ハズレ聖女の私が、王子殿下に熱愛されるまで。
「ちょっとベル、まだなの! 本当に鈍くさいわね」
「は、はい、ただいま、フロスティーネ様」
苛立たしげな声に、慌てて応じる。
「すぐに締め上げますから」
「っぐ、うぐぐ。ちょっと、ワザときつく縛ってるんじゃないでしょうね?!」
「とんでもない。フロスティーネ様の可憐な細腰、逆に紐が余って、困っているところです。が、より美しく見える角度を追及しております」
言いながら、力いっぱい引っ張って紐を結ぶ。
決して日頃の鬱憤を晴らしているわけではない。
(いや、大丈夫? これ。内臓噴き上げない?)
誰が考案したのか、編み上げコルセット。この装身具が背中で括る仕様なのは、高貴な身分を表すため。
自分じゃ着られない、召使いの手を要する服を着てるってアピールなわけだけど、非効率的だし、苦しそう。
子爵家の出を誇りにしてるフロスティーネ様は、やたらと着たがるけど。
「ベル! 私の仕度も手伝って! 急がないと聖騎士団長様がお見えになってしまうわ」
「はぁい、サレナ様、少々お待ちくださいーっ」
キーテ神殿では今、身支度を整えたい聖女でひしめき合っている。
私の前にいる二人は、特に気合いの入った聖女たちだ。
それというのも今日、第三王子にしてこの国の聖騎士団を率いる団長、アンセル殿下がいらっしゃるから。
ここ、イノーシュ国は遥か昔、悪霊が噴き出る"冥府の穴"を英雄王が閉じ、その封印を守るために建国された。
"穴"は"栓"で塞がれているが、それでも冥府と繋がっている土地柄ゆえか、呼び寄せられたり、湧き出たりで、やたらアンデッドが出没する。
結果、国には神聖力の高い、選りすぐりの聖職者たちが集まり、日夜、魑魅魍魎を滅している。
とりわけ王家と神殿が有する聖騎士団や聖女たちの働きは大きく、その戦果は対アンデッド戦において、傭兵や冒険者たちを軽く凌ぐ。専門職なわけだから、そりゃそうなんだけど。
かくいう私ベルナデットも、聖女判定で選ばれ、退魔の任に就くべく幼い頃から神殿に引き取られて育った。
けれども。
「ちょっとベル、髪飾りをつけてちょうだい! 神聖力が使えないアンタなんて、雑用くらいしかこなせないんだから」
「かしこまりました、フロスティーネ様」
そう、私は"聖女"としては役に立たないのだ。
だって、悪霊たちが……。
超絶・怖いから!!!
なんだろう、あのグロテスクな見た目。
見ただけで足がすくんで、聖句も何も、頭から吹き飛んでしまう。
骸骨兵も食屍鬼もキライ。
フヨフヨと漂う幽霊たちも、触れれば祟られそうな怨霊も、すべてが嫌だ。
アンデッドを前にすると固まる私は、足手まといでしかなく、従って聖女として神殿に住まいながらも、序列は最下位。
家事・雑用をこなす、下働きの位置にいた。
それにフロスティーネ様は筆頭聖女。サレナ様は次席。他の聖女を使って許される立場だ。
「っふぅぅ、お仕度、出来上がりました」
「そう。じゃ、行ってくるわね」
「急ぎましょう、フロスティーネ様。もう広間には人が揃っているかも」
「まったく、ベルが愚図でノロマなばっかりに……」
(いいから早く行かないと。皆自分で仕度して、参じてるはずだよ)
とは口には出さず、しおらしい態度で二人の聖女を見送って、手近な椅子にどっと腰を下ろした。
「はぁぁ、疲れたぁ」
今頃、神殿広間では聖騎士団長を迎え、聖女たちが並んでいることだろう。
(でも、団長を補佐する聖女を選抜するだなんて。あの噂は本当だったのね)
キーテ神殿に流れて来た噂。
それは、"アンセル殿下が呪われた"という話だった。
我が国を代表する精鋭である聖騎士団。
その長を務めるアンセル殿下は、抜きん出た実力から、最年少で団長として認められた方。確かまだ十八歳。私より二歳上だ。
国内を巡り、あらゆるアンデッドを屠って来られたある日、古代遺跡の呪具が原因で、"呪い"を受けた。
それは殿下の戦闘力を、大幅に削ってしまう類の"呪い"だったらしい。
戦場に立てなくなった殿下に、聖騎士団の士気はガタ落ち。
しかも間の悪いことに、王宮の占者により、ある予言が出ているタイミングだった。
──近く"冥府の栓"が外れ、地上に死霊があふれ出る──
"冥府抜栓"。
冥府の封印が解けてしまい、惨事が起こる大予言。
早急に聖騎士団の主戦力を、取り戻しておかなければならない。
何度もアンセル殿下への解呪が試みられたと聞く。
しかし、不発に終わると、今度は聖女を彼の補佐につけようということになった。
占者の新たな託宣によって。
──キーテ神殿に、殿下の力となる聖女がいる──
(おかげで今回の急なご訪問。王子殿下も大変よね。呪われても、前線に立たなきゃいけないんだから)
アンセル殿下は見目麗しい王子様らしい。
補佐に選ばれたら、長い時間、近い距離で接することになる。
"ひょっとしたら補佐のお役目を越え、人生の伴侶となる未来も拓けるかも"。
神殿の聖女たちがそう色めき立つのも、当然だった。
(いずれにしても、私がお役に立てることはないわ……)
"神殿内の聖女を集めよ"という招集にも呼ばれない、ハズレ聖女。
やれやれと腰を浮かす。
「さ、途中になってた仕事を再開しましょうか」
(あれが完成すれば、私も聖女として働けるかもしれない。頑張ろう!)
気持ちを切り替えるため声に出し、開発中の魔道具を仕上げるため、裏の作業小屋へと移動した。
◇
(えっ? 聖騎士様がなぜ、こんなところにいらっしゃるの?)
小屋でひとしきり作業を終え、箱を抱えて神殿の中庭を突っ切っていると、聖騎士様がいた。制服でそれと分かる。
酷く疲れた様子でうなだれ、短い髪が顔にかかっている。
(アンセル殿下と一緒に来られた方かしら)
でもって、聖女ひしめく広間で、彼女たちの熱気にあてられたとか。
(あり得るわ)
フロスティーネ様たちの張り切り具合は、すさまじかったもの。
「あの……、大丈夫ですか? お水をお持ちしましょうか?」
「!」
声をかけると弾かれたように顔を上げる、その容姿が。
(わああ、美形!!)
天使像でもここまで整ってないでしょうと思うくらい、完璧な位置に配置された、美麗なパーツ。
切れ長の瞳は涼し気で、形の良い鼻と品のある口元。均整の取れた身体つきは一目で、鍛えてあるのがよくわかる。
「キミは、この神殿に勤めてる女性?」
(声まで最高)
なんて思っても、微塵も外に出さない。
神殿は施療院も備えている。患者の前で感情見せない、これ鉄則。
この方は患者じゃないけど。
「はい、聖女ベルナデットと申します」
名ばかりとはいえ、肩書は"聖女"なのだ。目上の人に名乗るには、身分を明かすのがこの国の礼法。
聖騎士は平聖女より位階が高い。
「聖女? けれど広間では、見かけなかった気がする」
戸惑うように、相手が記憶を探っている。
殿下の聖女選抜の際、きっと全員が順に自己紹介をしたのだろう。その中に、当然私は含まれてない。
「あ、私は神聖力を持ちませんゆえ──」
(別の場所で作業をしていました)
濁した語尾を、頭の中だけで続ける。
ついでに言うと、出来上がった道具と、神殿に補充する薬を運んでいるところだった。
私の持つ箱の中には、回復薬が入った小瓶が数個と、ちょっとした試作品が入っている。
「神聖力がないのに、聖女? しかし"聖女"は、神聖力を測定して任じられるものだろう?」
しましたとも。
測定の水晶は、私が触れると光りはするのだ。
「正確には、神聖力を発動出来たことがないのです。この身のうちにはあるようなのですが……」
「発動できない? それは、"呪い"か何かで制約がかかっているとか?」
「あああ、いいえ、あの……」
急に食いつかれた。
言って良いのだろうか?
惰弱だ、と罵られたり、叱られたりしない?
アンデッドを抑えるのが第一なイノーシュ国で、聖女のくせに悪霊に竦む人間など、蔑視の対象。
ずっと馬鹿にされてきた。
私も"駄目な自分"を責め、何度も枕を濡らした。
私なりの対策を探り当てたから、今でこそ割り切って、前を向けてるけど。
躊躇う私を、聖騎士様がじっと待っている。
その真剣な眼差しに、なぜか心が突き動かされた。
「怖い、のです」
「怖い……」
「はい。アンデッドたちを目にすると、恐怖で頭が真っ白になってしまうのです」
思いがけない言葉だったのだろうか。聖騎士様は目を見開いている。
(! この方の表情が、冷たく変わるのを見たくない)
気づけば私は必死で、弁明の言葉を継いでいた。
「で、でも、打開策を考え中でして。例えばこのメガネを使えば、アンデッドが野菜に視えるはずです」
私が箱から取り出したのは、夢中で開発した魔道具。
"緊張するときは、相手を野菜と思え"と言う。
つまり、亡者が亡者に視えるから動けないのであって、野菜ならば!
「や、野菜?」
意外だったらしい。聞き返された。
「そうです! 切り刻んでポトフにしてやります! 食べはしませんが」
私の意気込みに、彼はあっけにとられたようだった。そして私とメガネを交互に見る。
「それは……、とても貴重な品だと思うが……。もし差し支えなければ、借り受けることはできるだろうか?」
「え?」
「キミが困るだろうから、やはり無理か」
しょぼんと肩を落とされると、つい元気づけたくなる。
「あ、試作品はこれひとつではないので、さほどは困りません」
が。こんな品で良いのだろうか?
「では、ぜひ。厚かましい頼みだとは承知している。だが切羽詰まった事情があり、その魔道具を切望したい。お願いだ。出来る限りのお礼はさせて貰うから」
「試作品、ですよ?」
一応、神殿が悪霊を捕らえた際、効果を確認済ではあるけども。
「構わない」
「ですが、まだ野菜の種類が十分ではなく」
スケルトンはかぼちゃに、でもレイスとゴーストは揃って人参といった具合で。
「つまりアンデッドの種別は判らないと言うことか。そこに問題はないな。全部倒せば良いのだから」
何やらひとり、頷いている。
繊細な美貌に反して、大雑把な方らしい。
かくして、イケメンのおねだりに抗えず、試作魔道具を貸し出した私は数日後。
神殿長から、耳を疑うような通告をされた。
「聖女ベルナデット。アンセル殿下がそなたを補佐役にお望みだ。荷をまとめ、王宮からの迎えを待つと良い」
なぜ私?
◇
「どうしてアンタが、アンセル殿下の補佐役に選ばれてるのよ!」
荷物準備のため、部屋に下がった私の元に押しかけて来たのは、フロスティーネ様たち、複数の聖女だった。
「私にもわかりません……」
本当にわからないのだ。
思い当たることと言えば、ひとつだけ。
アンセル殿下が神殿に来られた日に出会った、聖騎士様。
うっかり名前を聞きそびれたけど、「礼のため、また来る」とおっしゃられていたので、その時お尋ね出来るだろう。
不思議と惹かれる方だった。お会い出来るのが、待ち遠しいと心弾むくらいに。
こんな気持ちは初めてだ。
王宮に赴けば、またあの方に会えるだろうか。
そして私の試作品の対アンデッド兵器、もといアンデッド平気メガネを差し上げたその方が、殿下に何か話された可能性はある。
あの日殿下は、聖女を指名せず、「後日知らせる」と告げて帰られたと聞く。
(聖騎士団の方に、有用なメガネとも思えないけど)
思考に意識を取られていると、ふいに、視界が陰った。
フロスティーネ様が目の前に立ったからだと気づいた時には。
バチィィィン!!
盛大に頬を打たれていた。
「きゃああ」
「フロスティーネ様! 何を!」
叫んだのは、周りの聖女たちだ。
「わからないなど、見え透いた嘘を! 実家の力を使ったのでしょう!」
「っ! 使ってなんかいません!」
神殿に引き取られた際、俗世との縁は切れている。
実家を頼るつもりなら、とっくにしている。
子爵家出身のフロスティーネ・アナベルが、侯爵家四女であるベルナデット・ロイセンを小間使うなと、叫んでいたはずだ。
だけど"聖女の世界"はそうではないから。
国や民に貢献出来てない私は、フロスティーネ様たちの神聖力を敬していたから。
だから序列を重んじてたのに。
「言い掛かりはやめてください!」
私の抗議は、虚ろに揺らぐフロスティーネ様から、おかしな言葉を引き出した。
「せっかく。せっかく厄介な聖騎士団長の力を削ったのに。余計な。余計な真似をして」
「!?」
(様子が変!)
フロスティーネ様の白眼が黒く染まる。
同時に、彼女から禍々しい空気が漏れ出し、部屋の中へと充満していく。
「彼女に何があったんですか?!」
私が尋くと、取り巻きの聖女のひとりが、アワアワしながら答えた。
「さ、先ほどまでフロスティーネ様は、呪具の浄化を試みておられたのです。それが突然"許さない"とこちらに向かわれて……」
「呪具?」
「アンセル殿下が呪われたという呪具です。解析依頼で、我がキーテ神殿で預かっていたのですわ」
「──!!」
それは、つまり。なんだかとてもヤバイのではないだろうか。
「まさか、フロスティーネ様も呪われて──」
ズゴォン!
フロスティーネ様の拳が、部屋の壁をぶち抜いた。
(いつもの彼女の膂力じゃない)
「お前を補佐になどさせぬ。冥府の栓を外すのに、力ある聖職者たちほど邪魔な存在はない」
(呪われて、じゃない。取り憑かれてるよね、これっ)
「すぐに神殿長様にお知らせを!」
聖女のひとりが、急いで駆け出す。
「知らせたところで、何も出来まい」
フロスティーネ様の声が、あの世から響いてくるように低く凄む。
「お誂え向きにここは、闇竜の骨が眠っているな」
(キーテ神殿の起源は、昔暴れた竜の鎮魂だったけど、まさか)
天に向かって、フロスティーネ様の白い腕が突き上げられた。
先に壁を壊して怪我したらしい赤い血が、腕を伝い流れてポタリと落ちる。
それを合図とでも言うように、大きく地面が揺れた。
「目覚めよ、キーテに眠りし古代の竜よ」
「!!!」
(なんてものを、起こそうとしてんのよ──!)
その竜は、もはや肉体を保ってないはず。つまり出て来るならアンデッド。
ゾクリ、と、恐怖が背を走る。
私たちの青ざめた顔を嘲笑うように、神殿の裏手から、ドラゴンの咆哮が上がった。
ゾンビのくせに、寝起き良すぎない?!
◇
キーテ神殿は、混乱の真っ只中にあった。
裏の森での異変に、神殿の者たちは外に出て、一様に目を見張る。
突如出現したドラゴン・ゾンビは巨体で、骨で、アンデッドだった。
(無理──)
途端に、私の身体は恐怖に染まってしまう。
(では、術師の方なら?!)
筆頭聖女であるフロスティーネ様さえ、太刀打ちできなかった邪悪な何か。
冥府のことを言っていた。呪具に宿るほど、冥府の解放を望む"念"。
それに立ち向かうなんて……。
「!」
ドラゴン・ゾンビに向かって歩くフロスティーネ様から、血がしたたり落ちていく。
(さっきの怪我が……!)
酷いのかしら。骨は折れてる? きっとすごく痛い。
フロスティーネ様は困った性格ではあるけれど。
間違いなく優秀な聖女。
私と同じく早くから家族と引き離されて、それでも国のために戦い続けた、頼りになる先輩。
それをみすみす、奪わせはしない──!!
覚束ずに震える手で、ポケットからメガネを取り出す。
アンデッドが野菜に視える魔道具、試作品その2!
恐怖耐性10割増しの効能を、今こそ発揮すべき時。
メガネを掛けると、途端にドラゴン・ゾンビは姿を変えた。
私は目当ての聖女を見る。
「フロスティーネ様から離れろ、邪念め!!」
ありったけの力を振り絞り、浄化の聖呪を彼女にぶつけた。
白い光が、炸裂する。
(私にも、神聖力が、使えた)
フロスティーネ様の身体から、断末魔のような叫びとともに黒いモヤが抜けて、弾け散った。
その場に彼女が崩れ落ちたので、慌てて駆け寄り。次なる危機に直面する。
ドラゴン・ゾンビが。いまは蕪に見えるその首を傾げながら、肉迫していた。
(術師を消してもまだ動くの? そんな!)
今度こそ無理かも!
キュッと目をつぶった私の横を、声が駆け抜けた。
「遅くなった。あとは任せろ!」
(あの時の、聖騎士様!)
神殿で会った彼は、私の作ったメガネを掛けていた。
(ん?)
そこからは、一方的だった。
聖騎士様はドラゴン・ゾンビの気を引くと、私とフロスティーネ様から十分に引き離しながら、確実にダメージを与えていく。
手に持つ剣は、白く輝き、強い神聖力が付与されているのが見て取れる。
聖騎士は、自身の剣を自分で付与する。あの神聖力はつまり、あの聖騎士様の力だ。アンデッドが苦手とする神聖力を存分に纏った剣は、一撃ごとに大きくゾンビを削っていく。
体躯の違いをものともしない機動力は隙なく鮮やかで、剣舞に見惚れるような心地で目を奪われているうちに。
敵は切り刻まれて、静止した。
(あのメガネを使っているということは、聖騎士様にも蕪に視えてるんだよね)
なぜ使う必要が?
それで骨のつなぎ目を確実に突いてたの、すごくない??
安心から湧き上がる疑問をのんきに浮かべていると、腕の中のフロスティーネ様が身じろぎした。
「気がつかれました? フロスティーネ様」
「……ベル?」
どこかぼうっとしているけれど、その目はいつものフロスティーネ様で、私はホッと胸を撫でおろす。
聖騎士様はと見ると、ドラゴン・ゾンビの停止を確認した後、剣を納めて、こちらに向かって来ていた。
「大丈夫か?」
以前聞いたままの爽やかで深みのある声……。
に、フロスティーネ様が叫んだ。
「アンセル殿下!」
「……え?」
そうか。私はあの日広間での紹介を聞いていないから。
殿下のお顔を知らなかった。
(この方が有名な、聖騎士団長のアンセル殿下?)
待って待って、どういうこと。
(っえええ──???)
メガネしててもイケメンデスネ。
◇
「では殿下がかかった"呪い"というのは、"フィアー"だったのですか」
落ち着きを取り戻した神殿で、私は神殿長の部屋にいた。
部屋の主は、ドラゴン・ゾンビ騒ぎの後始末で陣頭指揮に出ているから、いま、この部屋はアンセル殿下と私の貸し切り状態になっている。
フロスティーネ様は施療院で治療中だ。
(補佐役の迎えに、まさか殿下が直々、おでましになるなんて)
そのタイミングが、ドラゴン・ゾンビの復活と重なったことは、人類にとって幸運だった。
アンセル殿下がいらっしゃらなければ、あの巨大ゾンビがどれほどの被害を出したことか。
想像すらしたくない。
そして今、語られている、殿下のお話。
彼を苦しめた呪いは、"フィアー"だった。
"フィアー"は精神に働きかける呪縛。
恐怖心をかきたて、対象者の判断力や行動力を奪う強力なまじない。
「ああ」
アンセル殿下が頷く。
「今まで平気だったアンデッドが、途方もなく恐ろしく感じてしまい、恐慌に陥ってしまう始末でね。情けないことだが、どうにも解呪出来なかった」
しかも一時的なものならまだしも、効力が持続するなど、聖騎士には致命傷でしかない。
「それで私の魔道具を、必要とされたのですね」
イノーシュ国の希望である聖騎士団長が、アンデッドを恐れて動けないなど、国防にかかわる一大事。
呪いの内容が極秘だったわけだ。
もっとも、現場を共にした聖騎士団には目撃されたため、殿下を信望する団員たちが動揺して、大変だったらしい。
(それで聖騎士団全体の戦力が、下がっていたのね)
「このままではアンデッドたちの力が増し、冥府の封印が危うくなるところだった。キミから借りたメガネのおかげで助かった。有難う!」
力強くお礼を言ってくださる殿下が、なぜ私の両手を握って熱く語られているのかは、きっと。
我が魔道具にそれだけ感動してくださったということだろう。
(まさかそんなことになっていたなんて。私の魔道具、すごく役に立ったみたい)
ちょっと誇らしい。
「ただ、激しい戦闘をするとメガネが外れやすいので、改良をお願いしたいと思ってね」
「それで私に補佐をお命じに?」
私の言葉に、殿下が肯定を返される。
「けれど驚いた。呪具ごと浄化してしまうなんて。"フィアー"も消えて、もうメガネがなくても"恐怖"を感じない。キミの神聖力はすごいよ」
「そんな。偶然です。もしかしたら長年使えてなかった分、神聖力がたまっていただけかもしれませんし」
そうなのだ。
あの後、神殿預かりだった呪具を確認すると、すっかり砕けて、何の気配も失っていた。
呪具に宿っていた"邪悪な何か"を、私が吹き飛ばしたからかもしれない。
神聖力の性質がどういうものかはわからないけれど、またあんな力が発揮できるかと問われると、自信はない。
それに、メガネが不要になったのなら。
「では、補佐のお話ももう、立ち消えですね」
もともとの大役。辞退するつもりではいたけれど、殿下との接点がなくなると思うと寂しい。
「えっ、なぜ?!」
私の言葉に、殿下が驚かれた。
「なぜって、だって」
(──私は必要なくないですか?)
はっきり「そうだ」と言われるのが怖くて、口を噤んだ私に、殿下は身を乗り出された。
「僕はこのままキミに補佐をお願いできたらと思っている。占者の予言は消えたわけじゃない。"冥府抜栓"は依然起こりうるかもしれないし、それに」
殿下が呼吸を整えた。
「僕に力を与えてくれる存在という意味がわかったんだ」
──キーテ神殿に、殿下の力となる聖女がいる──
予言の言葉が蘇る。
「それが、私……? で、大丈夫でしょうか……?」
恐る恐る、聞き返す。
わからないけれど。もしアンセル殿下が望んでくださるのなら。
このまま流れに身を任せ、運命を賭けてみてもいいのかもしれない。
(だって私も、殿下のためならもっと力を尽くせる気がする)
この感情が何というのかわからない。
でも湧き出る勇気に嘘はない。
「こんな、怖がりの私でも……」
殿下のお傍にいて良いですか?
私の呟きに、ハッとしたように殿下が脇に手をやった。ソファの上に置いてあったソレを掴む。
「そうだ、これを!」
バサッと大量の花が、目の前に差し出される。
優しく美しい色が重なった、大きな花束。
「魔よけの効果があると言われる花を集めた。怖がりだというキミに、喜んで貰えるといいんだが。それにキミは自分を怖がりだというけれど、それを上回る勇気を持っている、素晴らしい女性だと僕は思う」
「あ、ありがとう、ございます」
胸が詰まって、お礼を言うだけで精いっぱいだった。
(どうしよう。とても嬉しい……。花束だって、初めて貰ったわ……!)
顔が赤くのぼせていく私に、殿下は次々に言葉を足される。
「メガネのお礼もしたいし、解呪の感謝も! とりあえず、補佐の件を置いておいても、王宮に招きたい」
乞うような上目遣いが、私の理性を溶かしていく。
「一緒に来て貰えるだろうか?」
私はイケメンの、ううん、この方の押しに、滅法弱いようだった。
「……お供させてください」
こうして"ハズレ聖女"の私は、王子殿下に連れてかれ、やがて彼の妃になるんだけど。
それはまた、別の機会に語りたいと思う──。
お読みいただき有難うございました!
ふたりは互いにヒトメボレしています。そういうことです!(笑)
(フロスティーネがマメに絡んじゃうくらい、ベルは可愛いという設定)
こちらは楠結衣様主催の「騎士団長ヒーロー」企画参加作品。
「力強く頼もしい騎士団長が、可愛いヒロインと恋愛する企画ね!」と書き始めたので、ドラゴン・ゾンビが暴れ出した時にはもう、自分でもどうしようかと…! 何とか着地出来て良かった…!
ベルナデットもアンセル殿下も頑張りました!(笑) ふたりのメガネ姿もぜひお楽しみください。
今回の名前はフランス圏中心に名付けています。(でもキーテ神殿のキーテはヘブライ語の「清められた」というイメージ)
お話をお気に召していただけましたら、下の☆を★に塗り替えて応援ください。励みになりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます\(*^▽^*)/
---
【2024.06.29.追記】
澳 加純様(ID:793065)から素敵なFAをいただきました!
巨大なカブです! みんなで引っこ抜きたくなるヴィジュアルですが、殿下は真剣に倒した模様です!
加純様、お読みいただきインパクト大なイラストを有難うございました\(*^▽^*)/