第1話:神建築家の転生先は、建築技術がガバガバな世界でした
大手化学メーカーの事務職、佐藤。それが彼の前世だった。
勤めていた会社はいわゆる「ホワイト企業」で、残業は一切ない。有給休暇も100%消化でき、給与も平均よりは上。だが、組織改編の煽りを受けて配属されたのは、社内でも「隔離部屋」と揶揄される、実務のほとんどない部署だった。
朝九時に出社し、メールを確認し、誰からも頼まれない資料の整理を細々とこなす。同僚たちは忙しそうにフロアを行き来するが、佐藤のデスクを訪れる者は一人もいない。むしろ来なくていい。
「お疲れ様です」
定時の鐘と同時に席を立つ彼に、声をかける者もいなかった。
誰からも期待されず、誰の役にも立っていないという、贅沢で残酷な孤独。
その空虚な心を埋めてくれたのが、世界的人気ゲーム『ミネクラフト』だった。
帰宅後の午後六時から深夜まで、そして休日。彼は全神経を「建築」に注いだ。数百万個のブロックを一つひとつ積み上げ、現実の物理法則を無視した巨大な浮遊城や、数キロメートルに及ぶ緻密な幾何学模様の都市を築き上げる。
SNSに画像を投稿すれば、数万の「いいね」と賞賛のコメントが並んだ。
『神の仕業だ』
『人間業じゃない。この構造美はどうやって計算されているんだ?』
画面の中でだけ、彼は誰よりも必要とされ、尊敬される「神建築家」だった。彼にとって、現実のホワイトな職場は、この最高な建築作業のための「準備期間」に過ぎなくなっていた。
——だが、その平穏な絶縁状態は、突如として断ち切られる。
いつも通りの定時退勤。いつも通りの駅のホーム。
イヤホンでゲームの攻略動画を聴きながら、明日の建築計画に思いを馳せていた時だ。
背後から、急ぎ足のサラリーマンが足をもつれさせ、佐藤の背中を激しく突き飛ばした。
「あ……」
浮遊感。
視界がスローモーションになり、線路の砂利がすぐそばに迫る。
遠くで響く急ブレーキの金切り声。
(……ああ、せめて、あの未完成の空中庭園……あそこまで完成させてから死にたかったな……)
だが、そんな想いは激しい衝撃と共に白光の中に消えた。
*
「オギャア! オギャア!」
気がつくと、自分は泣いていた。
肺に冷たい空気が入り込み、全身が何かに包まれている感覚。
「おめでとう! 元気な男の子ですよ!」
ぼやけた視界に、安堵の涙を流す見知らぬ女性と、古びた木造の家、そして魔法の残り香のような不思議な光の粒が見えた。
(……転生。いや、生まれ変わりか?いやどっちも同じか。)
佐藤は——いや、彼は「アルク」として、第二の人生を開始した。
アルクが育ったのは、エデル村という辺境の農村だった。
文明レベルは中世ヨーロッパに近い。だが、決定的な違いは「魔法」の存在だった。
人々は火を灯し、水を呼び、石を砕くために魔法を使う。
前世で「建築」という概念に魂を売ったアルクにとって、この世界の建物はあまりにも粗末だった。
「父さん、この壁の接合部、構造計算が甘いよ。もう少し重心を分散させないと、地震が来たら……」
「じしん? アルク、お前は時々難しいことを言うなぁ。壁は石を積んで、泥で固める。それだけだよ」
アルクは10歳になるまで、目立たないよう、しかし着実に「この世界のルール」を学んだ。
この世界には、一人ひとりに「適性属性」が備わっており、10歳の誕生日に教会の水晶でそれが明かされる。
アルクは確信していた。
(俺の頭の中には、前世で積み上げた数千万のブロックのデータがある。もし魔法でそれを形にできれば、この世界を塗り替えられる)
そして、運命の日。
村の小さな教会の祭壇。神官が厳かに告げる。
「アルク・フェルゼン。属性は……『造形魔法』だ」
その瞬間、周囲にいた大人たちが一斉に視線を逸らした。
憐れみ、落胆、そして「外れか」という残酷な納得。
「造形魔法……あの、一度使えば魔力を使い果たして卒倒するという、役立たずの魔法か」
「以前、造形魔法を授かった者は、小さなナイフ一本を作るのに丸一日寝込んだそうだ」
「職人としても使い物にならない。道具を使った方がよっぽど早くて丈夫なものが作れるからな」
造形魔法。
それは「イメージを具現化する」という、文字通り神のような響きを持ちながら、実際には「構築計算」の負担が脳に過剰にかかり、魔力消費が異常に激しい欠陥属性だった。
神官が同情的な声で付け加える。
「……アルク。落胆することはない。普通の農作業なら、魔法などなくとも生きていける」
だが、俯くアルクの脳内では、かつてないほどの快楽物質が分泌されていた。
(……今、属性を判定された瞬間に理解した。みんな、根本的に間違ってる)
この世界の魔法使いは、完成図をそのまま出力しようとしている。
例えば「剣」を作ろうとすれば、刃の鋭さ、柄の装飾、重心のバランス……それら全ての複雑な情報を一度に処理しようとするから、脳が焼き切れ、魔力を浪費するのだ。
だが、アルクの思考は違う。
彼は知っている。
どれほど複雑な聖堂も、どれほど巨大な城も、突き詰めれば「小さな立方体」の集合体に過ぎないことを。
(複雑な造形なんていらない。俺が作るのは、たった一種。魔力効率を極限まで最適化したブロックだけでいい。それを組み上げるのは、魔法じゃなくて俺の技術だ)
アルクは静かに地面に手を置いた。
意識するのは、前世で何億回と配置してきた、あの見慣れた立方体。
情報を極限まで削ぎ落とし、最小単位のデータを魔力へと変換する。
「……生成」
ポシュッ、という小さな音と共に。いや音可愛いなおい。
アルクの手元に、この世界の工芸品よりも遥かに精緻な、完璧な直角を持つ「?のブロック」が音もなく出現した。
一回で気絶する?
とんでもない。今の魔力消費量は、深呼吸一回分にも満たない。
(これなら……無限に積めるぞ)
ハズレ魔法使いと蔑まれた少年が、前世の「窓際」で培った狂気的な情熱を解き放つ。
世界で唯一の『規格化された魔法』による、異世界建築無双が幕を開けた。




