第11話: 衝撃
「会いたいんだけど、明日時間はありますか?」躊躇なく、メールを送った。少し時間が経った後、「ごめんね、仕事中でメールできなかった。明日、時間作るよ。会おう」そう返信が届いた。 何度かやり取りをして、いつか行ったバーで会う約束をした。
心は、明日さよならをするという現実を、まだ実感としては感じることができていなかったけど、それでもなんとなくすっきりしている自分がそこにはいたように感じた。
もう、人を傷つけてしまう人間にはなりたくない。誰もが幸せになる結論なのだから、それが一番良いことなんだ。 自分に言い聞かせていた。
本当は・・・
もう、よそう。 さっき、自分の中で答えを出したんだから。
翌日、約束の時間のちょっと前に、約束の場所で彼を待った。 そのときも、複雑な気持ちを持ちながら、その反面、ウキウキしている自分もいた。改めて、彼のことが好きな自分に会ってしまったんだ。 でも、今までの自分じゃないんだ。
少し遅れて彼がバーのドアを開けて入ってきた。 「ごめんね、ちょっと遅れちゃったね。」「いいの。待ってるのも楽しかったよ!」二人とも笑顔だった。本当は、泣きそうだったのに、彼の顔を見たら、自然に笑顔が出てしまった。 そんな自分が、滑稽でもあった。
ほろ酔いになるぐらいまで二人で他愛のない会話を楽しんで、お店を出た。
「ゆっくりしよう」彼に誘われた。 私は、コクっと、頷いた。 最後なんだな。 目一杯愛してもらおう。もっと苦しくなるかもしれないけど、でも、彼を私の中にしっかりと刻みこんでおこう。
二人は、暗黙の了解で、以前にも行った場所に入った。 そして、シャワーを浴びた後、何度も何度も愛し合った。 ・・・幸せだったんだ。 やっぱり、大好きで仕方ない彼だ。こんなにも私を幸せにしてくれる。 抱かれながら、涙が止まらなかった。 涙が出るほど幸せだったんだ。 もう、最後なのに、それでも心底幸せだった。 在り来たりな、そして、クサい台詞で心境を表すとしたら、生まれ変わったら、今度は、誰も傷つけずに出会えたらいいな、ってところなのかな。
身支度を済ませて、帰り道、彼に言った。
「もう、会わずにおこうね。」
「は?」
「もう、さよならだよ。」
「なんで? やだよ。」
「終わりなの。」
「なんで? 離れたくないよ。」
「彼女を傷つけたくない。 家族を傷つけたくない。 このまま一緒にいたら、私は、彼女も、私の家族も傷つけることになってしまう。だから、あと何年この関係を続けても、今ここでさよならしても、それに変わりはないと思うの。」
「でも、お互い、そこを大切にしながら、一緒にいようって決めたじゃない? 離れるなんて考えられないよ。」
「彼女とは、一緒にいたいでしょう?」
「・・・・・」
「私も、家族とは離れられないの。だけど、あなたのこと、どうしようもないぐらい好きなの。だから、本当はずっとずっとこうしていたい。 そして居続けたら、私はきっと、この嘘に耐えられなくなってしまう。全てを壊したくなってしまう。 そうなったら・・・みんなが傷ついてしまうと思う。 それはできないんだよ。」
「俺も、同じだよ。でも、離れられないよ。好きなのに、離れたくないよ。」
一緒なんだよ。私も、同じ気持ちなんだ。
「私たちは、まだ『愛』になってないよね。彼女のことは、きっと愛してるんだと思うよ。私も、家族を心から愛してる。 その愛を、傷つけるわけにはいかないと思う。 私とあなたが、お互いのことが『愛』に変わったとしたら・・・そのときは、何かが変わるかもしれないよ。」
「・・・なんとなく、わかったような気がする。でも、答えはもうちょっと待ってほしい。」
「わかった。 待ってるね。」
答えが出ないまま、その日は別れた。
私の気持ちに変わりはなかったけど、彼の気持ちも考えたかった。
彼に対しても、私の勝手から始まったのだし、彼をも苦しめることになってしまったのも、私の責任だからだ。
家に帰ると、夫はまた、ベッドには入らずに、私の帰りを待っていた。 そして、リビングでなんとなく二人ソファーに座ってちょっとだけお酒を飲んだ。
ふいに夫が口を開いた。
「あみは、自分の気持ちに嘘をついてるでしょう?」
私は、驚くという感覚すら持てずに、夫を見た。
「何故?」
「何故? うーん・・・。あみも、俺のこと、きっと何も聞かなくてもわかるでしょう?俺もそうだよ。あみが何かに苦しみ、悩み、迷い、我慢しているのはわかるよ。」
私は言葉も出なかった。
「もう、何年も前から、自分を抑えて生きていたよね。家族のことだけを思って、どうしたらうまくいくのかだけを考えて生きてきたよね。俺とは・・・恋愛じゃなかったよね。 きっと、すごく苦しかっただろうな、ってわかってたんだ。」
「・・・・・」
「でも、俺は、あみとずっとずっと一緒に生きていたかった。今も、家族3人で、いつか離れている楓ちゃんも一緒に生きていけたらいいな、って思ってる。」
「うん・・・」
「でもね、俺は正直、あみを愛してるんだ。だから・・・苦しんでいるあみをほってはおけないんだよ。 俺や、子供たちのことを思って無理するんだったら、それはやめてほしい。好きな人がいるのなら、とことん好きでいたほうがいいんだよ。俺は・・・正直なところを言えば、嫉妬もするし、俺のものだけでいてくれって思うけど、でも、あみは物じゃない。生身の人間なんだよ。 俺が、その好きな人のような魅力がなかっただけなんだから、仕方ないんだ。」
私は、どこまで大馬鹿だったんだろう。夫に、ここまで知られていて、しかもここまで思わせてしまっていたんだ。 もう、どうしようもない。 結局、傷つけ、苦しめていたんだ。
「何も言えない」やっとのことで、口を開いた。
「あみが、ここまでの人生で、どれだけ苦しんで、悲しんで、ぼろぼろになってきたのか、俺はよくわかってるつもりだよ。だから、幸せになって欲しいんだ。 俺じゃない誰かが幸せにしてくれるのならば、それでいいんだよ。子供は、これからも二人で育てていこう。でも、夫婦でいる必要は、俺たちはないと思う。・・・どうしてか?って言ったら、あみも俺も、家族を愛してるからだよ。」
私は、もう、言葉を発することはなかった。 ただ、涙だけが勝手に流れ落ちていた。
なんと、酷い人間なのか。 そして、夫は、何処までも私を愛してくれていたのだ。
何も答えなど出ないまま、夜が明けたんだ。