悔恨の老剣士③
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ジュールたちが窪地の黄村に着いとき、空は夕焼けで血のように赤く染まっていた。人気の絶えた村には、夏の終わりを告げる虫の「つくつく」という鳴き声と、カラスたちの喚き声が響いている。
どこにでもある、閑散とした農村の風景だった。
つい先日まで確かに人の暮らしていた形跡があり、けれど、今はまったく人の気配の絶えてしまった村というのは、想像以上に薄気味悪かった。
その光景は、人間の世界が終わってしまった直後のようだ。
ペテンの魔王を倒せず、怪物が増え続けた末の世界――それをまざまざと見せつけられたかのようで、ジュールは言葉一つ漏らさずに剣の柄を握り締めた。
「こっから先は気ぃ抜くなや……」
ラーズはそう言って、すでに三叉槍を構えている。
ジュールとラーズが先導し、ハッカとドグを挟んで最後尾にアウロラがついた。
その陣形で村の奥まで進んでいく。
奥に進むほど、血の臭いは濃くなり、飛び交うカラスの数が増えていった。ハッカはすでに顔色が悪くなっている。血の臭いだけがあり、死体は見当たらないことが逆に不気味だった。
そして、村の最奥――オイルの道場だったという大きな屋敷の前に着く。
その家の前にそれらはあった。
それらは最初、大量のカラスに覆われて姿が隠れていた。ジュールたちが近づき、カラスたちが飛び立ったことで、初めて何かわかった。
ジュールは「まるで生け花のようだ」と思った。
ただし、この世で最悪の。
それは、人体を切り刻み、槍に突き立てて作られた、肉の生け花だった。
ハッカが過呼吸を起こしかけ、ドグがすぐに少年の目を覆う。ラーズはその悪趣味極まるオブジェに盛大に舌打ちをし、アウロラは矢を番えた。その悪趣味なオブジェの向こう側に、誰かが立っていたからだ。
ひとりの、年老いた男だった。
男の右半身だけが、オブジェの陰から覗いている。
その一部だけを見れば、怪物化していない、年齢にしては逞しいだけのように見えた。
けれど、その目は瞬きを忘れたように見開かれ、その口は「くちゃくちゃ」と何かを食んでいる。
嫌な予感だけしていた。
ジュールとラーズも、自分の得物を構える。
その謎の男は、右手の親指で口許を拭った。
親指の触れたところに血の跡が走る。
その男が一歩、オブジェの陰から進み出た。
男の左半身は、日没を待たずに怪物と化していた。
カマキリのような複眼と大きな顎を持ち、左腕は刀剣そのものになっていた。
ジュールは自分の思い違いを悟った。
あれは生け花ではなかった。
活けていたのではなかった。
盛り付けていたのだ――腕のいい料理人が、皿の上をそうするように。
カマキリの怪物。
それが、最強の剣士〈黄金のオイル〉の成れの果てだった。
「ドオオオオオッッッせえええああああッッッ!」
ジュールは雄叫びを上げて踏み込んだ。
怒りを爆発させた、渾身の一振りを放つ。
単純ゆえに強力無比だ。
ジュールの膂力と思い切りの良さから生まれる一撃は、下手な防御なら力尽くでぶち破れる。
しかし、怪物オイルはわずかに腰を捻り、左腕を軽く持ち上げた――それだけの動作で容易くジュールの剣を弾く。そして、怪物オイルは、大振りの後の隙を見逃さない。
怪物の右鉤突きが、ジュールの脇腹に抉り込む。
ジュールは派手に吹き飛んで民家の壁を突き破った。それを見ていたラーズが目を剥いた。たった一合の攻防だったが、それは明白だった。
「この怪物ッ、剣術を使いよったぞ!」
「いい今のやや奴は……ごごごごお五点ややややろう……百点満点でででだだが」
ラーズはさらに驚愕した。
怪物化しているはずのオイルが、言葉を口にしたからだ。ラーズは槍を構えながら、怪物の瞳を食い入るように睨む。そこに宿る意思を読み取ろうとして。
「アンタ、オイルさんなんか……?」
ラーズは試しに訊いてみた。
半分だけ怪物化している顔が、カマキリのように直角に傾いた。
「ささささぁ、お前は……ななななな何点だ?」
それだけ答えて、怪物オイルが襲い掛かった。




