第8話: 安らぎ
彼は、シャワーを浴びている。 現実ではないような事実を、私は酔いも手伝って、ぼんやりと受け入れようとしていた。
受け入れようとしていた・・・と言いながら、私はそれを望んでいたはずなのに。彼に、ただただ抱かれたかったのに。 だけど、どこか釈然としない自分がいる。
私という人間は、一体どうなっているんだろう。 夫を愛していると言いながら、それでも他の誰かを好きになるなんて。 愛の意味を履き違えているのではないのか?
愛と恋とは、絶対的な違いがある。それは、夫と結婚する前からわかっていた。 だからこそ、もう「恋愛」を捨てた私には、愛だけで良かったのではないのか?
・・・その答えは、出るはずもなかった。 ではいつ出るのか? 悶々とした時間を、彼がシャワーを浴びている間送っていた。
彼がシャワーから出てきた後、私は続いてシャワーを浴びた。 未だ悶々とした気持ちは抱えていたものの、一日の汗を流すことは、スッキリすることではあった。
シャワーから出ると、彼は、ビールを飲んでいた。
「私ももらおうかな」なんとなく、それまでの気持ちは消え、すんなりと言葉が私の中から出ていた。
ベッドの端に座ったまま、二人で少しビールを飲んだ後、なんとなくグラスを置き、そして、初めて唇を合わせた。 それだけで自分の中の全てが溶けてしまいそうだった。 幸せだった。
そして、彼は、私を優しく彼の腕の中に引き寄せてくれて、そのまま、たどたどしく、でも、優しい愛撫をしてくれた。
二人が一つになる瞬間だった。 私は、これまでの人生で、これほどの安堵感を得たことはあっただろうか? 後に思うことだったけど、その時は、ただただ幸せだった。 こんなに、優しさに満ち溢れた瞬間を送ることができるんだ、って。
私は、幸せの絶頂に達し、彼もまた、私の中で絶頂に達していた。 そのことがまた、私は幸せだった。
もう、離れたくない。 この人とずっと一緒にいたい。 そう思ってしまったことは、紛れもない事実だった。 このまま・・・私、この人といられないのかな? この先、二度と会えなくなってしまうんだろうか? それを承知で今一緒に居るはずなのに、こんなことを思ってしまうのは、卑怯だろうか? ・・・卑怯だろう。
・・・また、頭の中をいろんな思いが駆け巡った。
どうして、出会ってしまったのだろう。
出会わなければ、こんなことにならずに、私はきっと幸せな結婚を続けて、そして、老いていったのだろうに。
そんな思いも心に浮かびながら、でも、否、という思いが全てを消した。
人を好きになることは、悪ではない。 不倫は、確かに良いことではないのはわかっている。倫理に反しているということだろう。 確かにそうかもしれない。
でも、人は、倫理だけでは生きていけない生き物ではないだろうか?
心がどうしようもないときもあるのではないだろうか?
人を傷つけてしまうことは、あってはならないことだけれど、どうしようもないこともあるのではないだろうか?
彼を好きな自分を正当化しようとしているのかもしれない。 かもしれない・・・というより、きっとそうなのだろう。
でも、その気持ちに嘘だけはつけないんだ。
彼を好きな気持ちは、本当なんだ。 いつ、会えなくなったとして、いつ、無になってしまうとしても、私は、今このとき、彼を好きなんだ。
出会ってしまったことを後悔するのは、自分を否定してしまうことだ。全てを。
悪である自分すら全て、受け入れよう。
また、終わりが来ることを、辛くても、それすら受け入れよう。
私が頭の中でぐちゃぐちゃ考えていたら、彼が私の唇にそっとキスをしてくれた。そして、
また、私たちは愛し合ったんだ。