影の宇宙
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よ~し、よし、今日は間違いなく金曜日だよな? 明日は土曜日で休みなんだよな?
いや~、一昔前はみんなでどれだけ連勤しているか競ったものだから、休みと聞いても「ほんとに休みか?」の恐れのほうが勝るな。なんか集団でかつがれているんじゃないかってね。
休みにしても、いつどこで誰が穴を作るか分からないから、電話の鳴るのがいちいち恐怖。謳歌しきれない休みの時間とか心が全然落ち着かない。
ゆえに変わってきた職場環境というのは、少しは安心できるもんよ。どこに「甲斐」を見出すかは人によるけど。
その点、自然現象は休みを与えられないから大変だ。
受動的に結果をもたらすばかりとはいえ、そこに科学的な働きあり、反応あり、エネルギーの変化あり……片時もまったく同じ状態は存在せず、事態は先へ先へ進んでいくものだ。
休みは休みでも、もしそこに特殊な変化があるなら、頭や気持ちの切り替えを余儀なくされる。もし守らなければ、休みそのものが吹き飛んでしまうかもしれないから……。
少し前に友達から聞いた話なんだが、耳に入れてみないかい?
炎天下に外へ出るとしたら、心掛けることのひとつに日陰を移動するというものがある。
いかに直射日光を防ぐ装備をしていたとしても、自前では限界がみえるもの。自然にあるものに頼ることで、自然の猛威から身を守るのは、理にかなっているといえよう。
友達もその日はとあるイベントへ参加するために、真夏の歩道を先へ急いでいた。建物の影などは熟知していたが、交通量が多いところなどはときどき車が走ってきて、日陰を提供してくれるものだからありがたい。
一般的な乗用車だと、あっという間に通り過ぎてしまい、まさに涼風のごとく。しかしバスとかトラックとかの大型車だと、長々と身をさえぎってくれるから少し楽になる。
実際には機械の身体が発する排熱、排ガスのたぐいがあって、エアコンのごとき快適さを期待すると肩透かしをくらう。それでも直射日光が強烈にさいなめてくる環境において、相対的な快適さは十分勝るものだ。
徒歩でおよそ20分の道のり。目的地は建物の中だから、そこまで持てばいい。
その心地でせっせと足を運び、おおよそ全体の三分の二が過ぎたところ。
歩道をゆく友達の背後から、さっと大きい影がやってきた。
たちまち体を包み込み、先刻までの産毛立つような熱気をさえぎってくれるも、友達は違和感をぬぐえない。
これが車のものだったなら、背後より近づいてきて、今なお耳を打つエンジン音が発せられているはず。なのに、それが感じられなかった。
大鳥、大雲のたぐいもなし。車道、上空にも何もないまま、友達は得体のしれない大きな影の中に入り込んだまま歩く形になっていた。
抜け出そうにも、すでに影は友達を追い越したまま、進む先すべてをその身体でもって占拠しきっている。背後もまた同じで、見通せる限りが暗い幕をかぶされて、輪郭のみの姿でもってたたずんでいた。
いったい、自分はどのような状態になっているのだろう。
友達は思う。これほど巨大な影を持ちながら、何者が自分のそばへ立っているのだろうと。
こうしている間にも、自分の行く歩道の横の車道では乗用車たちが何台も行ったり来たりしている。いずれも足を止めずに来ては去っていくあたりを見ると、この影が見えていないか気付いていないか。もしくは気づいていながらも、あえて無視して進んでいるか。
こうも自分以外が平然としていると、不安が募って来るものだ。友達は歩きから走りに変え、どうにかこの影の外へ出ようとする。
友達は何分か息をきらして走り、影が宇宙ではないか、という考えに至ったらしい。
というのも、影の端こそ見えたものの、その領域はいまだどんどんと先へ広がっていくのを目の当たりにしたからだ。
宇宙はいまだ膨張を続けている。現在の人間の技術ではその果てへたどり着くことはかなわないが、その追いつきそうになると、広がって逃げる影の様子を見て、そのように感じたと友達は語った。
――なんとしても、影の外へ出なくては。
友達の心は、そう切羽詰まる危機感を覚えていたという。
このままだと、自分は影の中から二度と抜け出せなくなってしまう……そのような直感的な危うさが。
いったん足を止め、息を整える友達。影がいまだ広がり続けているなら、いくらかの遅れをとるかもしれないが、それ込みでこちらも力を爆発せねばならない。
持久戦ではなく、短期決戦。全力全開で、この重力の枷を思わせる影の域から脱し、自らを陽の域へと持っていく。さもなくば、ろくなことが起こらない。
自分で自分をおどしながら、完璧に息の乱れが収まると、ぽんぽんと準備運動代わりの跳躍。そののち、友達はあらん限りの力を込めて前へ突っ込んだ。
おそらく、体育などで走った幾度もの機会より、ずっと速かったと思うと友達は語る。
身体を切っていく風の涼しさが、段違いだったからだ。ぐんぐん輪郭だけの景色は遠ざかり、やがて先ほど見送った影の領域の境が見えてきた。
先ほどよりも足にゆとりはある。さらに強く踏み込んで前へ前へ、なおも広がり続ける影の3倍以上は速く足を運んだとは、友達の談。
そうして影の領域の端まで来て、気が付いた。影は自らの力ばかりでなく、外からの力も得て広がっているらしいことを。
外からもまた、持ち主不明の影たちが、かなたからこの領域の境へどんどん飛び込んでくる。ひとつひとつはスズメほどの大きさだが、それが何羽分も溶け込んで、つられて影がどんどん大きくなっていくのが見えたという。
しかし、友達は追い抜いた。
あれほどうっとおしがっていた日差しが、久しぶりに身体中て照り始める。
とたん、足が一気になまった。こんなところでほぼ止まっては、また影に追いつかれて元のもくあみだぞ、と自分を叱咤するも、影はもう追ってはこなかった。
遅れて、背後から聞こえてくるのは金属たちが大量に折れ、潰れるときに聞こえてくる不協和音。見ると、そこには影は形もなく、陽の差す道があるばかりだが歩道と車道を分かつガードレールたちはそうはいかなかった。
腰くらいまでの高さがあった彼らが、この数百メートルあまり。友達が影に追いつかれて、追い抜かしたこの領域あたりに置いて、ほぼ完全に潰されてしまっていたんだ。
大きい、大きい何者かの足が、上から丸ごと踏みつけたかのようにぺしゃんこになっていて、無事なガードレールの部分と引っ付いていなければ、その存在がガードレールだと気づく人はそうはいないだろう惨状だったとか。
ガードレールはのちに、長い時間をかけて修理されたものの、自分もああなっていたら直る、いや治ることはできなかっただろうな、と友達は話していたよ。