00.プロローグ
ペイズリー模様が彩る、深い瑠璃色の異国情緒あふれるスカートを揺らしながら、年老いた女は木の下に屈んだ。
「お嬢さんは、この実を知っていますか?」
彼女が指でつまんで見せたのは、少し尖った先端を持つ丸形の青梅色の実だった。
「はい。毒があるので、動物も食べない実です」
少女の答えに、老女は喉の奥でふっと笑う。
「そうですね。このままでは食べられません。でも、ちゃんと手間をかけてやれば、良いものになるのですよ」
老女は手のひらに載せた実を優しく撫でながら、懐かしむような声で続けた。
「これが、私の故郷では高級品でしてね。煮るとねっとりと甘く。乾燥させればカリッと食感が面白いナッツのように。焼けば、ほっくりほのかに香ばしく。挽いて粉にしてパンに練り込んだり、菓子にしたり……祭事の際のそれは、子供の時分のご馳走でした」
毒のある、この実が高級品?
にわかには信じがたく、少女が眉を寄せると、老女はくすりと笑った。
「信じられませんか? でもね、お嬢さん。どんなものでも、時間と手間をかければ価値が生まれるのですよ」
老女の皺深い手が、少女の手のひらにそっと実を預ける。
「この実は、時間をかけて煮て、固い皮を剥き、渋を丁寧に抜いてやらなければなりません。でも、そうして初めて、この実は驚くほど違うものに変わるのです。その甘さや柔らかさは、かけた手間の証なのです」
──驚くほど違うもの。
その言葉を、少女は心の中で何度も反芻する。
「物事や人の心も、それと同じです。表面だけではその本質を知ることはできません。時間をかけて向き合い、行動を重ねることで、思いがけない可能性が開けることがあります。それは、時に私たちを癒し、成長させてくれるものなのです」
「……」
少女は曖昧な笑みを返す。
時間をかけても、何も変わらない。
そう思っていた。
でも、本当に?
──自分は?
毒のある青い実が、時間をかけて甘く変わるのなら。
もしも、自分もそうしたなら、何かが変わるのだろうか?
何かを変えることができるのだろうか?
少女には、変えたいものがあった。
いや、変えなければいけないものがある。
それは、目を背けてはいけないものであり、ただの願望では終わらせられないものだった。
「この木には、春になると白い花が咲きます」
ふと、老女が目を細めて言う。
「花言葉は──」
老女の言葉に、少女は静かに微笑み、「素敵」と小さく呟いた。
いつか、この花を誰かに贈る日が来るのだろうか。
そして、自分にも誰かが贈ってくれる日が──
少女は手のひらの上の実を見つめながら、そっと指を閉じた。