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「自分の機嫌をどう扱うか」をめぐって。

掲載日:2021/01/23

「自分の機嫌をどう扱うか」をめぐって。

 

 Twitterで「いつも機嫌よくあろうとしている人は自立している。機嫌良くあることを目指すことで人は成長し人間関係を豊かにできるよ(概要)」と言う内容のツイートが流れていました。

 私はまずこれにひょっと違和感を感じました。でも何になのか、なぜなのかちっともわかりません。

 タイムラインにはこのツイートに賛同しているもの、過激に反論しているもの、抱いた違和感を追求しているものがいくつも出てきます。

 私も自分の感じた違和感を追求してみたくなって、発見のあったツイートをファボしていきました。

 そうしてちょっとずつ感覚して自分の考えをまとめていくことができたので、機嫌について自分でも考えたことをツイートしてみました。

 そこで信頼出来る数名のフォロイーさんとやりとりをすることができました。

 字数制限のない活動報告でも表出することで、だんだん考えが確かになってきました。

 お気に入りさんのコメントからもいっぱい発見がありました。

 こうして今の時点で発見できていることを記録しておこうと思います。


 

 その前にまず最初に書いておきたいことがあります。

 自分の感情や考えって、私はなかなか掴みづらく思っているので、いろんな人の感情や考えを見て聞いて刺激を受けながら自分に問いかけて感覚しています。

 もやもやと違和感を感じてもすぐには言葉にならず、ああこのことが引っかかっていたんだ、こんな気持ちになっていたんだと気づくのに関連するテーマのものを読んだり、人に話してみたりしないと難しいんです。 

 以前私のそのようなあり方を「あなたは自分の認識のために他者を道具にしている」「相手を鏡にして自分自身を知る。そこに見出した自分を取り入れて自分を形作っていく。その鏡が人格をもった他者であるということが意識されていない」「他者を踏みにじって当然と肯定している。人としてしてはいけないことをした」と強烈に非難されたことがあります。

 その人は「私がやりとりしている相手を人間扱いしていない」と感じられたのだそうです。

 非常に憎まれているようで、突然立ち去りこちらから送った感想もレビューも削除されてしまいました。

 いただいた感想等も同様、ツイートまで綺麗になくなっていて驚きました。

 なのになぜかいまでも投稿のたびにわざわざ訪ね、読んでいらっしゃるようです。

 きっとこちらもお読みになるのでしょう。

 その人と同様に私のこのあり方を見て同じように失礼に感じる人がいたらごめんなさい。

 私はその人の言う通り自分の内奥に既にあるだろう感情や考えをそのまま見つめることができず、外にある何かに照らし合わせて自分に問い合わせている。

 そしてそれを人としてしてはいけないことだとも思っていない。

 禁じられるとまるで「肺で呼吸をするな、息の仕方を変えろ」と言われているような感じで途方に暮れてしまいます。


 自分の感情や考えが掴みにくいということからわかるように、私は自我が非常に弱いのですね。

 人から言われるがまま素直に「自分は人を踏み躙る人間なのだ!」と非難を内側に取り入れて沈んでしまいました。

 あれから何ヶ月も私は身動きが取れなくなります。

 無意識に誰かを踏み躙ってしまうなんて悲しいし恐ろしいですからね。

 自我が強い人のように即座に怒りが湧いてはねつけることができれば、こんな風に長々と内面化してしまうことはなかったんですよね……。

 私は全てのやりとりを保存し心理士のもと相手が私に何を見ていたのか、私が相手に何を見ていたのか検討し整理しました。

 いつまでも自分の内側に取り入れてしまった非難に、自分をされるがままにさせたくないですからね。

 自分に権威を持ち怒りでもって「なすりつけられた醜い自分像」を外へ出さないと、これからずっと表現すること自体に怯え続けないといけない。

 怒りというのは自分を守る大切な感情なんだと実感しました。

 これから私は恐怖に負けず怒りを活用する(自己主張する)ことで自我を強くする練習をしていきます。



 ここまで書くと最初のツイートに対する違和感を感じた「私」と言うものがどのようなベースを持った人間なのかがわかります。

 自我が弱いことで自己不信及び他者不信に陥り、主張に困難をきたしている人物。

 

 私は活動報告にこう書きました。

 私は自分の感情を無視する(していることにも気づいていなかった)ことで病気になっていて、病んでなお「元の使い勝手のいい私でいて(ご機嫌でいて)!」ってメッセージに心底潰されたので、この「いつも機嫌よくあろうとしているべき」と言う前提が「他者の気持ちに配慮して自分の気持ちは押し殺してでも笑っていることが大人の礼儀だよ(圧」って意味にすり替わってイメージされたんだろうな。被害的に捉えている。

 この自動的に沸いた思考はツイートの言葉に脅威を感じていて、そのために現実的に本当の言葉の意味を読み取れていない。


 同じように反応ツイートを俯瞰して見ると、どのようなバックボーンを持った人が何を思い浮かべて反応したのかと言うことも見えてくるように思うのです。

 つまり反応ツイートには、最初のツイートの言葉によって各人が想起されたものが判断に入っている。

 それによってもとの文脈が正確に捉えられなかったり、妙なところで引っ掛かりを覚えてしまったりしてしまう。

 Twitterなので元ツイートの人とやりとりしている人はあまりいないのだけれど、日常でもこうしてやりとりが思いもよらずずれてしまって不健全なものになることはままあることじゃないかと思いました。



 仮に私と同じように「他者の気持ちに配慮して自分の気持ちは押し殺してでも笑っていることが大人の礼儀だよ」と言うように自動的に読み取って反応したとしてもその出方はいくつもある。

 (以下「」は「他者の気持ちに配慮して自分の気持ちは押し殺してでも笑っていることが大人の礼儀だよ」と言う言葉を指す)


 この「」を内面化して肯定している場合は元ツイートの人の言葉を間違って受け取った上で肯定し我慢を続けるかもしれない。

 「」を内面化したせいで苦しんだことに気づき回復を目指す人なら「自分の気持ちを何より優先しないとダメだ」と言う信念を持って大いに反発しただろう。

 上のような理由で「」に対し激しい主張をして苦しんでいる人に味方する人は「自立できていないなんて人をジャッジしてなんの意味があるの? 自分の気持ちを把握する方法に気が付けるよう手を差し伸べればいいのに」って非難するかもしれない。

 機嫌が悪いと当たり散らす人に苦しめられた人は反発して「」を完璧に体現しようと頑張り「機嫌のままに振る舞うなんて○○は大人の癖に自立してない」と揶揄するかもしれない。

 同じような人に苦しめられていたとしてもその相手の機嫌を取る自分に役割を見出している人(共依存だな)は自分が「」を体現していることにも気が付かず「揶揄するなんて余計なことしないで。荒れたら整えるの大変じゃない!」と上の人を非難するかもしれない。

 ひどい目にあったけど自分を怒りによって守ってきた人ならハザードがなって「人に機嫌を取らせて平気な人からはいますぐ逃げなさい! 自分を守るのよ」って叫ぶだろう。


 ひょっと自動的に浮かんだイメージはその人に出来事、発信者の言葉そのものを真っ直ぐに受け取らせない。

 そしてそれに気がつけない。

 しかも真っ直ぐに受け取っていないものをどう感じて反応するかもものすごく違う。

 相手の考えや動機なんてよくよく聞いてみないとわからない。

 聞いたところで自動的に浮かび過ぎて本人もわかってないかもしれない。


 だから私は記録を読み返し検討し続けてしまったのかもしれない。

 私があの人に何をみていたのか、そしてあの人が私に何をみて反応したのか、こんなふうに延々と。



 元々のメッセージは「いつも機嫌よくあろうとしている人は自立している。機嫌良くあることを目指すことで人は成長し人間関係を豊かにできるよ(概要)」である。

 続きは「だから自分の機嫌を自分で取れる人っていいよね、そういう人と一緒にいたいし自分もそうありたいわー。誰だってそうだよね? だから成功するんだな、ごきげんな人は」って話だったのかもしれない(なんかそんな感じ。実は元ツイートはファボしていないので流れてしまったのw)

 元のツイートでは「他者の気持ちに配慮して自分の気持ちは押し殺してでも笑っていることが大人の礼儀だよ」なんて言ってないんだよ、一言も。

 つまり「自分の機嫌が取れないのは子供(自立してない)」とも言ってないし「人に機嫌を取らせる人」の話なんか出てもないし、取らせるのはどうかなんて話もない。

 それでも反応ツイートはこんなふうに広がった。

 それはその人たちが特別に妄想を根拠に話を展開する人間だと言うことではなく、人は誰しも自分の関心事に沿って物事を見てしまうってことなんだと思う。

 話を聞いても本を読んでも。

 聞きたいように聞き、読みたいように読むことを避けがたい。

 経験をもとにうわぁっと想起せざるを得ないイメージを持っている(トラウマとまではいかなくても)場合は、特に熱心に。


 なんとも機嫌をどう扱うかってところからグーンとそれて、結局人は聞きたいように話を聞くんだぜなんて言い古されたところに着地してしまいました。

 活動報告でも書いた通り、ほんまめっちゃんこ内容うっすいエッセイw




 ……と言うわけで「自分の機嫌をどう扱うか」改めて私は自分に問うてみることにしました。

 「私はこれから自分の機嫌(感情)をどう扱っていきたいんだろう?」ということです。


 まあまず「他者の気持ちに配慮して自分の気持ちは押し殺してでも笑っていることが大人の礼儀」だと言う考え方はもう採用しないのは確か。

 私はそれに反発を覚えている。



 私の機嫌を自覚するにはまず感情に気がつく必要がある。

 と言うことで、外にある何かに照らし合わせて自分に問い合わせている現状から、ゆっくりと自分の内奥に既にあるだろう感情や考えをそのまま見つめるレッスンをしますw

 レベル低っ!!


 いや、案外気が付いていないと思うんですよ。自分の機嫌なんて。

 機嫌が悪く見えているって言われないとわかんないし、言われてもピンと来なかったりするくらい。

 ため息やめてーとか、眉間に皺寄ってるよって言われたりしてはっとすることあるじゃないですか。

 ……ないですかね。

 顔が青いよとか、クマひどいよとか、っても言われるがこれは機嫌とは別か。


 まあともかくも自分の調子に気が付きにくい。

 なので一つ一つ目を向けていくレッスンをする。

 マインドフルネスとか。

 まずは体感を意識。呼吸はどうかなー、力入ってないかなー、って問いかける。

 そのあたりから行きます。



 あと前提として機嫌が悪いのと怒っているのは区別します。

 怒りはちゃんと具体的な自己主張として表現していく。

 主張したところで簡単にスルーしてしまうような相手には怒りの感情を乗せてしっかり伝える。

 これと「機嫌悪い」を混同しない。

 怒って仮に相手に「機嫌悪いね(機嫌良くいて)」と言われたとしても意図して自覚的にやってんだと言う意志を強く持って、相手の言動を内面化しないでちゃんと外へ出す。

 健全な人から見ると、そもそもやりとりや相手の主張を関心ないとばかりにスルーしてしまえる相手ってどうよ? って思うかもしれないが、主張の習慣がない人の近くにいる人って相手の態度を自分に都合よく解釈している人が多いんじゃないかな。(根拠はない)

 なので感情を使って主張を届ける練習をする。

 まずは怒らなくても伝わるごく普通の人からトライだな。

 

 ……ここまで書いてきてなんですけど、この記録って需要なくないですかね?

 そこから? 的なとこからはじまりすぎて。まあいいや。

 


 さて、体感を意識して自分に目を向ける、怒りの感情をガイドに自分の欲求を見つけて主張する。

 この二つのレッスンをするのは「私の欲求を掴んで満たしておくため」つまりコンディションを整えておくためだ。


 ここでブロックになるのは自己価値観の低さ。

 自分の欲求を掴むことすらできていない段階で言うのはなんだけど、自分の欲求を尊重して満たすことってすごい贅沢な感じがするんだ。怖いくらい。

 これは私に許されるのか? って気後れする。

 ハードルが高い。

 でもよくよく考えると満たさないリスクはかなり大きいはずだ。



 トイレを例に考えると単純化されていいかもしれない。

 トイレに行きたいという欲求を感じるべきでないと無視したり、そんなものは感じていないと誤魔化したりすると、結果的に頭の中に他のことを考える余裕がなくなってしまうよね。

 イライラして子供がただ話しかけただけでも嫌な顔をしてしまうかもしれないし、子供の不安な様子になんか目を向けられず気が付かないから、十分なケアをしてやれないかもしれない。

 日頃の性格がどんなに穏やかでも、些細なことで怒っちゃうかもしれないし、小さい子供を押しのけてトイレに駆け込むなんて、普段のその人なら絶対しないようなことまでやっちゃうかもしれない。

 いくら無視したってトイレの欲求はあり続けるし、どんどん激しくなって相手のことを思いやる余裕なんてなくなっちゃうからね。

 欲求を満たした後の惨状を見て自分のしたことに罪悪感を抱くだろう。そしていっそう欲求を抑圧することを決意して冒頭にもどる、だ。


 トイレの例が続くけど、欲求を無視する習慣がつきすぎると漏れ出てても気が付かなくなる。

 周りは知ってるんだよ。匂うし濡れてるから。

 自分だって薄々わかってる。でも認めたくない。

 そんな中指摘されたら恥に耐えられずに逆上することになるよね。泣いて崩壊したり、キレて何するかわかんない状態。

 そもそも欲求の存在を認めがたく否定しようと思うくらい忌み嫌ってるんだから、決壊して忘我の状態になって自己コントロールを失ってしまう。

 感じられないくらいの感情の渦に飲み込まれて、周囲の思いやりの言葉だって被害的に受け取って、攻撃するかもしれないし、引きこもるかもしれない。

 あーなんてめちゃくちゃ悪循環で高リスク!



 でも幼い頃に自分の欲求を尊重されなかったり、欲求することはわがままなことだと罰を受けてきた人はこの高リスクで非現実的なことにトライしては決壊してを繰り返して、それ以外の生き方を知らないんじゃないかな。

 「自分の欲求を優先すべきでない」と言う前提を崩さない限り、絶対に失敗のループしかありえないことにも気が付かない。


 普通に考えて相手の欲求を優先してトイレの順番を譲ってやれるのは、自分の欲求がそこまでではない時だけじゃない? 下痢の時なんかとても無理だよね。

 それなのに自分も切羽詰まってるにも関わらず、譲んなきゃなんないと思い込んで非現実的な選択をしているのが自分の欲求を尊重できない人のやってることだね。

 そう言う人は他の人も自分と同じように耐えているんだと思ってる。

 大人だから。親だから。

 なのに自分はできてない、なんてダメなんだと劣等感を感じている。ナンセンスだな。


 こうしてみると自分の欲求を掴み、満たしておくことは自分のためだけじゃないってよくわかるよね。

 守るべき誰かのいる人こそ、率先して自分の欲求を満たしておいた方がいい。


 トイレは単純だから明確なんだけど、そもそも自分の欲求がなんたかわかんないなって私はなる。

 欲求を見つけるためのガイドは感情なんだそう。

 感情がわからないとしたら、目を向けるべきは体感。

 そもそも感情は刺激に対する反応として数秒浮かんでは消えていくようなものらしい。

 自覚する習慣を持っていないとその感覚が何か名付けられず、「感じられない」ってなるらしい。

 尿意をトイレと結びつけてないから、むずむずするけどよくわかんないって言ってるみたいな感じやね。

 トイトレしないといけないw


 だから誰かとやりとりしたり本を読んだりして、外にある何かに照らし合わせて自分に問い合わせていくのもそれは結構普通のこと。

 掴んで離して掴んで離してを繰り返して感覚する練習をする。体感を感情と結びつけて言語化していく。

 むずむずはつまり、尿意→みんなみたいにトイレに行けばいいんだ、みたいにね。


 だから誰かを鏡にすることはやってはならないことなんかじゃないんだな。むしろどんどんやっていいんだ。

 そうやって感情を理解していく。処理の仕方も学んでいく。

 感情をもとに欲求を見つけ出し、そしてそれを積極的に最優先で満たしにいく。

 環境的にそんなの許されてないわ。できねーよって人もいると思うんだけど……子供が小さいとかね、特別なニーズがあるとか。

 でもそれはむしろこれまでが不可能を可能にしすぎていた、私がスーパーマンになって人の欲求を優先し満たし過ぎていた。

 だからもうできないってわかってもらった方がいいんだ。相手のためにも。

 私はここまでなら満たせるよ。でもそれ以上は限界なの助けてって。

 そして、トイレの例を思い浮かべて、隙を見ては自分を満たしにかかるのがいいね。

 自分が満たされてさえいれば小さいさんの欲求を大いに満たしてあげられるからね!



 あと欲求を把握したら発信していくのも大事に思う。

 あれが好き、こういうのが楽しい、めっちゃ愚痴聞いてほしい、とかとか色んな欲求を持つ私を人に理解していてもらう。

 理解したいし理解されたい。これはなにが好きか不明な私でも明確にわかる欲求だな

 私は理解され理解したい。

 それから私の欲求は私があると言うことを認識していて欲しいってこと。(尊重されたい)

 隅っこでいいからそばに置いておいて欲しいってこと。(帰属意識をもちたい)


 こうして宣伝しておくと、相手もどうしたら喜ぶか明確にわかるから満たしてやりやすくなるよね。

 人を満たしてやれる自分は良いものと感じられるから、基本人は人を満たすのが好きだと私は思ってる。

 つまりwin-winだ。


 こうして並べたら私の欲求って大した事ないな。

 友達なら大した労力もなく、なんなく満たせちゃうんじゃないだろうか。

 むしろ互いに満たしあえちゃうくらいかもしれない。


 「欲求を満たしてもらう」「機嫌を人に取らせる」って言うと申し訳なさを感じるのは、やっぱトイレ問題の状態の人の感情的強烈さを想像してしまうからかもな。

 極端なケースだな、それはってここまで書いてみて改めて思った。

 だけどトラウマに触れていると極端になってしまっていることに気がつけないんだね。

 それはちょうど自分では眉間のしわに気がつけないように。

 これを楽にするのも自己理解だ。

 私はどうもこのような件に関しては冷静ではいられないようだ、なぜなら過去の出来事が想起されて感情的反応が起こって軽くパニックになってしまうから、とかとかね。

 自覚すればひょっと、私今極端になってないか? って気がつける時が来るかもしれない。

 信頼できる人に理解してもらっておけば冷静さに欠けているよって肩を叩いてもらえるかもしれない。


 自己理解はそれ自体がケアで、ケアすればするほど他者も助けられる。他者を助けるときのように自分を助けるのを許していくのがいいね。

 理解が進むことで自分や他者の行動の背景や、考え方感じ方の特徴はどのようなものか、無軌道に見える行動の裏に隠れた欲求は何か見つけ出すことができるようになるかもしれない。

 そうすれば一層子供や周囲の人間に対して大きく貢献することができようになる。

 自分だって居心地いいしね!



 と言うわけで結果「自分の機嫌をどう扱うか」の問いの答えは自分の感情、欲求をまず大切に尊重する。

 というすっごい単純な結論に行き着いたのでした。



 長々とお付き合いありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] トイレの例えは秀逸。納得しかないー! 常に自己の欲求を満たし続けている私は、これで良いのかと逆にホッとしました。満たしているからといって、周りに目を向けられているかと言われたら、まだまだ足…
[一言] 自分の機嫌というのは、難しいのです。なぜなら他人は、風呂場にでもこもってしまえば、見えなくなります。しかし自分は、どこに行っても見えるのです。自分からの、逃げ場が無いのです。 他人のニーズ…
[良い点] 感想として「読みました」と書く以外は、とても長い長い「読んだ上での自分の考え」を書くことになり、傍目には「必殺・感想欄で自分語り」に見えてしまうでしょうし、さてどうしようかな……と思ってい…
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