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第12話:「黒板と、遠い国の影」


 勝負の翌朝。

 アルクは中央本部の執務室で、すでに次の図面を広げていた。

 ガラムに「お前は昨日あんなことがあったのに、なんで今日も働いてるんだ」と呆れられたが、アルクにとってはこれが一番楽しい時間だった。

「……よし、これで設計は完璧だ」

 図面の上には、これまでとは少し違う建物の姿が描かれていた。城でも倉庫でも要塞でもない。大きな窓、広い廊下、中庭には噴水。

 学校だ。

(前世で俺は、ずっと「誰からも必要とされない」場所にいた。でも、もし俺がちゃんと学べる場所があったなら……いや、そうじゃない。この世界の子供たちには、最初から「選択肢」を持ってほしい)

 アルクは鉛筆を置き、窓の外を眺めた。

 エデルの街では、子供たちが石畳の上を駆け回っている。彼らの親は農民だったり、元狩人だったり、採掘師だったりする。この世界では、生まれた家によって学べることが決まってしまう。

(それを、変えたい。ただそれだけだ)

     *

「ポポポポポシュッ!」

 翌日から建設が始まった。

 今回アルクがこだわったのは「光」だった。教室の窓は南向きに大きく取り、透過強化ブロックで作ったガラス窓から柔らかい陽光が差し込むように設計する。壁の色はこれまでの無骨な石の灰色ではなく、砂岩系のブロックで温かみのある白に近いクリーム色。床には衝撃を吸収する特殊ブロックを敷き詰め、子供が転んでも痛くないようにした。

「アルク様、これは何の部屋ですか? やけに天井が高いですが」

 建設班の一人が首を傾げる。

「体育館だよ。雨の日でも体を動かせる場所。……あと、ここが図書室になる予定。セラフィナさんのエルフの知識を全部本にまとめてもらって、誰でも読めるようにするんだ」

「図書室……本を、誰でも読んでいいんですか?」

「当たり前じゃないですか」

 建設班の男が、なぜか目を潤ませた。

「……俺、本を読んだことないんです。字は少し読めるけど、本なんて貴族のものだと思ってたから」

 アルクはその男の肩を軽く叩いた。

「ここが完成したら、一番に入っていいよ」

     *

 三日後、「エデル学院」が完成した。

 中央広場から少し丘を上ったところにある、白いクリーム色の建物だ。大きな窓から陽光が差し込み、中庭の噴水がきらきらと水を弾いている。入り口の上には、アルクが一文字ずつ丁寧に彫った石板がはめ込まれていた。

「知識は、全ての人のものである」

 セラフィナがその文字を見上げ、静かに微笑んだ。

「素敵な言葉ですわね、アルク様」

「前世で……昔、誰かに言われた気がするんだよね。誰だったか忘れたけど」

     *

 開校初日の朝。

 教室に子供たちが集まってきた。農民の子、狩人の子、エルフの子。みんな目をきらきらさせて、生まれて初めて見る「黒板」を珍しそうに眺めている。

「あれ、なんだろ。真っ黒い板だ」

「触ったら怒られるかな」

「触っていいよ」

 アルクが後ろから声をかけると、子供たちが一斉に振り返った。

「アルク様だ!」「今日の先生はアルク様なの!?」「やったあ!」

 わあっと子供たちが駆け寄ってくる。アルクは少し照れながら黒板の前に立った。

 そこへ、教室の扉がそっと開いた。

 ぎ、ぎぎ……。

 隙間から、見覚えのある大きな手がのぞいた。

「……あの、ここ、大人も入っていいって聞いたんだが」

 ガラムだった。

 全身に銀の鎧を纏った騎士団長が、教室の入り口で体を縮こまらせている。その後ろには、同じく気まずそうな顔をしたボルドがいた。

「もちろんどうぞ」

 アルクが言った瞬間、子供たちが一斉にガラムを見た。

「おじさんも生徒なの?」

「おじさん……っ!」

 ガラムの顔がみるみる赤くなった。

「お、おじさんじゃない! 俺はエデル騎士団長ガラムだ! 別に、勉強しに来たわけじゃなくて、視察というか、警備というか……」

「じゃあここ座って」

 アルクが一番前の席を指差す。

「え、一番前……」

「空いてるのそこだけだから」

 ガラムは渋々、明らかに体のサイズに合っていない小さな椅子に腰を下ろした。膝が机に当たってガコガコ音がする。隣の席の七歳くらいの女の子が、ガラムをじっと見上げた。

「おじさん、大きいね」

「……ありがとう」

 ガラムの返事が、どこか哀れだった。

     *

 授業が始まった。

 午前中はアルクが「算術」と「文字」を教える。黒板に数字と文字を書いていくと、子供たちが「おおー!」と声を上げる。

「じゃあ問題。一辺が五メートルの正方形の部屋、床のブロックは何個必要でしょう」

 子供たちが一斉に指を折り始める。その中で、ガラムが真剣な顔でノートに何かを書き込んでいた。

 アルクがそっと覗くと、ガラムのノートにはびっしりと計算式が書かれていた。しかも……

「ガラムさん、それ全部掛け算じゃなくて足し算してますよ」

「ぐっ……!」

 隣の女の子がガラムのノートを覗いてくすくす笑った。

「おじさん、五たす五はね、十だよ?」

「わ、わかってる! わかってるんだ!」

 ガラムの顔が今日二度目の真っ赤になった。

     *

 午後からは選択授業だ。

 セラフィナの「植物学・魔法理論」の教室には、エルフの子供たちに混じって、農作業班の大人が何人も入ってきた。

「あの……私、もっと上手に作物を育てたくて」

「まあ、素晴らしいですわ。どなたでも大歓迎ですよ」

 セラフィナが百合の花のような笑顔で迎え入れる。

 ボルドの「採掘・鉱物学」の教室では、逆のことが起きていた。

「この鉱石の名前は何でしょう?」

 ボルドが得意げに黒い石を掲げると、前列の少年が即座に手を上げた。

「はい! それ、黒鉄鉱こくてっこうです! 熱に強くて、アルク様が城壁の補強に使ってた石です!」

 ボルドが固まった。

「……よ、よく知ってるな」

「アルク様の建設現場でいつも見てるから!」

 ボルドは口をへの字に曲げたまま、黒板に向き直った。その耳が、微妙に赤くなっていた。

     *

 夕方。授業が終わり、子供たちが帰っていく。

 中庭の噴水のそばで、アルクが一人ぼんやりと空を眺めていると、聞き覚えのある重い足音が近づいてきた。

「……やっぱりここにいたか」

 バルトロだった。

 例によって疲れ切った顔をしている。

「また視察ですか」

「……また視察です。陛下の命で」

 バルトロはため息をつきながら、学院の建物を見渡した。

「正直、今日も驚かされると思っていましたよ。城壁、水道、交番……あなたの作るものは毎回常識を超えてくる。だから今回も、よほど奇妙な建物を建てたのかと思っていました」

「普通の学校ですよ」

「……普通では、ありませんでした」

 バルトロは窓の向こうを見た。そこでは、まだ残っていたガラムが、あの七歳の女の子に文字を教わっていた。真剣な顔で羽根ペンを握り、子供に「そこ、ちがう!」と笑われながら、それでも諦めずに書き直している。

「……我が国では、貴族の子しかまともな教育を受けられません。民は読み書きすら知らずに一生を終える者も多い。なのにここでは……騎士団長が、農民の子供と並んで学んでいる」

 バルトロは静かに言った。

「アルク殿。これが、あなたの目指す国ですか」

 アルクは少し考えてから、いつものさらっとした口調で答えた。

「当たり前じゃないですか。知識は全員のものですから」

 バルトロはしばらく黙っていた。

 やがて、これまで一度も見せたことのない、穏やかな表情で言った。

「……私も、少し学んでいいですか。算術が苦手で、ずっと恥ずかしかったので」

「どうぞ。ガラムさんの隣が空いてます」

「あの方の隣は……少し賑やかそうですが」

「大丈夫ですよ、きっと仲良くなれます」

 バルトロが恐る恐る教室へ向かうのを見送って、アルクはまた空を見上げた。

 穏やかな夕暮れだった。

     *

 ——同じ頃。

 エデルから遠く離れた場所に、その宮殿はあった。

 高い天井、冷たい石の床。窓から差し込む光は弱く、室内はどこまでも薄暗い。炎を揺らす燭台だけが、ぼんやりと玉座を照らしていた。

 玉座に座る「何者か」の手に、一枚のスケッチが握られていた。

 精密に描かれた、銀色に輝く城壁。その足元で煮えたぎるマグマの堀。整然と並ぶ石造りの建物。そして——中央に立つ、小さな少年の後ろ姿。

「……カスティアが、膝を折ったと」

 低く、静かな声だった。感情が読めない。

 側近が一歩前に出て、震える声で報告した。

「はい。農村が数ヶ月で要塞化し、エルフを取り込み、魔物の大群を退け、カスティアの精鋭騎士団を打ち破りました。しかも……その全てを、十歳の子供が指揮したと」

「……十歳」

 「何者か」がゆっくりとスケッチを机に置いた。

「人間が、数ヶ月でそこまでやれるはずがない。あれは普通の子供ではない。……何かが、憑いている」

「ではどう動きますか」

 長い沈黙。

 燭台の炎が、風もないのに揺れた。

「今は動かない」

「……と、おっしゃいますと?」

「焦る必要はない。あの子供の『限界』がどこにあるか、もう少し見極めてからだ。……だが」

 「何者か」が立ち上がった。ローブの裾が石の床を静かに滑る。

 窓の外、遠い地平線の向こうを見つめながら、低く呟いた。

「エデルとやらが、これ以上大きくなる前に……必ず、潰す」

 その指先に嵌まった指輪が、燭台の光を受けて一瞬だけ輝いた。

 そこに刻まれた紋章は——エデルでも、カスティアでもない、第三の国のものだった。


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