第5話: 失恋
契約終了日。 いよいよ、仕事も最終日になってしまった。 もう、終わりだ。 終わったら、彼を忘れることができるだろう。 できるのだろうか? ・・・そんな、ぐちゃぐちゃし気持ちを抱えたまま、時間がチッチ、チッチと、意味もなく大きな音を立てて過ぎていくのがわかった。 彼は・・・すぐそこにいるのに。 相変わらず、バカなことを話して笑いあっているのに。 私は、顔は笑っているのに、心はと云えば・・・凍ってしまうぐらいの緊張感を保っていた。
17:00。 いよいよ、終わりが来た。
「お疲れ様でした。」数人の、契約終了日の人たちと同じように、労ってくれた。 終わりだ。
何も変わらない日々が来るのだろう。 もう、終わったんだ。
いつか、なんて、もう二度とない。 私がこれほど思ってることなんて、もう、ずっと昔のことのように思うときが来るんだ。 ・・・そう、思おうとしていた。
私たちの契約満了を、同じ仕事をしていた仲間が、労いの会合を持ってくれた。 私は、空虚な心を抱えたまま、でも、楽しんでその時を過ごしいた。
そんなとき、一通のメールが届いたんだ。 彼だった。
「飲みすぎ、注意ですよ。」って。
そんな、何でもない一通のメールが、私にはとてつもなく幸せなことだったんだ。 本当に、自分は、中学生か?と疑うぐらいの感情を持ってしまった。 不覚だ。
「来ない?」って返信に、彼は、「仕事が終わりません」だった。 何度かやりとりをした後、会合も終わって、もう自宅がある駅に着いたとき、「帰りますね」ってまたメールが入ったんだ。 そのとき、私は何も考えられなくなっていた。 すぐ、そこにあった電車まで、全力疾走して乗り込んでいたんだ。
「会いたい」そう、呼吸が乱れながら、携帯に打ち込んでいた。「駅で待ってる」って。
職場のある駅まで、また戻っている私がいた。
彼が駅に着くまで、私は駅のど真ん中で佇んでいた。 「佇む」なんて、私の人生で、そうない行動だな、なんて、冷静な自分もいたけど、とにかく、佇んでいた。 前には、大画面に、アイドル歌手の曲が流れていた。
「あみさん」ふいに、私を呼ぶ声がした。ぐるっと見回すと、目の前に彼がいた。 彼だ!
・・・それだけで幸せだった。
「帰りますよ」私の気持ちは関係なく、彼は言った。
「一緒にいて」私は、自分の全てを出し切って、そう言った。
「ダメです、帰りますよ」彼は言った。
「一緒にいたい」もっともっと、もうこれ以上無理っていうぐらいの全てを出し切って
言った。
「僕には、長く付き合っている彼女がいます。だから、無理です。」
完敗だった。
何に・・・と言われたら、私にもわからないけど、とにかく完敗だった。
そして、一生の不覚だった。 私は、夫を裏切っていたのだから。
浮気、とか、不倫というのは、体が伴ったからということではないと思う。それよりも、もっと重罪だろう。 心が動いているのだから。
そう、わかっていても、尚、私は彼が好きだった。
「好きなの。どうしようもないの。今日だけでいい。一緒にいて」
大馬鹿だ。 それでも、一緒にいたかった。
「帰りますよ・・・」
「・・・ごめんね、困らせて。 帰るね」
私も、その言葉を残して、帰りの電車に乗った。
駅に着いて、一人、喫煙場所でタバコを吸いながら、泣いた。 涙の理由は、きっとたくさんあったんだろうけど、とにかく、泣いた。 子供のように泣いて泣いて、泣きじゃくって、人の目など、もう気にもならなかった。
そして・・・夫が私を迎えにきた。 私は、また、夫のところに戻るのだろう。 それしかないのだろう。 うろうろ、そんなことを思いながら、ただただ泣いていた。