2.偉大な将軍閣下は犬呼ばわりされる【改稿済み】
「とりあえず母上を呼んでくるから、マリオンはエルゼ嬢を応接室へご案内して。まだ婚約もしていないのに二人きりになるのは駄目だから、ヴァルターも同席してくれ」
婚約前にリーナと二人きりにしてもらえなかったディルクは、マリオンにもそれを許すつもりはない。そう言い残して、ディルクは母が住まう別棟へと急ぐ。
「応接室はこっちだよ」
マリオンが手を差し出すと、エルゼは恥ずかしそうにマリオンの手に自らの手を重ねた。マリオンは頬が緩みそうになるのをこらえ、精悍な顔でエスコートしている。
ヴァルターは少し呆れながらその後についていく。
ディルクの結婚後に母が移り住んだ別棟には、大きな衣装部屋と立派なドレッシングルームが作られていた。
母は今日もそこにリーナを連れ込み、侍女総出で彼女を飾り立てている。もちろん指揮を取っているのは母である。
「奥様、本当にお綺麗です。旦那様もお喜びになるでしょう」
うっとりとリーナを眺めているのは、リーナの養親になった侯爵家からついてきた侍女のアリーゼ。まだ十五歳の彼女はリーナの化粧や髪のアレンジを任せてもらえないが、先輩侍女の技術を盗みたいと、目を凝らしながら美しくなっていくリーナを見つめている。
他の侍女もリーナの仕上がりに満足そうに頷いた。
「でも、少し恥ずかしいです」
リーナが椅子から立ち上がり、少し歩いてみて頬を染めた。
本日のドレスは東の国から献上された民族衣装。リーナが歩くとスカートの切れ目から白い脚がちらちらと露出して、かなり扇情的だ。形の良い胸や細い腰の線もはっきりとわかるような細身のドレスで、短いプラチナブロンドの髪は左右に分けて頭の横で丸くひとまとめにしている。
「リーナさん、とても美しいわ。ディルクに見せるのはもったいないけれど、仕方がないので呼んでくるわね。無視すると拗ねそうだから」
母もリーナの仕上がりに大満足し、微笑みながら部屋を出ていこうとした。
「母上、話がありますので、急いで本棟の方へ来てもらえませんか?」
母が部屋を出るよりも早く、ディルクがドアをノックしながら中の母親に向かって声をかけた。
「リーナさんの着替えは済んでいるわ。入ってもかまわないわよ」
母の許可が下りると、ディルクは勢いよくドアを開ける。そして、リーナを凝視した。
「リーナ、き、綺麗だ」
一気にディルクの顔が緩む。
「変ではないですか?」
そう訊きながら、リーナはゆっくりと回ってみせた。スカートが広がり切れ込みから陶器のような美しい脚が覗く。
ディルクは嬉しそうに笑顔を見せながら、頭を横に振っている。
「変なところなど、まったく、どこにもないから。異国の衣装もリーナに似合いすぎる」
「なんだか、最近ディルクを喜ばせるためにリーナさんを着飾らせているようで、少し納得いかないわね」
ディルクのだらしない笑顔を見ながらため息をつく母。
「でも、旦那様は本当に嬉しそうで、こちらまで幸せな気分になります。ぶんぶん振り回しているしっぽが見えそうですよね」
そんなアリーゼの発言に他の侍女たちは顔を真っ青にしたが、犬呼ばわりされたディルクはリーナに夢中で全く聞いていない。
「本当に犬みたいね」
母はアリーゼの失言を咎めるどころか同意している。リーナはさすがに後でアリーゼを注意しなければと考えていた。
「ところで、ディルク。私に何か用事があってここまで来たのではないの?」
最初は急いでいる様子だったが、今はリーナのまわりを嬉しそうに歩いているだけで用件を言おうとしないディルクに、母が焦れながら尋ねた。
「忘れていた。マリオンが婚約者を連れてきています。母上、早く本棟へ来てください」
「なぜそんな大事なことを忘れるのですか!」
「だって、リーナが綺麗だから」
笑顔で言い放つディルク。
「人のせいにするではないわ!」
剣を素早く抜いてディルクに襲いかかる母親。目も止まらない速さで剣を抜き、母の剣を止めるディルク。
リーナも侍女たちもいつものことなので慣れている。驚くこともしなかった。
軽々と剣を止められ悔しそうに剣を収めた母は、舌打ちをして部屋を出ていった。その後をディルクが続く。
「マリオン様が婚約? そんな……」
まだ十三歳の天使のようなマリオンが婚約者を連れてきたと訊いて、リーナは信じられない思いだ。
マリオンを超絶美少女に変身させた経験を持つ侍女たちは、もう二度と女装させる機会がなくなるのではないかと残念に思っていた。
応接室ではエルゼの隣にマリオンが腰を下ろし、その向かいにヴァルターが座る。
爵位を継ぐ予定のなかったマリオンは、ただの騎士としてエルゼに接していて、家名を名乗っていなかった。彼がハルフォーフ家の四男と知ったエルゼは、緊張しながら母の登場を待っている。
「そんなに緊張しなくても大丈夫。母様は怖い人だけど、理不尽なことを言う人ではないよ。僕たちのことをきっと認めてくれるはずだから」
エルゼを元気づけているマリオンを、ヴァルターはぼんやりと眺めていた。ヴァルターが戦場に行ったのは十三歳の時。その時のヴァルターと同い年になったマリオンは、自ら婚約者を探してきた。
もうすぐ十九歳になるヴァルターは、婚約を決めてもおかしくない年齢である。しかし、そんな気は一切ない。母も当主であるディルクも婚約を強要することはなかった。
長兄のディルクは既に結婚している。休日のディルクの代理として騎士団に出勤していて不在の次男ツェーザルも、想い人ができたらしく最近は挙動不審だ。そこに、四男のマリオンが婚約者を連れてきた。
ハルフォーフ家が持つ子爵位の一つを既に継いているヴァルターであるが、無理に結婚しなくても、兄弟の子どもに爵位を継がせればいいと考えていた。しかし、自分だけが取り残された気分になっているのも事実だ。
隣に建つ棟に呼びに行ったにしては時間がかかるなと思っていた頃に、やっと母親とディルクが応接室にやって来た。
「まぁ、貴女はアスムス子爵家の令嬢、エルゼ様ではないですか!」
応接室へ入るなり、母はエルゼを見て驚きの声を上げる。
軽い気持ちでウェラー侯爵に婚約の打診をしたことが、エルゼの婚約解消にまで発展してしまい、母は事の重大さにエルゼのことをマリオンに伝えられずにいた。それなのに、なぜかウェラー侯爵令嬢の代わりに婚約を勧められたエルゼがマリオンの隣に座っている。
「はじめまして。アスムス子爵の娘エルゼです。よろしくお願いたします」
突然の母の登場に驚き、エルゼは飛び上がるように立ち上がり、慌てて淑女の礼をとった。
「僕はエルゼさんと婚約するんだ! 反対しても無駄だから。母様が打診したという方にはちゃんと断って」
マリオンも立ち上がり、堂々と婚約を宣言した。
「はい? だって、マリオンの婚約者に勧められたのはエルゼ様だけど」
母は意味がわからず頭を傾げていた。
「とりあえず座ってください」
ヴァルターはこのままでは話が進まないと思い、場を仕切ることにし、立っている者たちに座るように促した。ディルクと母、そして、マリオンとエリゼが腰を下ろす。
「二人はどうして知り合ったのですか?」
まずは馴れ初めを聞かなければとヴァルターは考えた。
「半年ほど前の事ですが、私が乗った馬車が子犬を轢いてしまいそうだったのですが、マリオンさんが子犬を助けてくれたのです」
「その子犬はとても痩せていて可哀想なくらいだった。どうしようかと悩んでいたら、エルゼさんが子犬を飼ってくれるって言ってくれた。それで、僕はほとんど毎日子犬に会いに行っていたんだ」
当時にことを思い出したのか、顔を見合わせて微笑んでいるマリオンとエルゼ。
「マリオンが騎士訓練を終えた後、友人の家に行っていたのは知っていたのですが、まさか女性だったとは」
友人の家で犬を飼っていると、マリオンが楽しそうに言っていたのをヴァルターは覚えている。そして、一ヶ月くらい前から、マリオンが暗い顔をするようになったことも。
母は訝しげにマリオンとエルゼを見ていた。