僕のヒロインはカッターじゃ死ねない
放課後の屋上には誰も立ち寄らない。学校が終わってしまえば各々の時間を忙しなく生きる彼らに、こんな場所への用はない。
僕がここで彼女と出会ったのは、実は偶然というものでもなかった。
廊下に転がっていたのは、ピンクのカッターナイフ。僕でも知っている、女子に人気のうさぎのキャラクターがプリントされた、可愛らしいデザイン。
先にある階段で、彼女のスカートがひらりと舞ったような気がした。僕はカッターナイフを拾い上げ、そのまま彼女を追い掛けたという次第。
***
そして今僕は、その件のカッターナイフを首筋に突きつけられているのである。
「ねえ、ワタナベくん。私が死にたい理由、二度と追求しないって、ここで約束してくれる?」
つい先程まで、夕日に照らされた生暖かい屋上のコンクリートに転がっていた彼女と僕。
その攻撃的な姿勢とは対照的に、僕の身体に跨った彼女の黒い瞳は、切なげに揺れた。
「零前院さん‥‥あの」
「ワタナベくん」
柔らかな太腿が、僕の腰を締め付ける。だが今はその感触を楽しむ余裕など当然無く、僕はただただ情けなく怯えきった顔を晒していた。
「約束して」
耳に吹きかけられた、甘ったるく湿った呼吸。きらりと鋭く光った、ナイフの刃先。
そして僕は無意識に、カッターを握るその手を掴んでいた。ほんの一瞬、彼女は怯んだ。
「約束するよ、零前院さん」
「そこの二人、何してるの?」
***
茶髪のショートボブ、零前院ユキのそれと違ってやや短めのプリーツスカート。覗く脚は引き締まり、やや日に焼けている。
細い腰に手を当て、屋上入口に堂々と立ちはだかるのは僕も見慣れた女子生徒。
「だあれ。もしかしてひょっとして億千分の一の可能性で、ワタナベくんの、恋人さん?」
彼女がゆらりと僕の上から身を起こす。その隙に逃れようとした僕に、透かさずヒュッと鋭い刃先が突き付けられる。
「ひっ」
「そうよ、あたしがカノジョよ。文句あるわけ?零前院グループのご令嬢さん」
突如現れたこの女子生徒は、状況に物怖じもせず元気にそう言い放つ。
零前院ユキはゆっくりと立ち上がった。
僕に向けていたカッターをようやく引っ込めた‥‥かのように見えたのは一瞬で、次に素早く刃先が当てられたのは、彼女の白く美しい左手首だった。
「ワタナベくんの、嘘つき」
彼女が刃を滑らせようとした刹那、僕は肺に思いきり息を吸い込み、そしてありったけの大声で言い放った。
「違う!あいつは僕の妹なんです!」
***
僕のヒロインは明日も死ねない、かもしれない。
ここからは彼女と僕と僕の「拗らせた」妹の青春の記憶。