火薬師の少年⑦
◇
「ぬううううおおおおおおッッッ!」
ジュールが幾度目かの咆哮を上げ、怪物に飛び掛かる。
岩のような怪物の顔面に、躊躇なく重い右正拳を入れた。
怪物の顔が衝撃でぶれる。
しかし、ダメージは入っていないのか、即座に反撃が返ってきた。
その怪物の反撃を、ジュールは左腕を上げて受け止める。強く踏ん張り、一歩も引かずに持ち堪えると、相手の追撃より先に自分からまた殴った。
攻撃こそが防御だと言わんばかりに、負けじと攻め返すジュール。拳が擦り切れて、殴るほどにボロボロになるが、それでも構わずに殴り続けた。
ジュールは腰をずっしりと落として、至近距離で戦い続ける。
芸達者なラーズをして「よっぽど驚き」と言わしめる、驚異の格闘能力だ。
怪物と何度も戦った経験と、優れた観察眼を持ち、それらを活かすだけの身体能力に恵まれたジュールだからこそ可能な芸当だった。
そして、ラーズはラーズで〈芸達者〉と呼ばれる能力を遺憾なく発揮した。
「ジュール、一歩押し込め!」
「おうとも!」
ジュールが怪物の首を掴んで捩じり倒す。
それに合わせて、ラーズは鉤爪のついた縄を操った。縄は一つの生き物のようにうねり、一瞬のうちに怪物の両前脚を縛り上げる。
「お前ッ、そんなことまでできるのか!」
「感心は後にせえッ、捕縄術は得意じゃない、すぐに振り解かれるで!」
ジュールは、縄を噛み切ろうとする怪物の頭を蹴り上げた。
怪物は大きく仰け反り、後脚立ちになる。
ジュールは左手で怪物の前脚を押さえつつ、右手を怪物の下顎にかけた。
「ドオオオオオッッッせえええああああッッッ!」
強引に口をこじ開ける。
ノコギリのような歯が、ジュールの右手に食い込んだ。
ジュールは目じりに涙を浮かべながら、大音声で叫ぶ。
「ラーズ、今だッ!」
「坊主、頼むで!」
ハッカが火打ち石で爆弾の導火線に火を点ける。
それをラーズが受け取り、怪物の口の中に左腕ごと突っ込んだ。ラーズが爆弾を食わせて腕を引き抜くと、ジュールは怪物の顎を掴んで口を閉じさせる。
爆弾を吐き出させないよう、ジュールはギリギリまで怪物を押さえ込んだ。
「四、三、二……離れて下さい!」
ハッカが叫ぶ。
ジュールはさっと飛び退くと地面に伏せた。
――――ドムッ。
くぐもった衝撃音が、怪物の内側で弾ける。
怪物はゴンと横倒しになった。
その目と口から、モクモクと煙が上がる。
想定していたより地味な結末で、ジュールとラーズは慎重に怪物に近づいた。
怪物の岩のような身体が、徐々に人のそれに代わっていく。
怪物は死んでいた。
ラーズは身体を大の字に投げ出した。全身に玉のような汗が浮いている。
ジュールも夜空を見上げて大きく息を吐く。
「はぁ、今回のは一位、二位争うしんどさやろ……」
「流石に二度はごめんだな。何より暑い……」
「というか、上着どうすんねん?」
「お前まで脱ぐことなかったんじゃないか?」
ジュールとラーズはそう笑い合っていた。
ハッカはその二人を見て立っていた。
何かを言うべきなのかもしれない。そう思いながらも、何をどの順番で言うべきか、わからなかった。
御礼が先か、謝罪が先か。
そんなことで迷っていると、ジュールがハッカに笑いかけて言った。
「ほら、できたじゃないか」
ハッカはそれで思わず笑い返す。
続いて「はい」と頷いた。
村人たちは怪物が退治されたことを知り、家から顔を覗かせていた。そして、笑い合う三人を見て、何ごとだろうと戸惑っていた。
◇
翌朝、ジュールとラーズは村人たちに上着を恵んでもらい、出発の準備を終えた。
怪物の正体は、村人たちが確かめた。
当然ながら、ジュールもラーズも知らない男だ。彼が何に絶望し、どうして怪物になったのかは、誰もわからなかった。
ポルの父親は地下牢を出て、彼ら二人にお礼を言った。もちろん、ハッカにも。
そのハッカは、村の外れのギリギリまで二人を見送りに来ている。
「お二人は、その、長い付き合いなんでしょうか?」
ハッカが村の外へと続く山道で尋ねた。
「つい最近やな」
「この春に会ったばかりだ」
二人がそう答える。
ハッカは「えっ」と口を開けた。
「たったのそれだけですか? 僕はてっきり、家族みたいに長いものだと……」
「確かに短いが、短くても十分な相手というのはいる」
「付き合い長けりゃ、信頼できるっちゅうもんでもないしな」
「すごいなぁ……」
ハッカが二人の背中を眩しそうに見る。
前を歩いているラーズが「何を言っとるんや、坊主」と呆れたように笑った。三叉槍を担いだまま、ラーズは肩越しに振り返って言う。
「お前だってやってみせたやないか。あの連携、中々良かったで」
ハッカは驚いて足を止める。
父親と死別してから、今まで誰の力も借りずに生きてきた。
誰も信じず、自分の知識と技術だけで、自分は違うんだと思って生きてきた。
卑怯で臆病な大人と一緒にされるのが嫌だった。
でも今は「お前だって」と言われて初めて嬉しいと思った。
彼らと同じだと言われて、堪らなく誇らしかった。
溢れそうになる涙を、堪えなければならないほどに――。
「楽な旅ではない。それでもよければ、君も来るか?」
村の外との境界に着いたとき、ジュールが尋ねた。
ハッカは胸元をぎゅっと握って息を呑む。
ラーズは口を挟まなかった。
その日は風が吹いていた。濃い山の緑たちが、夏の盛りの日差しを受けながら、涼しげな音を立てて揺れている。樹木の陰が、地面に模様を描いていた。
ハッカは後ろを振り返る。
山の懐に抱かれた、村の方を見る。
未練はなかった。
そして、ハッカは彼らと一緒に山を出た。
ジュールたちと一緒に、日差しを遮るもののない、広い世界に歩み出る。しばらくすると、真夏日の下の街道に三人の笑い声が響いた。




