魔王様による間違った乙女ゲーム攻略
神魔戦争――世界を混沌へと陥れる魔王アスモデウスと、人間を始めとする連合軍達の永きに亘る戦いはついに終焉を迎えた。
圧倒的な力を持った魔王といえど、正義の力の前に膝を屈した……ように思えた。
「くっ……この私が不覚を取るとは……!」
アスモデウスは完全に消滅していなかった。
力の大部分は失われてしまったが、滅びる直前に魂の一部を亜空間へと避難させたのだ。今頃、魔王討伐軍達は戦の勝鬨を上げているだろう。
「馬鹿め……私がそう簡単に倒されるものか」
そう言いつつも、アスモデウスは余裕が無かった。
ほぼ全ての力を失ってしまった上に、肉体という殻を捨てた緊急脱出だ。一刻も早く魂の器を探さねば消滅してしまう。
亜空間を魂となって彷徨いながら、アスモデウスは必死に器を探していた。もうほとんど時間が残されていない。それに、今の力では強者を押しのけて肉体を乗っ取る事が出来ない。
「ん? なんだこの娘は?」
もはやこれまでと観念した時、アスモデウスはある世界で、妙な娘を発見した。
「死んでいるわけではないが、生命の息吹も感じん。精巧に作られた人形か?」
今のアスモデウスに首があったら傾けていただろう。粗末なベッドの上に横たわる少女は、十五歳くらいだろうか。絹糸のような銀髪が、染みだらけのシーツとは不釣り合いなほどに輝いている。
つぎはぎだらけのボロボロの衣類を身に着けてはいるが、少女の美しさはその程度で損なわれない。アスモデウスが元の世界で見た、どの人間よりも美麗であった。
部屋を見渡してもほとんど物が無く、控えめに言っても綺麗な豚小屋と表現するに相応しい。なんともアンバランスな存在である。
「まあ外見はどうでもいい。やむを得ん。この娘の肉体を避難所とするか」
そう言って、アスモデウスは娘の身体に吸いこまれていった。
通常、生命が入っている場合は多少の抵抗があるのだが、驚くほどスムーズに入れたことにアスモデウスは驚いた。
魂が定着し、長いまつ毛を持った瞼を開くと、澄みきった夏の空のように美しい青の瞳が現れる。
「問題は無いようだな。それにしても妙な娘だ」
アスモデウスが身を起こすと、その途端、さらに奇妙な現象が起こった。どこからともなくアップテンポの曲が流れ、彼女の前の空中に、謎の半透明の四角い物体が現れる。
「ヌッ!?」
アスモデウスは反射的に後ろに跳び、壁を背にした。その間も、謎の半透明の四角い陣は何かを綴っていく。
(魔法陣か!? 攻撃系か!? いや、あるいは拘束結界を展開するタイプか!?)
アスモデウスは身構える。もしかしたら勘のいい奴が自分を完全に滅ぼすために追いかけ、攻撃を仕掛けてきた危険があるからだ。四角い陣は何かの模様のようなものを綴っていたが、ある一定の所でぴたりと止まる。
『ようこそ! 体験型VR乙女ゲーム、フラワリィ・ファンタジアへ! まずはプレイヤーの名前を入力して下さい』
……と書かれていたが、アスモデウスは警戒したまま壁に張り付いている。彼女は日本語が読めないのだ。
「すみませーん! もしかしてヘルプが必要ですか?」
「なんだ貴様は!?」
アスモデウスは三分ほど固まっていたが、不意に、耳元に能天気な声が響いた。彼女が振り向いた方向には、小鳥くらいの大きさの、可愛らしい少女が浮いていた。
特徴的なのは、背中に透き通った蝶のような四枚の翅を持っているところだ。
「申し遅れました。私、超高性能サポートAI、シルクと申します。体験型VR乙女ゲームは、現実と同じように非現実を味わえるので混乱しちゃう人も多いのです。そのため、この私が音声サポートを……ぐぇ!」
可愛らしい声で喋っていたシルクがカエルが踏みつぶされたような声を漏らす。アスモデウスが説明中に彼女をわしづかみにしたからだ。
「答えろ羽虫! 貴様、この世界について知っているのか!?」
「羽虫って……そりゃもちろん。お客様を円滑に行動させるのがサポートAIのお仕事なので」
「ふん、ならば続けろ。あの妙な魔法陣はなんだ? 様子を窺っていたが一向に発動せん」
「メッセージウィンドウですよ。プレイヤーの名前を入力して下さいって書いてあるじゃないですか」
「読めん」
アスモデウスはばっさり切り捨てた。何かの言語であるとは思っていたが、術式を発動させるタイプの物だと思っていたのだ。そもそも、ぷれいやあとは一体何なのか。
「なるほど。言語設定間違えちゃったとかですね。じゃあ、対応言語を選んでタッチして下さい」
「ヌッ!?」
アスモデウスはまた一歩下がる。シルクが50か国語ほどのウィンドウ選択欄を出したが、アスモデウスには魔法陣を大量展開したように見えたからだ。
「全部読めん」
「えぇぇ!? かなりの言語に対応してると思ったんですけど……開発チームもまだまだですね。でも大丈夫! 音声認識でプレイヤー名も入力できますから。ちなみに、そのキャラのデフォルトネームはアリシアですよ」
「わが名はアスモデウス。混沌と破壊の魔王である」
「分かりました。アスモデウスで登録しますね」
いかつい名前になった。
「さて、薄幸の美少女アスモデウスちゃん」
「……ちゃんだと。まあいい。続けろ」
目の前の羽虫を握りつぶしたくなったが、現状、唯一の情報源である。
この世界についてかなりの情報を持っている所からして、世界の中でもかなりの上位実力者かもしれない。外見と態度がゆるいからといって油断は禁物である。
「まず最初に世界説明からしたほうがいいですね。フラワリィ・ファンタジアでは、様々な疑似体験が出来ます。男性向けサーバーと女性向けサーバーがありますけど、ここは女性向けサーバーです。それにしても、最初からアリシアを選ぶなんて……あなた、さては通ですね?」
「通?」
シルクが何を言っているのかさっぱり分からなかったが、とりあえず全てを聞いてから情報を判断しても遅くない。そう考え、アスモデウスは先を促す。
「アリシアは見ての通り、貧農の片田舎の娘です。ですが、本当は貴族のご令嬢だったんですよ。類まれな魔力の才能と慈悲深さからみんなに愛されていたんです。ですが、それを妬んだ人間に騙され、全てを失い追放され、絶望して寝込んでいました……というところからスタートです」
「ふむ……この娘はそういう状況だったのか」
アスモデウスは固いボロボロのベッドに腰掛けながら、シルクの説明を聞いて苦笑した。敗走して逃げ込んだ世界で、これまた追いやられた娘に入り込むとは。運命とは残酷である。
「溺愛ルートのキャラの方が人気なんですが、その分、アリシアルートの方がやりこみがいがあるという人も多いんですよ。苦労した分だけ成り上がりも楽しいというものですからね」
「つまりそれは、私にこの世界を支配しろということか?」
「んー、まあそういう事も出来ちゃいますよ。みんなから愛される逆ハーレムなんかがそうですね。何せ色々なルートがあるのがこのゲームの売りですから。最初から溺愛もよし。底辺から成り上がるもよし。農民としてささやかな幸せを掴むもよし。この村にも純朴な青年との恋愛ルートもありますから……ただし!」
そこまで言うと、シルクは急に黙り、部屋の入口の方を見た。アスモデウスも釣られてそちらを見ると、いつの間にやら背の高い青年が立っていた。
「やあアスモデウス。心配して見に来てやったが、相変わらず貧相で安心したよ」
顔立ちの整ったその青年は、これっぽっちも心配してなさそうなセリフを吐いた。豪奢な装飾を身にまとい、上質な素材で作られた礼服を着ている。アスモデウスとは雲泥の差だった。
「彼はこの土地の領主の息子ロキサスです。攻略対象の一人ではあるんですけど、こうやって頻繁に嫌味を言いに来るんです。アリシアルートは好感度が最低から始まりますし、妨害も多いんですよ」
「攻略対象とは?」
「まだサービス直後ですが、現在は五人まで攻略ルートがあります。彼は比較的難易度は低い方なんですけど、五人クリアすれば一応エンディングを迎えられますよ」
「エンディング?」
シルクのアドバイスを聞く限り、ロキサスはいわゆるチュートリアル的なキャラらしいが、アスモデウスには意味が全く理解出来なかった。
「何を一人でぶつぶつ言っているんだ。絶望のあまり頭がおかしくなったのかな?」
ロキサスは嘲りながらアスモデウスにそう言った。どうやらシルクの声や存在は、ロキサスには認識されていないらしい。ゲームのサポートAIなので当然ではあるが。
「シルク、五人を攻略すればエンディングを迎えると言ったな。エンディングとは何だ?」
「この世界で一番になっておしまいって感じ……ですかね」
エンディングとは何か? と聞かれても人それぞれだ。一人本命をクリアすればクリアという人も居るし、フルコンプを目指す人も居る。微妙に困ってしまうようで、シルクは曖昧にそう答えた。
だが、アスモデウスにとってそれで充分だったようだ。
「なるほど。理解した」
「そうですか! サポートAIとしてお役に立てて何よりです!」
シルクは嬉しそうに羽をパタパタさせたが、それには構わず、アスモデウスはゆっくりとベッドから立ち上がり、ロキサスの正面に立つ。背丈がまるで違うので、アスモデウスがロキサスを見上げるような形になる。
コミュニケーションタイムに突入だ。
「ロキサスと言ったな」
「何かな?」
「燃え尽きろ」
「ぐわああああああああああああああああ!?」
次の瞬間、ロキサスは火だるまになった。悲鳴を上げた後、ロキサスは一瞬で燃え尽き、光の粒子になって消えていった。あくまで女性向けゲームなので死亡しても流血や残酷描写は無いのだ。燃えたけど。
パーフェクトバッドコミュニケーション!
「多少警戒していたが、魔力をまるで感じなかったからな。残りカスのような我が力でも容易に焼きつくす事が出来たか。フッ、雑魚め」
もはや影も形も無くなったロキサスの居た位置に、アスモデウスは邪悪な笑みを浮かべて見下した。ざまぁ……完!
「ええええええええええええええええええ!?」
だが、後ろで見ていたシルクは悲鳴を上げていた。
攻略対象が一瞬で燃え尽きたのだから無理もない。
「ちょっ!? 何やってるんですか!? 攻略対象だって言ったじゃないですかー!」
「だから『攻略』したのだ」
魔王アスモデウスにおいて、相手を攻略するとは、それすなわち蹂躙と破壊である。その対象として、哀れロキサスは犠牲者第一号になった。
「いやまあ、確かに復讐ルートっていうのもあるにはあるんですけど、最初はもうちょっと乙女チックにいった方が正しいっていうか……」
サポートAIであるシルクすら苦言を申しているが、あいにく異界の魔王アスモデウスに乙女恋愛ルートは通用しなかった。
「ほら! ロキサスが遺影になっちゃったじゃないですか! イェイ! なんて言ってる場合じゃなくて、あと四人しかいませんよ!」
シルクが五人のイケメン画像――キャラクター紹介を空中に表示した。ロキサスの部分だけが灰色になっている。攻略時期を過ぎてしまったり、条件を満たさない場合に表示されるのだが、ロキサスもまさか生きたまま火葬されるとは思っても無かっただろう。
「ふむ、この四人がこの世界の結界のようなものか。いいだろう。このアスモデウスが全てを支配し、力を取り戻す礎となってもらうか」
アスモデウスは想いを馳せる。自分も昔、強大な部下を複数配置し、それぞれ結界を守らせていた。連合軍はそいつらを一体ずつ潰し、結界を破壊し、異空間にあった自分の牙城へと攻め込んで来たのだ。
ならば、この五人……いや、四人を攻略すれば、別の世界への道が開けるかもしれない。特に魔王であるアスモデウスは信仰によって力を得る事が出来る。この世界で王となれば、また力を振る事が出来る。
「では始めるか……アスモデウスによる乙女ゲームとやらをな! あの程度の雑魚が相手ならば、世界を支配するなど造作も無い!」
「そういうゲームじゃないですからこれ!」
アスモデウスは高らかに世界に宣戦布告した。シルクの方はなんやこいつみたいな感じだったが、アスモデウスをプレイヤーとして認識している以上、彼女の補助をせざるを得なかった。
だが、アスモデウスは今から行う行為の難度を知らなかった。オンラインゲームは、隠しキャラ、追加コンテンツという、サービス終了までキャラがモリモリ追加されていく恐ろしいシステムがある。
アスモデウスが全キャラを攻略するのが先か、はたまた追加コンテンツに追い付けなくなるのか。それは神すらもまだ分からなかった。