アーバイン伯爵(2)
「ふん、くたばったか。」
それが、父が俺の母の死を知ったときの感想だった。俺は父上に母が執拗な苛めの末に殺されたことを訴えようと考えていた。だが、俺はなんでそんな無駄なことを考えていたのだろうか?
「ヘルドトス、これは良い教訓だ。強さこそ全てだ。地位・金・権力・武力・知力、お前の母には全てなかった。だから死んで当然なのだ。」
父を俺は憎いと思ってしまった。弱い立場にある母を見捨て、自分よりも上の爵位の貴族や王族に媚びへつらい、弱い相手には偉そうにふんぞり返っていた父が許せなかった。
「分かりました、お父様。」
だから、俺はこの家を出た。
当時、魔族との戦争が激化する中で、俺は傭兵になった。戦場に出た俺は数多くの魔族を切り殺した。民家も襲撃して略奪行為に参加し、多くの魔族の女を辱しめ、子供を奴隷商人に。俺が色んな意味で童貞を卒業したのは僅か11歳のことであった。
俺は才能に恵まれていた。ガキが正規の訓練もなく叩き上げで戦場を生き抜くのはかなり珍しい。俺のことを侮る奴もいたが、そいつらには死んでもらった。そして、気づいたら俺は周りの歳上の奴等を指揮して戦場を駆け抜けていた。
13歳の時、俺は傭兵団のNo.3にまで登り詰めていた。そんな折、俺は腹違いの兄と再開することになった。
魔族がついにアーバイン伯爵領に進軍してきて、腰の重い王国軍の到着が遅く、代わりに傭兵団が雇われることになった。その交渉をしにアーバイン伯爵の使者が送られてきた。
俺は数年ぶりに兄と顔を合わせた。
「お前はヘルドトスか?」
「……」
「こんなところにいたのか。今まで探したぞ。」
「ああ…」
「お前の母上の件は本当にすまなかった。私はあの時のことをずっと後悔している。私の母もあれ以来ずっと気を塞いでいるのだ。」
勇者になることを期待された兄はなるほど立派な貴公子になっていた。上品な佇まいに女受けの良さそうな清潔感のある顔つき、さぞや丁重に育てられたのだろう。
俺がこれからやることを考えればむしろこちらから謝罪した方が良いのではないかと思いさえする。謝ったところで俺は一切容赦しない。
「父上がお前のことを心配していたぞ。戻ってこい。」
呑気な平和ボケした顔を見ると、なぜもっと早く殺さなかったのか、過去の自分を拷問したいと思ってしまった。それに、こいつのアホ面を見ていると笑いが止まらない。
「くくくく。」
「何だ?なぜ笑う?」
「お前、童貞だろ。」
そして、周囲が爆笑した。
「ヘルドさん、貴族のボンボンに失礼だぜ!」
「言われてみれば、確かにそうかもな!」
「やっぱ貴族は婚約者以外の相手と寝ないのか!一途やな。」
「私、童貞なの!うふん!」
「ぎゃははははははは。腹が痛いわ!」
「ってヘルドさん貴族と面識あるのかよ。ひえー」
「これからはヘルド坊っちゃんってお呼びします。」
「今発言したのこいつです。」
「お前、終わったな。」
「はははははは」
兄は動揺していた。ずっと、蝶よ花よと温室で育ってきたのだ。ノブレスオブリージを実践して、女性を大事にし、相手をリスペクトするという姿勢が垣間見える。
だが、俺は心が広くないので、かつての仕打ちを許すことはない。
「おい、貴族様に失礼だぞ、ヘルド。よく来てくれましたアーバイン様。家の者が大変失礼しました。」
「ああ、あまり気にしていない。」
「なら良かったです。それでは商談に移りましょうか。」
「分かった。」
そして、No.1とNo.2と一緒に兄は部屋の奥に入っていった。
俺はまだ見た目が子供だから商談に入れてもらえない。相手に舐められるからだ。
しばらく時間が経過して、兄が部屋から出てきた。そして、俺の方に歩いてきた。
「なんだ?俺を殺る気か?」
「俺はお前に申し訳ないとずっと思っている。償いをしたいんだ。だから、戻ってきてくれないか?」
こいつの目は本気だった。泣きそうな顔をしながら、俺に懇願している。まあ、こいつの嫌がらせは周りに触発された節がある。木刀の件は俺にも落ち度はあったし、それに、水をかけられたり、虫をご飯に入れられるのも些細なことである。
そもそもこいつを殺すつもりは俺にはない。たった一人の兄弟じゃないか?
「大丈夫、いつか戻るよ。」
次に会ったときにお前の顔が絶望で染まるのを見るのが楽しみだ。
◇
魔族の猛攻は想像以上に厳しく、多くの兵士が犠牲となった。俺も兵士と一緒に全力で戦った。そこで人の姿をした魔族を切り殺した。断末魔の声が耳から離れない。俺は魔族を切り殺す感触に慣れそうもない。
戦場は体力的にも精神的にも過酷だった。だが、すぐ近くに弟がいるのだ。逃げることはできない。俺は長男としてしっかりと責任を果たすのだ。
かつて俺が迫害した弟は何の躊躇いもなく魔族を獅子奮迅の活躍で相手を次々と切り捨てていた。我流であったが、洗練されて美しいと思ってしまった。アーバイン家の剣術の流派であることは見ていて分かった。たった一人、誰からも教わらず、自分の力でここまで高めたのだろう。
素直に賞賛するしかなかった。俺の通っていた貴族の学校では俺の剣術の腕は一番だったが、俺よりもずっと先にヘルドは立っていた。あいつは天才だ。
だが、その後ろ姿はどこか危うい。
だから、俺があいつを守るしかない。
ある晩、俺は見張りに立っていたヘルドと二人で話す機会を作った。俺は今までの償いをするんだ。
「なあ、戦いが終わったら学校に通わないか?」
「突然なんだ?」
「結構前から決めていたことだ。俺はお前に幸せになってほしい。父上のことは俺が説得する。貴族としてしっかりと教養を身につけて、一緒にアーバイン領を盛り立ててくれないか?」
「つまり、貴様に冷水をかけられ、ムチで打たれるのを甘受しろと?魅力的な提案だな。」
「あははははは」
「何か面白かったのか?」
「いや、そこまで口が回るのなら立派な貴族にお前はなれる!俺が保障する!」
「……お前は勇者になろうと思っていないのか?」
場の空気が変わった。どうもヘルドの表情が上手く読み取れない。
「え?あの絵本に出てくる勇者のことか?ああ、父上も母上も俺が幸せになる道を選んでほしいと仰っていたし、俺の幸せは家族を守ることだ。だから、アーバイン家の繁栄が俺の夢で、勇者になろうとは考えてないよ。」
「……そうか。」
それ以降はヘルドがそっぽを向いてしまったので話しかけることはできなかった。
(兄ちゃんがお前を立派な貴族にして見せるからな。)
俺は弟が深い闇の中にいることにまるで気づいていなかった。この時は、純粋に家族に戻れると信じていた。
しょうがないじゃないか。俺はヘルドの母上が冷水をかけられたり、ムチで打たれていたことを知らなかったのだから。憎しみがどれほど深いか知ることができなかった。
温室で育った俺が全く知らない間に外では温室を食い荒らそうと狙いを定めた天敵が成長していたのだ。
その天敵は間もなく羽化しようとしていた。その時、絶望し、希望を失った。
それでも、俺は弟を信じている。いつか分かり合えると。たった一人の兄弟だから。