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僕のヒロインは今日も死ねない  作者: 小早川樹
1/5

僕のヒロインは今日も死ねない

逆に聞くけど君。

「生きたい」って、心から思ったこと、ある?


****


ここは屋上。

手すりにお尻を預けた彼女が、優雅に白い脚を組む。

真っ直ぐに下ろした長い黒髪が、風に靡くのを押さえる華奢な手。薄めの唇はほんのりピンクで、校則に違反しないギリギリの色つきリップクリームを使っていると見た。

制服のスカート丈は膝よりも少し上といったところだろうか。この角度からだと見えそうで見えない。いやそんなことを考えている場合じゃない。


そう、このシチュエーション。

僕とこの美しい同級生、屋上には二人きり。

当然、告白をされていたわけじゃない。僕にそんな青春は有り得ない。


「君のこと、知ってるわ。いつも休憩時間は机に突っ伏して寝たふりに徹してる君が、なんで今日は屋上に?」

そう。友人と呼べる相手のいない僕は、そんな陰キャの極みみたいな休憩時間の消費活動を日々行っているのである。

「‥‥本当に寝てる時もあるんですけど」

「そうなの?」

髪と同じく漆黒の瞳が、可笑しそうにきらりと光った。そんな彼女は初めて見たような気がした。

「あの、零前院さん」


なんで死にたいんですか?


***


零前院ユキはクラスで確かに浮いていた。

僕みたいに、コミュ障ゆえにグループにあぶれたような浮き方とは違う。

病的に白い肌、すらりと長い脚、ビロードみたいな黒い髪。完璧過ぎるそのルックスに加えて、冷ややかなオーラ。ヒエラルキーの上に立てる明るい美少女とは違う、彼女の独特な個性は強烈過ぎた。


僕が寝たフリに勤しむ休憩時間、彼女の席はいつも空いていた。別のクラスの友人に会いに行っていたわけではないことは何となく分かる。彼女もまた、いつも一人ぼっちだった。ただ、僕と違って彼女は一人を決して恥じていなかった。



一度だけ、彼女と言葉を交わしたことがある。

「ワタナベくん」

彼女の冷ややかな瞳は僕を真っ直ぐに見つめていた。

「社会の窓、開いてる」


***


僕のトランクスの柄を知る唯一の女性、その零前院ユキが、僕の目の前で自殺を図っていた。


「あの、零前院さん」

「なに。ワタナベくん」


そして彼女の身体はゆっくり後ろへと倒れ。

その背後に広がっていたのは、鬱蒼とした夕焼け空と、野球部が練習に励むグラウンド。

一人の野球部員が、転がっていくボールを追い掛けた。昨日や一昨日と変わらないその日常に、彼女はその美しい身体を叩きつけようとしていた。


「零前院さん!!」


***


無我夢中だった。僕は彼女の細い腰に飛びついて、そのまま強く引きずり下ろした。華奢な割にしっかりと肉の着いた柔らかなその胸が僕の頭に乗っ掛かり‥‥いや、とにかく僕は彼女の飛び降り自殺を未然に食い止めたのである。


***


仰向けに倒れた僕の隣に、自殺未遂の美少女が転がっていた。驚いた様子も無ければ、無念そうな様子も無かった。彼女はその大きな瞳で、ただただ僕を見つめるだけだった。


「なんで死にたいんですか?」

「じゃあ逆に聞くけど君。休憩時間を寝たフリでやり過ごしている君。朝の挨拶を交わす友達もいない君。お昼は必ず教室から消えてしまう君。成績も中の下、運動も出来ない、酷い近視に猫背気味、女子の目を見て話せない。逆に聞くけど君。そんな君が心から『生きたい』って思ったこと、ある?」


人形のように整った顔に無表情に見つめられて、そんな風に一気に捲し立てられて、なぜ彼女がそこまで僕の詳細を‥‥と訝しむ前に、僕は気圧されてしまった。

そんな僕でも『生きたい』と思える理由。


「‥‥魔法アイドルきらきらシスターズ」

「は?」


魔法(マジカル)アイドルきらきらシスターズ。

僕の12人の妹達「きらきらシスターズ」は、今を翔ける美少女アイドルグループ。しかしその実態は魔法少女。僕というお兄ちゃんに迫る魔の手を払う為、日夜魔法バトルに勤しんでいるのである‥‥。

という、大人気アニメ。程なくしてリリースされたスマホゲームは、社会現象と言われるまでに流行した。


「きらきらシスターズが完結するまでは僕は死ねない。きらきらシスターズのラストをこの目で見届けるまで、僕は生きたい」


ちなみに「きらシス」は現在3代目。僕は初代シスターズ・浅倉みおりの同人誌を描き続けている。


「‥‥あっはは」

呆れに可笑しさの入り混じった笑い声。ついさっきまで命を投げ出そうとしていた人間にしては、その声は軽快に屋上へ響き渡った。

「それしか今、浮かばなかった」

急に気恥ずかしくなる。僕が身体を起こそうとした瞬間、それを制すように、彼女は僕に覆い被さっていた。

「ワタナベくんらしいよ」

黒い髪が、さらりと僕の顔の横へ落ちた。睫毛が触れ合いそうなギリギリの位置まで、彼女の顔が近付いた。柔らかく温かな身体が、自然と密着状態になる。

「ねえ、ワタナベくん」

落ちた髪を耳に掛けながら、彼女は僕の名前を囁く。


「私、死ねないの。首も吊ったの。途中で苦しくなって、自分でタオルを外したの。睡眠薬もいっぱい飲んだの。起きたら酷く頭痛がしただけで、二度と醒めないなんてことは無かったの。手首を切ってお風呂に入ったの。母に見つかって、すぐに引き上げられてしまった。私、死ねないの。けど私、生きたくないの」


「れ、恋愛とか」


間抜けに裏返った声で、そう放った僕を今でも呪っている。

「零前院さん‥‥僕の好きなミオリにそっくりで可愛いし、いっそ彼氏でも作ってみるとか‥‥僕が恋してるのは二次元の女子だけど、それだけで生きてるのが楽しいよ。零前院さんも恋愛とか‥‥そういうのしてみれば、死にたいなんて思わなくて済むかもしれない、だから」


彼女からは、シャンプーの良い匂いがした。クラスの他の女子が使う香水のあれとは違う。すっきりとした柑橘系の、けれども甘い、心のどこかが疼くような、そんな香りだった。ここまで女子が、それもとびきりの美少女とこの距離で接することなんて、生涯最初で最後かもしれないとその時は妙に冷静な自分もいた。

「恋愛‥‥してみようかな」

ぽつりと呟いた。

え、と問い返す間もなく、彼女はそのまま言葉を続けた。


「ワタナベくんに恋するの。片想いして片想いして、もしもワタナベくんも私に恋してくれたら‥‥」


「今度こそ、ちゃんと死ぬの」


***


僕のヒロインは明日も死ねない、かもしれない。

これはそんな、僕と彼女の不思議な青春の記憶。


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