同じ夢
(熱いっ……熱い熱い熱い!)
けたたましい轟音の中で、破滅の呪文と年越しの鐘の音が微かに聞こえる。周りにはごうごうと真っ赤に燃え盛る炎の渦。チェルとアルは炎の渦の中心にいた。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
チェルは涙で視界をゆがめながらも必死に兄を呼び続けている。
炎の渦は天へ向かって勢いを増し、じわじわと二人への距離を縮めていた。
燃え上がる炎の柱の間から呪文を唱えているだろう人影ゆらりとが見えた。
二人はその人物をよく知っている。
(――お母さん……)
世界が闇に染まった。
ばちっと目を覚ますと暗闇の中にいた。だんだん目が慣れてきたのか、ここが自分の部屋だということに数分かかった。しんと静まり返っている自室で、布団に包まれていたが暖かさは感じられない。
夢の余韻からか体が重く感じ、知らずのうちに手が震えている。
「お母さん……」
弱弱しく呟いた声は虚しく消え目頭がつん、と熱くなった。ぐるぐると夢の断片が頭の中で駆け巡り、飲み込まれそうになる感覚に襲われた。
燃え上がる炎、破滅の呪文、微かに聞こえる鐘の音、そして母の姿。それらをを払うように頭を振ると、緑色の髪がべっとりと顔に張り付いてしまった。
髪を払おうと額に手をやるとぐっしょり汗をかいていることに気付き、洗面所へ向かった。
ひたひたと冷たく暗い廊下の闇に飲み込まれそうな感覚だったが、洗面所がある奥の方から光が漏れていて安堵した。
「チェル?どうしたこんな時間に?」
兄のアルがタオルで顔を拭いていた。目が微かに赤い。チェルは充血した兄の目を見て微かに状況を悟った。
(まだそう決まったわけじゃない。そんなことあるはずないじゃない)
お母さんに殺されそうになる夢を見た、とはとても言えず簡潔に話すことにした。
「とても怖い夢を見たの。思わず泣いちゃって……」
顔を洗いながら震える口を必死に動かしているチェルを見て、アルは少し悩んだが決心して言った。
「殺される夢」
「えっ?」
チェルは動揺した。崩れそうになる足で必死に体を支え、俯きながら確認する。
「誰に?」
出てきたのは一番聞きたくない言葉だった。
「――母さん」
そう告げられたとき重い沈黙が流れた。さっき見た夢が鮮明に脳裏に浮かびあがる。
(またか……)
お兄ちゃんも思っていることは同じだろう。
悲しみと不安がどっと押し寄せてきて、視界が歪む。
「大丈夫。今日はもう遅いから明日ゆっくり話し合おう。二人で考えれば良い方向へ導けるさ」
暖かくて大きな手がチェルの頭を包むようになでる。この暖かさをずっと感じていたかった。
しかし、これから起きるかもしれない出来事のことを考えると、兄の温もりはすぐさまかき消された。
「そうだね。うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
チェルの頭から手をそっと離し、自室へと戻って行った。チェルも続くように洗面所の電気を消し、自室へと戻った。
頭の中で黒く淀んだもので埋め尽くされていた。ぐるぐると渦巻いている中心にはやはり母がいた。なぜあのような夢を見たのだろう。
周囲をよく確認しないまま布団へ向かっている時、左足に痛みが走った。
「痛っ!」
机の角に足をぶつけ、カタンと何かが倒れる音がした。
周囲を見渡し音がした方向には,夕方兄と遊んでいたままのチェス盤が広げてあった。
チェルは他の駒を倒さないようにそっと手を伸ばし、倒れた黒のキングを静かに立てた。