9.適材適所【改稿済み】
「妹さんって、十二年前に行方不明になったんだよね」
前産業局長が十六年前に行った妻殺しを罪に問えたのは、ゲルディとその父による指紋研究のお陰だが、指紋研究を始めた切っ掛けは妹さんの失踪だとヴァルターは聞いている。
「妹はまだ五歳で、本当に可愛い盛りだった。何にでも興味を持って、誰彼構わず色々な質問をして困らせることもあったけれど、家族にも使用人にもとても愛されていたんだ。そんな妹がある日突然姿を消した。そして、我が家の磨かれた門柱に紅葉のような血の手形が残されていた」
辛そうに話し出すゲルディ。いつもの陽気さとはまるで違う雰囲気にヴァルターは戸惑う。
「しかし、突然姿を消したのならゲルディ殿と関係はないのではないのか?」
なぜゲルディは妹を殺したかもしれないなどと言ったのか、ヴァルターは不思議に思い横を見る。ゲルディは辛そうに唇を噛み締めていた。
「僕は当時十歳で、父に医術を教えてもらい始めていた。医術書はとても難しかったけれど、読むことが許されたのが嬉しくて夢中になっていた。妹は僕を慕っていて『にいさま、にいさま』といつも後ろをついてきていてね。それはとても可愛いと思っていたのだけれど、でも、少しうっとうしいと感じてしまったんだ。だから、僕は妹から隠れた。五歳の小さな子どもには絶対に登ることができない木の上へ」
一旦言葉を切ったゲルディだが、少しして再び話し出した。その辛そうな告白にヴァルターは口を挟めない。
「妹は僕を探して庭を歩いていた。そして、いつもは閉まっている裏門が開いていて、そこから外へ出てしまった。不幸が重なったのはわかっている。たまたま荷物の搬入があり、裏門を開けたままになっていた。たまたま庭には誰もいなかった。でも、全ては彼女から逃げた僕の責任であるのは動かない事実だ」
「ヴァルターは悪くない! 悪いのは妹さんを連れ去った奴らじゃないか」
ゲルディがあまりにも辛そうだったので、ヴァルターは語気を強める。ゲルディに罪があるとは思えない。
ヴァルターはマリオンが五歳の頃を思い出していた。まだ戦争が始まる前で平和だった。家には父がいて、天使のように可愛らしい弟に皆夢中になっていた。ヴァルターもまた五歳下の幼い弟を可愛く思っていたが、父母や兄たちが自分に向ける関心が薄れたような気がして、少し寂しく感じていたのも事実だ。
自分も慕ってくる弟から隠れたことがあったかもしれない。ヴァルターは記憶を辿ってみたが、薄れた記憶には残っていない。それくらい些細なことなのだ。弟や妹を持つ者の多くが経験しているはずだ。
「妹が外に出なければ、誘拐されるようなこともなかった。そして、外へ出たのは僕のせいだ」
ゲルディはヴァルターの言葉を即座に否定する。ヴァルターは返事ができないでいた。それは罪ではないと言うのは容易い。しかし、ゲルディが受け入れることはないだろうと感じていた。
「閣下は死ぬ覚悟だったから、僕も殉じるつもりだったのだけどね。閣下がこの国のために生きる選択をしたのなら、僕も少しでもこの国の役に立とうと思っているよ。それが妹への贖罪かな。だから、僕は幸せになってはいけないんだ」
ゲルディの妹だって、慕っていた兄が不幸になることなど望んでいないとヴァルターは思う。それでも、どんなに言葉を尽くしてもゲルディの覚悟を覆せないだろうと感じ、口にすることができなかった。
「そんなことよりヴァルター殿だよな。閣下夫婦は仲が良すぎて見ている方が恥ずかしいくらいだし、十三歳のマリオン殿だって婚約者と仲睦まじい。ツェーザル殿は先日リタ嬢と抱き合っていたしね。そんな兄弟を見ていて羨ましくないのか?」
その言葉にヴァルターは驚く。
「そんな馬鹿な。ツェーザル兄上が、婚約もしていない女性と人前で抱き合うなどあり得ない」
愛しい女性に触れたいという気持ちはヴァルターにも理解できる。建前など無視して婚約前から女性と深い付き合いをしている男が多いのも知っている。しかし、父に似て厳格なツェーザルが相手の女性に不利になるようなことをするとは信じられなかった。
「ツェーザル殿の抱擁は、リタ嬢の方から抱きついたからね。ツェーザル殿も抱き返したので閣下は怒っていたけれど。そんなことよりヴァルター殿のことだよ。このままだと、ハルフォーフ家で居心地の悪い思いをするのではないか?」
それはヴァルターも感じている。兄弟たちから微妙に気を使われているようだ。
母からは見合いをしてみないかと勧められが、結婚を考えていないと断われば、母はそれ以上強要しなかった。
当主であるディルクは自分が恋愛結婚をしたので、弟たちにも恋愛結婚をさせたいらしく、ヴァルターの結婚に関して何も言わない。
こうして、貴族であれば婚約者がいても当然の歳になっても、ヴァルターの相手は決まっていなかった。
「しかし、アマーリア嬢やロミルダ嬢を見ていると、毎日彼女たちのご機嫌取りをするくらいなら、独り身でいる方が気楽でいいと思うけどね」
国を守るため若き頃より戦場で生きてきたディルクとツェーザルは、女性をことさら神格化するきらいがある。悪い女に誑かされるのではないかとヴァルターは本気で心配していた。
二人の兄よりは社交界に慣れているヴァルターは、本性を隠して条件のいい男を獲物のように狙う令嬢を何人も見てきたのだ。
マリオンの婚約披露の舞踏会で令嬢同士の醜い争いに巻き込まれたヴァルターは、いい加減うんざりしていた。
「あの二人より凄い令嬢はそうそういないと思うけどね」
会場に顔を出していたゲルディは、あの二人の令嬢に関してはヴァルターの意見に賛成である。あのような令嬢と一生を共にするのならば、確かに独身の方が幸せに違いない。しかし、そんな女性ばかりではないと思いたい。
「私たちのことより、今はペーターゼン子爵領のことの方が重要だ」
ヴァルターは前方を向いた。その遥か先にマリオンが賜った領地がある。
広大な領地を治めていた前領主は、山に囲まれた僻地の領地を代官に任せていた。その代官は領主の目が届かないことをいいことに、領民から搾取して私腹を肥やしていた。
前領主が横領と敵国との密約、それらを隠蔽するための誘拐及び殺人未遂の罪で断罪され、領地は分割されて他の貴族に与えられることになった時、代官は私財を持って逃げてしまった。その後は無法地帯となっている。
「面積は王都より広いが、殆どが森や山岳地帯。領民は合わせて一万人ほど。森の幸があるのでそれほど貧しくはないが、豊かでもない。大半の領民が住まう町が一つに、農民の村が三つ。それらすべてを犯罪組織が牛耳っている。そんな領地を一ヶ月で安全に住むことができる場所にしなければならない。結構大変だね」
ゲルディは大変だとは全く思っていないようで、言い方はかなり軽い。ディルクと最強部隊への信頼は揺るぎなく、彼らならば難なくやり遂げるだろと考えていた。
「まぁね」
ヴァルターもまた、彼を護るようにして取り囲んでいる最強部隊の騎士たちを頼もしげに眺めていた。
分割され新しくウェイランド侯爵領となった町はかなり栄えていた。新領主のウェイランド侯爵はとても信頼されている良い領主らしい。
明後日にはペーターゼン子爵領地に入る予定なので、最後の宿泊地となる町。その町一番の高級宿屋に一行は泊まっている。
マリオンの婚約者であるエルゼは、今まで一切不満も希望も口にせず、婚約者であるマリオンはもとより、侍女や騎士にも気配りをしていて、将来の領主夫人に相応しい行いだと皆が感心していた。
そんなエルゼが、皆と食堂で夕食をとっている時に珍しく願い事を口にした。
「マリオンさん、このお金でできるだけ沢山の砂糖と塩を購入したいのですが」
エルゼが差し出したのは袋に詰まった金貨。
「こんなお金をどうしたの?」
マリオンは先日まで騎士見習いであり、給金を受け取っていない。新しく賜った領地は荒れていて税収など期待できない。今のところマリオンは自由になる金を持っていなかった。もちろん当面必要な経費はハルフォーフ家から貸与されることになっているので、エルゼに貧乏な思いをさせることはない。
「お父様や親戚からいただいた婚約祝よ。私の自由にしていいって持たせてくれたの」
領主や嫡男が婚約者を領地へ同行するのは珍しいことではない。婚約者が領地に馴染む時間を与え、領地に受け入れられてから現地で結婚式を挙げるためだ。そのような時には婚約者の実家から花嫁道具を贈るのが慣例だが、今回の領地は荒れており、エルゼの父親であるアスムス子爵は金貨を娘に持たせることにした。
「そんな大切なお金で、なぜ砂糖と塩を買うの?」
マリオンには砂糖と塩の価格はわからないが、袋にいっぱい詰まった金貨なら、かなりの量が買えるのではないかと不思議に思った。
「もし領地に食料が足らないのであれば、真っ先に犠牲になるのは子どもたちです。その子たちを救いたいのです。六年ほど前、犯罪被害にあった乳児を我が家で預かったことがあります。その子は栄養が足らず脱水状態でした。ゲルディ様のお父様である クリューツ卿に教えでいただき、煮沸した湯に砂糖と塩を溶かし冷まして飲ませると、本当に元気になったのです。塩と砂糖なら腐らないし、もし必要なくても保管しておけますから」
エルゼはその時から、親に捨てられたり亡くしたりした子どもたちを受け入れている乳児院で奉仕活動をしていて、砂糖と塩の有用性は身にしみていた。下痢が止まらない子や、暑さでぐったりしている子に飲ませると本当に元気になるのだ。まるで魔法の水だとエルゼは感じたものだ。
「栄養が足りていない子どもたちが多いとなると、砂糖と塩は確かに必要ですね」
ゲルディがエルゼの考えに賛成する。
「王都で買えば良かったのですが、ソルヴェーグ子爵家のリタさんから、ウェイランド侯爵領は岩塩と砂糖大根が有名で、現地で購入した方が断然安いと伺ったものですから」
マリオンに連れられて行ったリタの店で、エルゼは地方の物産に詳しいリタから様々な話を訊いていた。そして、ペーターゼン子爵の名産品は何も知らないと言われて落ち込んだ。それでも、名産品があれば店に置いてくれるとリタが言ってくれたので、エルゼは頑張って何か探そうと決めている。
「エルゼさんの意図はわかった。しかし、ソルヴェーグ子爵領を平和にするまでは王宮の役目だから、我々の予算を使おう。その金貨は我々が去った後に使うといい。ヴァルター、塩と砂糖、それに小麦を購入する交渉を頼む。マリオンでは舐められてしまうかもしれないから」
それまで黙って聞いていたディルクは、エルゼが領地のために金を使おうとしていることがわかり、王宮からの予算で賄えることを伝えた。
エルゼは自分の言い出したことに騎士団の予算を使うことに戸惑っていたが、
「きっとそのお金が必要な時がくるよ。その時有難く使わせてもらおう」
マリオンが優しくそう言ったので、エルゼは納得した。
「了解。この領地を潤わせながら、なるべく沢山の物資を仕入れてみせる」
権力で安くさせるのは本意ではない。しかし、高い買い物もしたくないとヴァルターは思う。
「確かに適材かもな」
ゲルディは頷いている。
最強部隊の騎士たちは皆大柄で厳つく威圧感がある。彼らが交渉すると不当に安くさせてしまうかもしれない。女性であるエルゼや十三歳のマリオンでは舐められて不当な価格で買わされてしまいそうだ。将軍であるディルクは柔和な顔立ちで威圧感はないし、心優しく人情家なので、困っていると嘘をつかれて高額で売りつけられそうで心配だ。ゲルディは交渉など面倒なことはしたくない。
「ヴァルター兄様、よろしくお願い」
マリオンが笑顔でヴァルターに頼んだ。その笑顔の可愛らしさに厳つい騎士たちも思わず笑みを漏らす。
「ヴァルター様、お手数をおかけいたしますが、お願いいたします」
エルゼもヴァルターが適任であると感じていた。そんなエルゼを眺めていたマリオンは、領地のことを考えてくれている彼女のことが益々好きになっていた。




