白港攻略戦①
◇
白港の住民たちは故郷を取り返すために出発した。
リピュアの決意を皆が尊重し、ジュールの強さが彼らに踏み出す勇気を与えた。何より『生まれ育った場所を取り戻す』という目標が出来たことで、彼らの表情も明るくなっていた。
避難民を青港に残すことも考えたが、それには兵を二つに分ける必要がある。
「兵力を分散させるのはよくありません」
そうボウエイが言い、避難民たちも「故郷を取り戻すためにできることはしたい」と言うので、彼らも率いて移動している。
ジュールは道すがら兵士たちに声をかけて、怪物との戦い方を教えていた。兵士たちはジュールの左右に集まって歩き、彼の話を食い入るように聞いている。
「ヤツらは人間の恐怖に敏感だ。こちらが臆していると、強気で前に出てくる。そうなると厄介だ。肉体のポテンシャルは基本的に人間より高い連中だ。押し込まれると、巻き返すのは困難になる」
「では、どうすればよいのですか?」
「逆にビビらせる。方法は様々だが、簡単なやり方は大声を出すことだ」
「大声ですか?」
「馬鹿でかい声を出すと、こっちの怯えは誤魔化せるし、向こうは怯む。怯んだ隙に一気にこちらから打って出る。ヤツらに一番有効な戦法だ。一回やってみるとわかる」
ジュールはそう言って、いつもの雄叫びを上げる。
「ドオオオオオッッッせえええああああッッッ!」
彼の大音声に集まっていた兵士たちが飛び上がった。中には尻餅をつくものまで出た。
ジュールは倒れたものを引き起こしながら、「こういう感じだ」と悪戯っぽい笑みを浮かべる。兵士たちも「なるほど、確かにこれはビビる」と笑った。
移動の間、ジュールの周りにはいつも人だかりができていた。
教えを請う兵士たちであったり、暖を取りに来た子どもたちだったり、世間話が大好きなご婦人方だったり。そして、皆がよく笑った。これから命がけの戦いが待っているというのに、ジュールの側にいるとその恐怖を乗り越えられるように感じた。
「不思議な御仁ですね」
盾を背負ったボウエイが、ジュールを囲う人々を見ながら呟く。
隣で聞いていたリピュアが、ジュールの背中を見ながら答えた。
「そうだな。きっとあれこそが、勇者たるものの正しい在り様なのだろう」
そう言うリピュアの目は、眩しいものを見るように細められている。
彼女は今、自分が成り損なった〈本物の勇者〉というものを見ている気分だった。
移動を開始して三日、彼らは白港からギリギリ見つからない位置に陣を敷くと、先行して偵察隊を送り、白港奪還のための詰めに移った。
◇
陣を敷いた日の夜。
「カゲ様が戻りました」
ボウエイがジュールとリピュアを呼び出して言う。
その場にはもう一人。カゲという名前の、白髪交じりで眉の太い小男がいた。
偵察任務を遂行した白港の隠密だ。
セイナルのさらに前の代から仕えている、信用のおける人物だった。
「怪物どもは、二、三は街を徘徊しておるが、残りは栄光城に籠っておった。指揮官の牛頭も城の玉座にて発見済み。視認した怪物の数は三十七。逃げるときに使った下水道は、見張られておった。それと一点、街にはところどころ凍り付いている箇所があった」
「凍り付いている?」
「姫よ、それも小さな氷柱程度じゃないぞ。街の一角が丸まる氷に飲まれておる。なんぼ寒いといっても、ああはならん」
リピュアはカゲの報告を呑み込めず、ジュールを見た。ジュールも腕を組んで考え込んでいる。
そしてふと、彼は自分の右腕を見た。
炎を操る右腕があるのだから、氷を操る怪物がいても不思議ではないのかもしれない。
「不確定な要素はありますが、おおよそは予想の範囲内ではないでしょうか?」
ボウエイが、カゲからの情報を総括して言う。ジュールとリピュアもそれに頷き、事前に準備していた手はず通りに奪還作戦を開始することにした。
ジュールとリピュア、彼女の率いる兵士八十余名は、夜明けの少し前に陣を発つと、逃げたときとは別の抜け道――海岸線沿いから白港に侵入した。
◇
太陽がまだ水平線から離れ切らない、早朝。
ジュールたちは白港の浜辺に立っていた。
この作戦の成否は、第一に〈牛頭の怪物〉の打倒にかかっている。
指揮官さえ倒してしまえば、統率の取れていない怪物なんて数の差で圧倒できるからだ。
その道行もジュールを前に置いて押し進めば、二、三匹の怪物との遭遇戦は怖くない。しかし、その当初のプランは、侵入直後の海辺で崩れ去った。
「なんだ、この……デカブツは……?」
ボウエイが海水を割って現れたその巨大な生き物を見上げて溢した。
数多の怪物を屠ってきたジュールですら、その怪物の偉容には一瞬言葉を忘れたほどだ。
その怪物は巨大な蛇のようであった。
胴回りは大人が十人集まっても抱え切れないほどに太く、その長さは三百メートルを超えるだろう。
もはや龍とでも呼ぶべき怪物だ。
そして、銀色に輝く胴体のあちこちから、人間の腕のようなものが伸び出ていた。その腕と鱗の隙間から、かすれるような声がじっと響き続けている。
「寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い……」
虚ろな目をした銀の龍は、そう繰り返し全身で呟いていた。
ジュールはこのおぞましい龍が、以前に覚えた〈嫌な予感〉の答えだと察した。
残された食料。
見当たらない犠牲者。
それらへの解答が、この銀の龍だ。
人間一人の怪物化ではあり得ない巨体。
どこかの誰かが、青港の人間をまとめて一つの怪物に仕立て上げたのだ。
牛頭の怪物が、城に籠って余裕を見せていられた理由――怪物たちの持つ〈最強最悪の隠し玉〉が、海辺で待ち構えていた。
「寒いよぉ……」
銀の龍が、頭部に並んだ六つの赤い目でジュールたちを見つめた。
兵士たちは、その虚ろで寂しげな瞳に射すくめられた。その絶望に心を引っ張られかけた。
龍が巨大な顎を開く。
絶望的な冷気が口から漏れ出した。
銀の龍はその極寒の冷気を兵士たちに浴びせかけんと、大きく空気を吸い込んだ。
「ドオオオオオ――――ッッッ!」
龍が冷気を吐き出す直前、ジュールが燃える右腕を振り上げた。吹き付けられる冷気の嵐が、ジュールの炎に相殺される。
しかし、その冷気の余波で海面は凍り付き、砂浜に霜が張った。
ジュールと兵士の周りだけが、炎に護られて氷の浸食から免れている。
人の身でもろに浴びれば、肺まで凍り付いてしまうだろう。
「あれぇ……? どうして貴方たちは、寒くならないのぉ……?」
銀の龍が幼子のような声で不思議がる。
ジュールは勇者の剣を抜き放ち、その龍に対峙して言った。
「ああ、確かに冷たいな。心の芯まで凍えてしまいそうだ。どれだけの絶望を重ねれば、これほど冷たくなってしまうのだろうな」
ジュールは右腕に炎を灯す。
絶望に染まった六つの瞳を見つめ返し、目を逸らさずに言った。
「この絶望は俺が引き受ける。牛頭の怪物は、リピュア、君が倒せ」
リピュアはハッキリと名指しされて息を呑む。
そして、篭手越しの手で固く鞘を握り締めると、燃えるような背中を見つめて答えた。
「お引き受け致します。ご武運を、勇者のジュール」
リピュアはその言葉と同時に兵を率いて走り出した。
銀の龍が「どこへ行くのぉ……?」とリピュアたちに長い首を向けたが、ジュールの炎に目玉を炙られてさらに首を向け直す。
銀の龍は海水から長い尾を引き上げて、その巨体を見せつけながら言う。
「おじちゃんも、一緒に寒くなりたいのぉ……?」
「おじちゃんではない。そしてもう、寒さに震えることはない」
ジュールは、特大の絶望に笑いかけて言った。
「君たちの絶望はここまでだ」




