村一番の馬鹿①
◇
ジュールという若者は、思い込みが強くて馬鹿だった。
村で一番声が大きくて、笑い声と同じくらい恵まれた身体を持っていた。
村の誰よりも快活に笑い、彼が笑うと周りの村人も釣られて笑った。自分が馬鹿なことは知っていたし、できないことはできないのだという分別もあった。
ただ、それでも彼は馬鹿だった。
誰かれ構わず信じて、信じたら疑わなかった。
どうしようもない御人好しだ。
だから、彼は信じられないくらい簡単に騙された。
「これは勇者の剣です」
十五歳か、そこらのころのことだった。
ジュールはその日、オドリグマの毛皮を売るために街に来ていた。
そして、毛皮を売った帰り、怪しげな商人に捕まった。目抜き通りから少し外れた、薄暗い路地裏でのことだった。
その商人は、先ほどのようなことを言って一振りの剣を見せた。
「ほう、それはすごいな」
ジュールはとりあえず、素直に感想を述べた。
けれど、何がすごいのかなんて、全然わかっていなかった。
そもそも、その剣はまだ鞘に収められている。
刀身を確認してさえいないのだから、すごいも何もないはずだ。
しかし、ジュールの目にはその商人のあまりにも怪しすぎる風采のため、かえって本当に何かしらの霊験を持っているかのように見えていた。
そして、その怪しさが一周回るほどに怪しい商人は、さらに信じ難いことを口にした。
「戒めの鞘からこの剣を引き抜いたものは、いずれ現れる魔王を倒す〈希望の勇者〉となるでしょう」
そこらの三流劇団の方が、もう少しそれらしい台詞を用意するかと思われた。
すると、これまた明らかにサクラだろうというタイミングで、禿げ頭の巨漢が現れた。
その巨漢はおもむろに前に進み出ると、商人の手から〈勇者の剣〉をもぎ取った。
「おうおう、では拙者が試して進ぜよう」
大根役者は「ふん」と剣を引っ張ったが、これっぽっちも抜けなかった。
その姿は、控えめに言っても質の悪いパントマイムのようだった。
巨漢は「本当に抜けないぜ」と棒読みしてから、ジュールに向き直って言った。
「おい、そこの兄ちゃん。いい身体しているじゃねぇか、アンタもどうだ?」
ジュールは断る文言も浮かばず、剣を受け取ってしまった。
受け取ったからには、引き抜く素振りくらいするのが礼儀かと思った。
軽く柄を握り、力も込めずに剣を引っ張ると、よく鍛えられた鋼の色が鞘から覗いた。何も考えないまま、刀身をすべて引き抜いた。
その剣はずっしりと重く、両刃は濡れたように輝いていた。猟師であるジュールにも「よい剣だ」ということはわかった。
そして、ジュールは御人好しの馬鹿だった。
オドリグマの毛皮はそれなりの硬貨に化けていた。そして、最終的に〈勇者の剣〉に化けることになった。サービス価格だった。
ジュールは〈勇者の剣〉を村に持ち帰り、村人にたいそう笑われた。
◇
剣を売りつけられてから三年、ジュールの生活に変化はなかった。
猟に出て、獲物を解体して、皮をなめして、畑を手伝って、たまに他人に騙されては、村のみんなと笑いを分かち合った。
いつぞや買った〈勇者の剣〉は、彼の家の台所で埃を被っていた。
常に見えるところに置かれているのは、母親の「あれを見るたびに自分の馬鹿さ加減を思い出せ」という無言の圧力だ。
とにかくこの三年は、平穏のうちに時が過ぎた。
ジュールはそのころ、村で行われる〈ライズの祭り〉の準備に追われていた。
冬の真ん中で行われる、長い歴史を持った祭りだ。
ライズというのは、古い時代の英雄の名前だった。
美しい女神を攫った邪竜を倒して、その女神と結ばれたという、偉大な男だ。
その伝承にあやかって、祭りの当日にはいくつかの男女が夫婦の契りを結ぶしきたりがあった。
今年はジュールの幼馴染のサーヤが、その男女の一つに名を連ねている。相手は隣村の商家の跡取り息子だ。ずっと昔から決まっていた許婚である。
「無事に嫁げたな」
サーヤの両親たちはそう言って、サーヤを祝福していた。
村人たちも同じように思っていたし、ジュールもみながそう言うのだから、「サーヤは幸せになるのだろう」と思っていた。
幼馴染が幸せになるなら、それはよいことに違いなかった。
祭りの日が近づくにつれて、多くの行商人や旅芸人が村にやってきた。
そんなある日のことだ。
「冬眠していないクマがいる?」
ジュールは知り合いの羊飼いから、そんな相談を受けた。
冬眠に失敗して家畜を襲うクマが、稀に出るのだ。羊飼いは自分の家畜が減っていることに気づいて、猟師であるジュールに「退治してもらえないか」と頼みに来ていた。
ジュールはそれを快諾して、冬の山に分け入った。
元来、人の頼みを断らないたちではあったが、今回はそれに加えて「サーヤの祝いの席に新鮮なクマ肉があるのはいいかもしれない」と考えたからだった。