牛頭のガナルカン①
◇
吐く息すら凍てつくような、冷たい風の夜だった。
怪物の集団が、アウロラとドグの故郷〈栄光の白港〉を襲った。
大槌を持った牛頭の怪物に率いられて、二十を超す怪物たちが一斉に夜の街で暴れ始めたのだ。それも勝手バラバラに動くような無能ではない。
牛頭の怪物の指揮に従い、連携を取るだけの知能を持った怪物たちだ。
ジュールとラーズの懸念が、現実のものとなっていた。
「市民の避難を優先しろッ、動けないものには手を貸してやれッ!」
白港の勇者と名高いリピュアは、部隊を率いて怪物の対処に当たっていた。
しかし、職業的に訓練されてきた兵士とて人間だ。
突然、見たことも聞いたこともないような異形が目の前に飛び出してくれば、意思に反して身体が竦んだ。身体が竦めば、対応が一手遅れる。
その一手の遅れは、かつての怪物たちが相手なら巻き返せたかも知れない。
けれど、成長を続けていた怪物たちに対し、それは致命的だった。
たった一匹の怪物にすら、次々と兵士が薙ぎ倒されていく。
仲間が食い千切られるところを見せつけられて、兵士たちはより怖気づいた。中には怒りで奮起するものもいたが、怪物たちはそういった資質を見せた兵士たちから、優先して狩り殺した。
それもこれも、すべては牛頭の怪物による采配だ。
人心というものを理解し、それを崩すことに精通した傭兵の兵法。
それはかつて〈大槌のガナルカン〉と呼ばれた男の知識だった。
牛頭となったガナルカンは、組織犯罪集団を解体したときのような鮮やかな手際で、栄光の白港に絶望を敷いていく。
そんな中で、リピュアは果敢に指揮を執り続けていた。
彼女自らも戦いの最前線に身を投じて、第一級の剣術を振るう。そして今まさに、蜘蛛の下半身と人間の上半身を併せ持つ、狡猾な怪物にトドメを刺した。
リピュアは細身の剣を引き抜き、銀髪に返り血を浴びながら部下を鼓舞する。
「市民を連れて城まで引けッ、陣を組んで当たれば倒せぬ敵ではないッ!」
「りりっ、リピュア、ささあまま、まま……」
「どうしたッ、お前の持ち、場は、別の……」
リピュアは咄嗟に振り返り、言葉をなくした。
そこに立ち、自分の名前を呼んだ男は、自分の部下のはずだった。
それが今や〈怪物〉としか呼べない姿へと変わりつつある。
ぶつぶつとした茶色の肌と、大きな口、そして丸い目玉――まるでウシガエルだ。
「ままままっまっ、ママァァアアア――ッ」
部下であったはずの怪物が、まさにカエルのごとくリピュアに跳びかかる。
リピュアは一瞬で逡巡を終えると、大きな口に怯まず剣を突き入れた。
刃が上顎を貫通して脳幹に届く。
リピュアは手元を捻って脳組織を完全に破壊した。
怪物は死んだ。
リピュアは飾り鍔のついた剣を引き抜く。
返り血をさらに被るハメになったが、彼女は無傷だった。
しかし、部下たちの士気は壊滅的なダメージを負ってしまった。
自分たちの仲間から怪物が出たのだ。怪物化の条件を知らない彼らが、「いつ自分もそうなるかわからない」と思うのは無理もなかった。
そして、もしもそうなったら、仲間の手で殺されるのだ。
今のウシガエルのように、ただの敵として。
その事実を目にした後では、戦意の維持すら難しかった。
リピュアから見ても、士気の低下は明らかだ。
一度、仕切り直さなければ、戦闘継続は不可能なほどだった。
「一度後退する。全員に伝えよ、城まで後退だ……」
リピュアはそう言って、兵士たちを下げる決断をした。
リピュアは苦々しい思いで街を見る。
所々で火の手の上がり、白と青の美しい街並みが煌々と赤く焼き出されていた。火災の黒煙が上がり、冷たい風になびいている。
その街の中、白々しいほどに明るい星々に照らされて、それは立っていた。
街全体を見渡せる、高い教会の屋根。
そこに吊るしてある、始業と終業を告げる鐘の隣だ。
すべての成り行きを見つめ続けていた怪物たちの指揮官――牛頭のガナルカンが、不動の姿で仁王立ちしている。まるで「自分が出るまでもない」と誇示するように。
そして、それは誇張のない事実だった。
リピュアの部隊はガナルカンの指揮によって無力化されてしまった。
怪物としての能力以前に、指揮官としての敗北である。
「…………」
リピュアは言葉一つ吐けず、その異形の指揮官をただ睨んでいた。
冷たい冬の風が、炎の香りを乗せて彼女の頬を撫でた。




