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15.ヴァルターの疑問

「どうやってあの真面目なゲルティを誑かした? 卑猥な甘言をささやいたのか? それともその体をさらしてみせたのか?」

 馬の手綱を握るヴァルターの前に横座りさせられているニコラは、猿ぐつわを噛まされているので怒気を含んだヴァルターの問いに答えることができない。ニコラは後ろ上を向き目でそのことを伝えようとした。

「別に答えを求めていない。お前のような貧相な女のためになぜゲルティが逃亡を企てたのか。それが信じられないだけだ」

 ゲルティと二人きりの時間はごくわずかだった筈である。それにも拘らず、見かけは官能的とは言い難いニコラがゲルティを虜にした。彼女がどのような手管を使ってくるかもわらず、ヴァルターはニコラを不気味だと感じていた。


「他の騎士のことも誘惑する恐れがあるので、お前をこの場で殺した方が後腐れなさそうだが」

 ヴァルターがそう言うと、ニコラは恐怖で身を竦ませる。ヴァルターの冴え冴えとした声は、それが冗談ではないと思わせた。

「将軍を謀殺しようとした女が死ぬことを恐れるのか? 人を殺そうとすれば、自分も殺されても仕方がないだろう。しかし、お前を殺せばゲルティが本当に逃亡してしまいそうだから、今は殺さない。将軍である兄か、新領主である弟が刑罰を決めるから、覚悟しておけ。将軍を亡き者にしようとし、最強部隊の軍医を誘惑して逃走させた。楽に死ねないかもしれないな」

 ヴァルターは冷静にニコラの罪を挙げていく。


 ニコラはとりあえず今すぐには殺されないことに安堵したが、この後のことを思うと素直の喜べない。青碧の闘神と呼ばれる偉大な将軍の噂はこのような田舎まで届いている。この大国の守護神であり、全てを無に帰す破壊神とも呼ばれている彼の命を狙ったのだ。ただでは済むはずはないとニコルの顔から血の気が失せていく。


 父親のことも兄であるヴァルターのことも、そして、風前の灯火である自分の命のことも心配で、ニコラは体が小刻みに震えるのを止めることはできなかった。


 ヴァルターは落ちないようにニコラを腕で支えているので、彼女が震えているのがわかった。だが、それは自業自得であると感じている。

 ディルクを人形に仕込んだ弓で狙ったのは、父親を人質にとられてやむを得なかったのかもしれないが、ゲルティを誘惑したことはニコルの意思であるはずだ。自分が逃げるためにゲルティを脱走させたことは、絶対に許せないとヴァルターは思っていた。



 二人を乗せた馬は速度を上げて草原を駆けていく。向かうは緩やかな丘の上に立つ代官館。

 そんな二人をゲルティも追いかけていた。

『ヴァルター殿が女性を酷く扱うとは思えないが……』

 木に縫い留められていたヴァルターの手紙の筆跡はかなり怒ってるように見える。ゲルティは唇を噛みながら馬に鞭を入れた。




 代官邸の庭は騒然としていた。

 屋敷を根城にしていた輩たちは全員縛り上げて一か所に集めている。思った以上に速やかに掃討作戦は完了したが、その仲間だと思われていた娘が、十二年も行方不明だったゲルティの妹だと判明したのだ。とにかく早くゲルティに伝えてやりたいと、騎士たちは避難している三人を探すことにした。

「ヴァルター殿、ゲルティ殿、そして、ニコラ嬢もどこにも見当たりません」

 近隣を捜索していた騎士たちが次々と帰還するが、三人の発見の知らせは未だにもたらされていない。


「もう少し遠くまで探せ。ニコラ嬢は絶対に無事に王都へ連れ帰るのだ」

 苛立ちを見せながらディルクは最強部隊の騎士たちにそう命じていた。



「ニコラはどこにいるんだ!」

 助け出された時の上半身裸のまま縛られている男が怒鳴っている。ニコラを誘拐してそのまま育てた義父だ。

「そもそも、お前が誘拐などするから、このような事態になっているのだろうが! たった五歳の幼児を、しかも、怪我の治療をしてくれた恩人を連れ去るなどと、鬼畜の所業だ! 恥を知れ」

 普段は柔和なディルクの表情が憤怒へと変わっていく。そして大声で怒鳴った。その威厳たるや闘神の名に相応しい。しかし、怒りが去れば穏やかな青年の顔に戻るのだ。


「それは本当に悪いと思っている。俺のことを騎士に伝えられるのが怖かったんだ。それに騎士に追いつかれた時は人質にしようと思い連れ去ってしまった。だが、この地で一緒に暮らしていくうちに情が湧いてきて、今では本当に大切な娘だと思っている。ニコラだってそう思ってくれているはずだ。お願いだ。ニコラを助けてくれ」

 後ろ手に縛られている男は両膝を地に付けて頭を下げた。

 有名な犯罪組織である『漆黒の鷲』の幹部だったと知られた以上、自分が死刑になるのは仕方がないが、ニコラだけは助けて欲しいと男は本気で願っていた。

「都合のいいことを言うな! どれほどニコラ嬢を可愛がっていようとも、おまえが誘拐犯であることは変わらないのだからな」

 ディルクの怒りは鎮まりそうにない。



「閣下。ヴァルター殿がニコラ嬢を馬に乗せてこちらに向かっています。ゲルティ殿も少し後を追ってきています」

 一人の騎士が走り寄ってきてディルクにそう伝えた。その顔には安堵の表情が浮かんている。


 しばらくするとヴァルターの馬が庭までやって来る。ディルクの前で馬を止めた彼は、ニコラを荷物の様に下へ降ろした。慌てて駆け寄ったディルクが倒れそうになニコラを受け止める。

 ヴァルターが馬を降りる間に、ディルクはニコラの口から猿轡を外した。

「兄上、この女はゲルティを誘惑して脱走させようとしました。不用意に近付くと危険です」

 妻のリーナを溺愛しているディルクが他の女に誘惑されるとは思えないが、ニコラの手口がわからないので用心するにこしたことはないと、ヴァルターはディルクに忠告した。

「それは誤解だ。ニコラ嬢は……」


「ニコラに触らないでくれ! いくら閣下でも許さない」

 ゲルティはようやくヴァルターの馬に追いついた。彼は慌てて馬から降りて、ヴァルターにニコラのことを説明しようとしていたディルクの言葉を止めるように叫ぶ。そして、ディルクの腕からニコラを奪い返した。


「ニコラは絶対に殺させない」

 ニコラを背に隠しながらゲルティはディルクたちを睨んでいる。

「ゲルティ殿。その女から離れろ! なぜ、男を誘惑するような女に執着するんだ」

 ヴァルターはゲルティの目を覚ましたいと怒鳴りつけた。

「ニコラを侮辱するな! ニコラはそんなことをしない」

 ゲルティも怒鳴り返す。


「ニコラ! 無事か」

 縛られたままニコラの義父が叫ぶ。

「お父さん!」

 全速力で走る馬に揺られていたので、酔ったように思考がまとまらなかったニコラだが、縛られている義父を見てようやく頭がはっきりしてきた。慌てて義父に駆け寄ろうとする。そんな彼女をゲルティが止めた。

 ニコラを片腕で抱いたまま、ゲルティは剣を抜く。軍医とはいえ彼は最強軍団の一員である。縛られた男を一太刀で切り捨てることなど容易い。

「おまえがニコラを誘拐した男か。絶対に許さない。楽に死なせるなんて思うなよ」

 ゲルティは男にゆっくりと近付いていく。あまりの怒りに口のは壮絶な微笑みが浮かんでいた。

「止めて! お父さんを殺さないで」

 ニコラがゲルティの腕から逃げ出そうともがく。


「こんな男を庇うのか?」

 絶対にニコラを逃がさないというように腕の力を強めてゲルティが訊いた。

「だって、私のお父さんだから」

 潤んだ目でニコラはゲルティを見上げている。

 ヴァルターは何かがおかしいと思い始めていた。

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