【矛盾】労働をこの世から無くす仕事を、四十年やっています
元ネタ:https://note.com/kaduma/n/n29feea6833a3?sub_rt=share_pw
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働かずに暮らせるなら、そのほうがいい。たいていの人はそう思っています。月曜の朝、お布団から出たくない。私もそうです。
そもそも労働というのは、強制された仕事のことです。好きでやることは、労働とは言いません。強制なんですから、無いほうがいい。いじめや事故が無いほうがいいのと、同じです。ここまでは、いいですね。
もちろん、労働がゼロになるわけがない、と言う人はいます。みんなが働かなくなったら、生産が止まる、と。でも、いじめだって、ゼロになるわけがない。交通事故も、自殺も。それでも「いじめをなくそう」「交通事故ゼロ」と書いた紙を、無理だ、現実を見ろ、と笑う人はいません。だったら、「労働をなくそう」と言って、何が悪いんですか。悪くないでしょう。
私は、その「労働をなくそう」を、仕事にしています。今年で四十年です。今日からあなたも、この現場です。たいした仕事ではありません。水を垂らすだけです。
私は、他の労働廃絶論者とは、少し違う。たいていの廃絶論者は、言うだけです。口先だけです。言って、満足して、それで終わり。我々は、本気にしました。労働が、なぜ無くならないのか。原因を、突き止めたんです。
富士のふもと、青木ヶ原の地下に、こぶしくらいの石が埋まっています。玄武岩です。あれに当たると、人は「人は働かなきゃ生きていけない」「人がすすんで働くわけがない」「労働しなきゃいけない」と確信するようになる。世の中の強制は、全部あの石から出ています。労働の呪いです。
だから、石を削ります。雨垂れ石を穿つ、と言いますね。水を一滴ずつ垂らして、呪いの出どころごと無くす。玄武岩はモース硬度六です。削れるには削れますが、遅い。年に〇.〇三ミリ。事業団の推計だと、終わるのは西暦四万八千九百七十六年です。千八百世代くらい先になります。これを中期計画と呼んでいます。去年は予定より三年、早く進みました。四十年やって、三年です。よくやったほうだと思います。
ややこしい話を一つ。岩が削れるのは、水滴がぶつかる力ではありません。二つあります。一つは、溶ける。石というのは、水に少しずつ溶けるんです。砂糖ほどあからさまではありませんが、ほんの少し、水に持っていかれる。雨ざらしの墓石が、何百年でつるつるになるでしょう。あれです。もう一つは、凍る。石には、目に見えない細かいひびがある。そこに水が染み込んで、冬に凍る。水は凍ると、ふくらむ。ふくらんで、内側から、ひびを押し広げる。春に融けて、また染みて、また凍って、また広げる。これを毎年やると、石は、ぼろぼろと欠けていきます。つまり、削っているのは、ぶつかる勢いではなくて、溶かすのと、凍らせるのと、この二つなんです。
これを学者に指摘されて、事業団は揉めました。ぶつける意味がないなら垂らすのをやめるべきだ、という者が出た。とんでもない。ことわざは「穿つ」と言っているんです。穿つ、というからには、ぶつけて、穴を、開ける。我々は、ぶつけ続けます。科学が何と言おうと。
一滴にもやり方があります。粒の大きさ、落とす高さ、手首の角度、水の硬さ。最近の若い人は、ばしゃばしゃ濡らせばいいと思っている。あれは滴下ではありません。水撒きです。私は硬い水は使いません。カルシウムの多い水は石にやさしい。やさしくして、どうするんですか。
息子は継ぎませんでした。東京で会社員をしています。かわいそうにと思います。強制で働かされて、上司に頭を下げて、満員電車に乗って、月曜の朝、布団から出られない顔をして。私はこうやって、人を強制から救う仕事をしているのに。朝六時から夜九時まで、雨の日も出ます。三六協定のぎりぎりまでです。有給は四十年で、一度も取っていません。いい仕事です。
前に、若いのが「これ、終わるんですか」と訊いてきました。さっき言ったでしょう。いじめと同じです。終わるかどうかなんて、訊くほうがおかしい。そう言ったら、黙りました。私も、それきり、考えないことにしています。
ところで、肝心なことを言っておきます。雨垂れ石を穿つ、と言いました。では、何を雨垂れと呼ぶのか。これで、事業団は割れました。
まず、ジェット派が出ました。高圧の水で一気に削る。速いです。堕落です。あれは一滴ではない。ことわざに反している。速いのは、悪です。
我々は、原典主義といいます。重力にまかせて、一滴ずつ。私の宗派です。
原典主義の中から、天然雨垂れ派が出ました。水道水は人が作ったものだ、ことわざは雨垂れと言っているんだから、本物の雨水だけを使え、と。なるほどと思うでしょう。雨が降るまで、作業は止まります。
次に、特定降水原理主義が出ました。ただの雨ではぬるい、霊山に降って、穢れなく集めた雨だけが本物の雨垂れだ、と。白糸の滝のあたりの雨を、桶で受けて運びます。うちの山の雨がいちばん尊い、と言う。要するに、縄張りです。
最後に、神意派が出ました。これは覚えておくといいです。人が狙って垂らす、その手つきが作為だ、作為は強制だ、強制は労働だ、だから人の垂らす一滴は全部、呪いで穢れている。本当に完全な雨垂れとは、人の手が一切触れず、岩がただ雨に打たれることだ。そう言うんです。
つまり、彼らのいちばん清くて、いちばん正しいやり方は、何もせず、石を外に置いて、空にまかせることです。労働を、一切しないことです。
それは、この事業の目的そのものです。でも我々は、彼らを破門しました。異端だと。会場からつまみ出して。なぜか。彼らが正しいからです。彼らが正しいと、私の仕事も、滴下技能士の等級も、事業団も、ゆるキャラのポタリくんも、ふるさと納税の返礼水も、全部消える。だから我々は、いちばん正しい者を、いちばん嫌いました。労働を無くす連中が、寄ってたかって、労働を無くした男を、追い出したわけです。当然のことだと思います。
まあ、正直に言いますか。私がジェット派でも神意派でもなく、原典主義をずっとやっているのは、教義のためではありません。天然雨垂れ派の長が、私の義理の兄でしてね。三十年前の法事で、私が座るはずだった上座に、すっと座った。それきりです。それきり、口をきいていません。
四万年の神学の話を、さんざんしました。しておいてなんですが、私には、四万年より、あの上座一つ分のずれのほうが、重いんです。
前置きが長くなりました。道具を渡します。これが、滴下器です。持ってみてください。軽いでしょう。
この仕事のいちばんいいところを教えます。終わらないことです。あなたの代にもある。子供の代にもある。四万年、無くならない。こんなに安定した仕事は、今どきありません。
終わらないのは、いいことです。申し送りだけ、頼みますね。四万年後の、誰かまで。
ほら。また落ちました。一滴。




