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【連載版】勇者の剣の〈贋作〉をつかまされた男の話   作者: 書店ゾンビ
第五章 長い冬、怪物たちの季節
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牛頭のガナルカン②

        ◇


 リピュアが引き上げると、城の至るところに避難してきた市民が溢れていた。


 そして、市民から見えない城の奥――兵士のための救護室に惨状があった。


 重傷を負った多数の兵士たちが、救護室に押し詰められている。

 救護室の中は怒号と悲鳴の嵐だ。

 医者の数に対して、圧倒的に怪我人が多すぎた。

 そこに転がる彼らは、意図的に殺されなかったものたちだ。怪物たちは、二度と戦えない程度に痛めつけておきながら、トドメを刺さずに彼らを見逃したのだ。


 慈愛の精神からなどでは当然ない。


 こちらの人手を割き、さらに士気を落とすための()()()だ。


 あの牛頭のガナルカンは、徹底的に戦う意思を折りに来ている。その手腕は悪辣で効果的だった。リピュアも「ここまでやるのか……」と打ちのめされていた。


「リピュア、無事だったのね」

「リピュア、大変酷い格好ね」


 そのとき、馴れ親しんだ声が聞こえた。リピュアの姉たちだ。


 長女のアネット、次女のジゼル。〈白港の双子姫〉と呼ばれる二人だ。


 彼女たちは戦場に出ることなく、城の中に残って避難民のケアに当たっていた。リピュアと違い、彼女たちに剣や戦いの心得はない。

 というより、リピュアが特殊なのだ。女だてらにと言われながら剣術を覚えたのも、そして銀色の髪を持つのも、リピュアだけだった。

 姉たちは公女として普通の教育を受け、髪色も両親と同じ栗毛色をしている。


「姉さまたち、ただいま戻りました……」


 リピュアはまだ返り血も拭えていないような有様だった。けれど、彼女の姉たちはドレスが汚れるのも構わず、リピュアを抱き締めて迎えた。

 口を開けば軽口ばかりの二人が、言葉より態度で「リピュアの無事」を喜んだ。その抱き締める腕の強さに、リピュアは折れかけていた闘志を持ち直す。


 打ちのめされている場合ではない、と。


「戻って早々で悪いけれど、お父様がお呼びよ」

「無事に戻って何よりだわ、お父様がお呼びよ」


 アネットとジゼルが、声を揃えて言う。

 無意識のうちにタイミングが合ってしまうらしい。二つ名の理由だ。リピュアは姉たちの変わりない様子に笑みをこぼし、次の瞬間には口許を引き締めて剣を抜き放った。

 

 リピュアは眼光鋭く剣を構えて、猟犬さながらに救護室を駆ける。


「ハアアアアアッ!」


 医者に襲い掛かろうとしていた怪物の横っ面に、剣を突き立てた。

 半殺半生の兵士が、怪物化しかけていたのだ。

 リピュアの剣が間一髪のところで仕留めたものの、医者たちに広がる動揺までは防げなかった。救おうとしている命に襲われる。経験豊富な医者でも未知の恐怖だ。


 次から次に心を挫くような事態ばかり続く。


 悪くなる一方の状況、リピュアは息つく暇もない。


「リピュア……」

「リピュア……」


 二人の姉が、仲間の血で汚れたリピュアを心配そうに呼んだ。


「はぁ、はぁ、ここにも見張りの兵を置く」


 出口の見えない状況の中、リピュアはそう言うのが精いっぱいだった。


        ◇


 リピュアは救護室を出ると、身綺麗にしてから父のもとに向かった。


 身綺麗にしたといっても、篭手を外して返り血を拭った程度で、鎧も剣も身につけたままだった。先ほどの救護室での一件もある。城内といえど、気を抜くことはできない。


「父上、入ります!」


 リピュアは一声かけてから、父の執務室に入る。


 飾り気は少ないが質の良い調度品で揃えられた室内には、二人の男がいた。


 リピュアの父であるセイナルと、最高軍事顧問のジエイだ。父のセイナルは机に着き、軍装のジエイが机を挟んで向かい合うように立っている。


「リピュア、戻ったか」

「よくぞ無事に戻られました、リピュア様」


 厳格な父はにこりともせずに言う。

 対して、彼の右腕であるジエイは、もともとの糸目をさらに細めて、にっこりと微笑んだ。

 リピュアは素早く敬礼し、来室の目的を告げた。


「姉上たちからお呼びと伺い参りました」

「まずは其方の活躍を労おう。よくやった」

「いえ、よくやったと言っていただけるようなことは、何も……」

「損害は知っている。救護室でのこともだ。私のもとには、すべての情報が届くようになっている。その上での言葉だと理解せよ」

「出過ぎたことを申しました。ご厚情痛み入ります」

「そして、労ったばかりで悪いのだが、すぐに次の任に移ってもらう」

「はっ、なんなりと」

「避難民を連れて、栄光の白港を出よ。南方の〈頑強の青港〉は軍備も厚い。青港の軍と合流し、より多くの民と共にこの難局を生き延びよ。それが其方の任務だ」

「なっ……」


 リピュアは瞠目し、言葉を失った。


 それはつまり、この栄光の白港を捨てろということに他ならない。


 それだけは領主が領民に言ってはならない言葉だ。


 セイナルはリピュアの内心を読んだように続けた。


「無論、この街をあの醜い化物どもにくれてやるつもりはない。民には一時避難してもらうというだけのこと。其方にはその間の『避難民たちの守り』を頼む」

「ち、父上は……?」

「決まっている。ここに残り、あれらと戦う」

「そ、それはしかしッ」

「我が兵に『空の玉座を守れ』とでも命じるつもりか。それで誰が戦うものか。これ以上の士気の低下は、即座に敗北を意味する。それに私はここの領主だ。戦う兵士の死には、最低限の意味くらい与えてやらねばなるまい」


 セイナルは眉一つ動かさず、汗一つ掻かない。

 リピュアは最高軍事顧問のジエイの顔を見やる。「父上は本気なのか?」と食い入るような目で言外に訴える。ジエイは、にっこり笑って頷くだけだった。彼も主と共に歩むつもりなのだ。


 リピュアは受け入れがたい命令に言葉をなくして立ち尽くす。


 セイナルが席を立った。彼は机を回ってリピュアの隣に並ぶと、実に久しぶりに彼女に微笑みかけた。リピュアが剣を持つようになってから、終ぞ見せなかった父の笑みだ。


 六剣学園に通う前、誰よりも厳しく彼女に剣の指導をしたのが父だった。


 そのセイナルは、立派に育ったリピュアの硬く鍛えられた手に触れて言った。


「男でも女でも変わらぬものだな。この手は、勇ましい剣士の手だ」

「はい」

「たくさん剣を振ったのだな」

「はい」

「私は、お前を誇りに思う。剣を取ってくれて、ありがとう」


 セイナルはそう言った。


 そしてすぐ、彼はジエイを連れて出て、牛頭のガナルカンと戦う準備に移った。


 リピュアとその部下、避難民たちはその後、夜明けを待たずに城を抜け出し、怪物たちに悟られないように下水道を伝って、栄光の白港を脱出した。


 彼女たちが栄光の白港を出て二日後。


 セイナルの玉座はガナルカンの手に落ち、栄光の白港は怪物たちの手に渡ることとなる。


 冬はまだ長い。



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