血と嘘の剣①
◇
とても寒い日だった。
近くの山稜は白く覆われて、近々その辺りの村々にも雪が降るかと思われた。
ジュールたちの勇者一行は、怪物の噂を聞いてある宿場町を訪れた。
「俺は勇者のジュールだ。怪物が現れたという村はここか」
ジュールが白い息を吐きながら名乗り上げる。
寂びれた雰囲気の宿場町に、彼の大きな声が響き、そして曇天のもとに消えた。
まだ昼間だというのに、表には人の往来もない。
ジュールたちがしばらく立ち尽くしていると、四人の男女が一つの建物から現れた。
三人の男と、一人の女だ。
その四人組は、対峙するかのようにジュールたちの前に立ち塞がった。
そのうちの一人が、ジュールたちの方に進み出る。
年若い青年だった。ジュールと比べても遜色のない立派な体格に、絹のように柔らかな金髪を後ろで束ねて、獅子のように精悍な眼差しをしている。
そして、その青年の腰には、鞘に納められた剣があった。
「私は勇者のレイオン。虚偽の悪神〈カー〉を追うものだ」
そう名乗るや、レイオンという青年は腰の剣を抜き放った。
その剣は一見して尋常ならざるものだった。
ハヤブサの装飾を施された美しい鍔の先、両刃の刀身が淡い光を纏っている。よく耳を凝らせば、その剣は「キィィィン」と不思議な音色で囀っていた。
思わず目を奪われるような、超常の力を秘められた剣だ。
すると、レイオンの後ろにいた巫女装束の女性が、彼の横に並んで続けた。
「私は、剣の聖女一統に属する〈辞書乙女〉です。レイオンが手にしている剣は、邪竜殺しの大英雄ライズの聖剣〈エルンガスト〉。私たちの一統が彼に授けた、疑問の余地のない第一級の聖剣です」
「なるほど、そうか」
ジュールは一応、頷いてみせた。
本当はチンプンカンプンだった。
隣に立つハッカは、不安そうにジュールとレイオンを見比べている。
アウロラとドグは静観していた。
ただひとり、ラーズだけは緩く気を抜いている素振りを見せつつも、隙なく周囲を警戒していた。三叉槍を肩に乗せておきつつ、いつでも構えられるように気を張っている。
ラーズは、首をゴキゴキ鳴らしながら、レイオンの仲間たちを値踏みする。
男の一人はハッカくらい小柄な青年だった。腰に下げている得物から、おそらくは短刀の使い手なのだろう。もう一人は、ジュールよりでかい大男。
そして、そのでかい男は、さらに馬鹿にでかい大槌を肩に掛けていた。
やたらに目立つその戦槌の噂だけは、ラーズにも覚えがあった。
(レイオンちゅうヤツのことは知らんし、あのお嬢ちゃんの剣の聖女一統てのもようわからんが、あの後ろのガチムチ野郎は〈大槌のガナルカン〉やないか……?)
大槌のガナルカンは、とある内海の小国に雇われていたはずの傭兵だ。
その小国に巣くい、町を仕切っていた組織犯罪集団――それの解体に貢献した、一匹狼の傭兵として名を馳せている。
(その一匹狼サマが、どない理由でこんな若造の後ろにおんねん……)
ラーズは会話の成り行きを見守りながら、その大槌使いを特に警戒していた。
レイオンという青年が、ジュールを凝視しながら問うた。
「貴方も勇者の剣を持つというのなら、証を立ててくれないか?」
「ああ、構わない」
ジュールは迷わずに剣を抜いた。
それは一見して使い込まれた剣だった。
かつては濡れたように輝いていた刀身は、微かに刃こぼれが浮かび、すっかり鉛色に変わっている。刃も丸みを帯びて、叩き切ることしか出来なくなっていた。
到底、綺麗に斬り裂くことなど叶わない剣だ。
それは凡庸でどこにでもありそうな、使い込まれた一振りの剣だった。
レイオンの聖剣を見た後では、誰もがそう思った。
「それはなんという名前の剣ですか?」
辞書乙女を名乗る女性が訊いた。彼女は知らないようだ。
「ものに名前をつける趣味はない」
ジュールはそう答えた。名前があるなど考えたこともなかった。
「どこで手に入れたものだ?」
レイオンという勇者の青年が重ねて尋ねた。
「露店で買ったものだ」
辺りに静寂が広がった。
レイオン一行がにわかに殺気立つ。
ジュールはその変化を不思議がり、詳しく説明することにした。つまりは勇者の剣を怪しげな商人から買った話をした。レイオンは「何が目的だ……」と絞り出す声で言った。
「なんの目的だ?」
「勇者を騙り、諸方を旅する目的はなんだ?」
「この悲劇の原因を突き止めて、元凶を討ち倒す。というか、騙りでは――」
「この期に及んでまだ白を切るかッ、ペテン師ッ!」
ジュールにはわけがわからなかった。
レイオンは剣を持つ手を戦慄かせながら、ジュールを睨みつけて言った。
「虚偽の悪神〈カー〉は、百の姿を持ち、千の詐術を操り、万の絶望を寿ぐもの。諸方に広がる被害から、行商人や旅芸人に扮しているものと思っていたが、よもや世界の希望たる勇者を騙っていようとはな。いや、もしやそれこそが、人民の絶望を呼ぶための、最大の詐術であったか……」
「ああ~、その、アンタは何を言っている?」
「詐術の精度が落ちたな、貴様の仲間たちはすでに貴様の正体に気づいたぞ!」
ジュールはわけがわからないまま、仲間の顔を確かめた。
アウロラが、ドグが、詐欺師を見るような顔をしていた。
何よりハッカが、信じていたものに裏切られた悲痛な顔で、自分を見つめている。
ジュールは息を呑む。
そして、存在しない音を幻聴した。
仲間たちと築き上げてきた絆が、一瞬のうちに断ち切られる音だ。
右手に握った剣が、不意に重さを増したように感じた。いや、違う。右腕全体がまるで岩のように重い。そしてふと、この剣が幼馴染の血で汚れていることを思い出した。
嘘と血に塗れた剣。
ずっと昔に仕込まれた詐欺師の嘘。
ジュールに植えられた絶望の種が、ようやく花弁を開いた。悪神の寄こした凶刃が、満を持してジュールと仲間たちの絆を断ち切る。
レイオンが、聖剣〈エルンガスト〉を突きつけて叫んだ。
「ついに正体を現したか、虚偽の悪神ッ!」
ジュールは自分の右手を見る。
彼の右手は黒く変色して、冷えて固まった溶岩のようになっていた。
明らかに怪物の手だった。
ジュールは思わず、彼自身の勇者の剣を取り落とした。もうすでに誰もそうとは信じていない、偽りと血に汚れた勇者の剣が、地面に落ちてカランと鳴る。
ジュールは頭の中が真っ白になった。
レイオンが疾風のごとき踏み込みで邪竜殺しの聖剣を振るう。
「ボケっとしてんなッ、ボケ!」
ジュールの首を刎ねるはずだった一撃が、間一髪で三叉槍に弾かれた。
ラーズは続けて石突きによる牽制打を放つ。すかさず距離を取るレイオンを、今度は突き上げでさらに後退させ、他の二人も威嚇するように大きく三叉槍をブン回した。
そして、ラーズはジュールを庇うように位置取り、背中越しに叱咤した。
「タダで首やれるほど気前ええんかいッ、お前はッ!?」
ジュールはしかし、状況を呑み込めていなかった。
自分の足下に転がった剣を見て、それに手を伸ばす。
変質した右手が視界に入り、呆然とした。
わけがわからなかった。
「剣を取らせるなッ、ここで元凶を断つッ!」
レイオンはそう勇ましく叫ぶと、諸悪の根源と思しき男に挑みかかった。




