか……」


 アウロラが嗚咽交じりの震える声で答えた。

 ジュールは彼女の乱れた髪を直しながら言った。


「お前の絶望は、ここまでだ」

「私、信じられなくて……ごめんなさい……」

「俺こそすまない。俺にはこうする以外に救う術がなかった」

「ふふ、器用ではない……でしたものね……」

「ああ、そうだ」


 アウロラが、少し傾いでジュールにもたれた。

 ジュールは彼女の体温が少しずつ失われていくのを感じた。

 アウロラは彼女の愛した故郷の風景を見つめながら、眠るように息絶えた。


 その死に顔は涙に濡れていた。


 ジュールが、ジンバルドを手放す。


 吹雪の真っ只中に戻った。


 涙さえも凍り付くような、冷たい風が吹く。


 エルンは数歩離れたところから、ジュールとアウロラの後ろ姿を見ていた。立ち入れない雰囲気を感じて、口を閉ざして立ち尽くしている。


 ジュールは勇者の剣を納めて振り返った。


 エルンを見て、今気づいたように言う。


「アンタは確か、自称乙女とかいう残念なおん――」

「辞書乙女です! 誰が残念な女ですか、誰がッ!」


 エルンはあまりにあんまりな聞き間違いに抗議するハメになった。彼女自身、このシリアスな流れで御礼や謝罪が後回しになるなんて、流石に予想していなかった。


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