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火薬師の少年⑤

        ◇


 夜の帳が下りて、数時間が経った。


 他の村人たちが寝静まり始めたころ、ハッカは松明を握って村を巡回していた。

 

 ハッカは「今日も怪物は出ないかもしれない」と思っていた。


 今日も怪物が出なかった方が、ポルの父親の嫌疑が増すからだ。自分が怪物なら、そうしている。それならそれで何日でも粘るつもりでいた。


 だから、村の片隅でその影に対面したとき、「へぇ」と意外な思いで呟いた。


 ハッカは松明を掲げて、眼前の異形を照らし出す。


 それはネコ科の獣のように四つ足で動く、全身が岩で出来たような怪物だ。


 ハッカは早鐘を打つ心臓を押さえながら、強がるように笑って言う。


「真っ先に僕を狙いに来ましたか。意外に短気なんですね。裁判を邪魔されたのが、そんなに気に障りましたか?」


 ハッカの挑発に対する返答は、獣の咆哮だった。

 その怪物はネコがネズミを狩るように、前脚を掲げて飛び掛かる。 

 しかし、急に立ち込めた煙が、怪物の狙いを狂わせた。

 爪は空を掻き、怪物は苛立たしげに喉を鳴らす。

 ハッカの煙幕だった。

 松明の火を使い、煙玉に着火したのである。


「おいネコモドキ、こっちだ!」


 ハッカが煙の外から松明を振る。

 煙の中からでもその松明の灯りは視認できた。

 怪物はハッカの後を追って、まさに獣のごとく走り出す。

 ハッカは村の中を逃げながら、それがついてきているのを確認した。

 

 そして、ナイフを懐から取り出すと、昼間の内に建物と建物の間に渡しておいたロープを切る。


 吊り下げられていた煉瓦が、怪物の頭上に落下した。


 しかし、怪物は怯むことなく煉瓦を跳ね除ける。


 全身の岩肌には、傷一つない。


 ハッカはさらに逃げ続けながら、軒下に置いてあるバケツを怪物に投げつけた。怪物はじっとり濡れただけで意に介さない。むしろ、子ども騙しだと嘲るように喉の奥で笑う。


 村の中心に差し掛かったころ、ハッカの息が切れ始めた。


 怪物は狩りを楽しむかのように、つかず離れずついてきている。

 

 そのとき、何かに蹴躓いたのか、ハッカが倒れた。


 無様に地面に転がり、松明を手放す。怪物は「それでは終わらせよう」とばかりに四肢を踏ん張り――落ちた。


 原始的な罠――落とし穴である。


「罠はいくつか準備しましたが、一番マヌケなのにかかりましたね」


 転んだ振りをしていたハッカが、穴の中を覗き込む。その怪物には、バケツに入っていた油が、しっかりとかかっていた。

 ハッカは冷めた顔で見下ろしながら、松明を穴の中に放り入れる。


 穴から火柱が起こり、その熱にハッカは思わず目を細めた。


 そして、火の手から距離を取りつつ、ダメ押しとばかりに懐から竹筒を取り出した。その竹筒を穴に向かって放り投げる。

 同時にハッカは身を守るように丸くなった。


 竹筒の中の爆薬が、松明の炎に触れて引火する。


 強烈な熱、音、光が、落とし穴の中で荒れ狂う――爆発だ。


 凄まじい熱風と土煙が、村の建物に吹き付ける。寝入っていた村人たちも、その音と衝撃の凄まじさに一人残らず目を覚まして身を竦めた。


 ハッカ特製の手投げ爆弾だ。


 優秀な火薬師だった父親が、息子だけに残した秘術である。

 爆弾の作り出した炎が、真夜中の村を赤々と照らし出す。

 ハッカは演技ではなかった息切れを整えながら、穴の方を睨んでいた。剣でも槍でも倒せない怪物だが、この特別製の衝撃は耐えられないはずだ。そう思っていた。


「…………」


 だから、穴から這い出す怪物の前脚を見て、ハッカは言葉を失った。


 次の瞬間には、岩の怪物が穴の中から躍り出る。


 俊敏なネコような身のこなし。


 脚の一本も欠けることなく、全身の岩肌にはやはり傷一つなかった。


「ガッ、ガッ、ガッ、ガッ」


 それはおそらく笑い声だった。

 怪物はノコギリのような歯を打ち鳴らし、爆炎を背に笑っていた。


「…………」


 ハッカはいくつもの罠を準備していた。

 しかし、そのどれもが「怪物の動きを止めて、いかに爆弾を当てるか」というものだ。つまりは父親の爆弾が通用するという前提があって、初めて成り立つ罠だった。

 

 前提が崩れたとき、彼に残された策はなかった。


 立ち尽くす以外には、何もできないと思っていた。



「うわ、キモ。あれでまだ生きとるんかい」



 そのとき、場違いなほど軽い声がハッカの右脇を通り過ぎた。

 三叉槍を担いだ口の悪い男――ラーズだ。

 ハッカが呆気にとられて右側を見ていると、今度は左側から声が掛かった。


「万策が尽きたような顔をしているな、剛毅な少年」


 ハッカはすぐに左側を向く。

 勇者を名乗った男――ジュールが立っていた。

 ジュールはハッカの隣に並び、岩の怪物を見据えながら言う。


「なら次の策を考えてくれ。時間は俺たちで稼ぐ」

「……できるんですか?」

「俺は勇者のジュールだ。当然できるとも」

「僕に……できるんですか?」


 ハッカが問うと、ジュールは意外そうに振り返る。

 見れば、ハッカの表情は強張り、その手はぎゅっと胸元を握り締めていた。冷や汗の浮かんだ顔は、夜中でもわかるほどに青ざめている。呼吸も浅くて速い。

 

 ハッカは立っているのがやっとな有様だった。


 ジュールはその様子を見て、「らしくない台詞だな、剛毅な少年」と微笑んだ。

 ジュールは何も心配していなかった。

 そんな有様でも、ハッカはちゃんと立っていた。怖くても逃げ出さず、膝が震えても座り込まず、立ち続けていた。一歩も引かずに立っていた。


 ハッカは抗うことをやめていなかった。


 臆病でも卑怯でもないと、自分は違ってみせると、自分の言葉の通りに。


 だから、ジュールはその姿勢に敬意を表して言う。



「絶望している暇はないぞ、少年」



 そして、自分の言葉を体現するかのように、ジュールは怪物に突っ込んだ。


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